五月雨式の歓迎
「どっ、どうしよう……ユルグ落ちちゃったよ」
荷馬車の外へと出たミアは、深い闇が広がる崖下を覗き込んだ。
目を凝らすと薄らと木々の茂みは見えるが、それでも魔物に引きずられるように落ちてしまったユルグの姿はどこにもない。
カンテラの明かりも見えないから、おそらく落ちた衝撃で壊れてしまったのだろう。
「んー」
不安を募らせるミアの隣から、フィノも身を乗り出して崖下を覗き込む。
「おししょうなら、だいじょうぶだよ」
「……え?」
「まだしなないって、やくそくしたからね」
それだけを言って、フィノは荷馬車へと戻っていった。
かなり落ち着いた様子の彼女に、ミアは呆気に取られる。てっきりミアと同じく、心配だ何だと騒ぎ出すと思っていたのだ。
それほどユルグの事を信頼しているのだろう。
聞けばユルグがミアの元を去ってから今まで共にいたと言うし、彼の戦闘スキルはかなりのものだとミアも知っている。
それにこの切り立った崖を下に降りて助けに行くなど、とてもじゃないが危険すぎて出来ることではない。
「勇者様なら大丈夫ですよ」
「……アリア」
「マモンを向かわせたので、魔物に襲われて殺される事はないでしょう」
アリアンネの言葉に周囲を探ると、確かにマモンの姿がどこにも見当たらない。
「それでもこの崖を登ってはこれないので、わたくしたちは先にこの渓谷を抜けてしまいましょう」
「待ってなくて良いの?」
「どちらのルートも行き着く先は同じですからね。それに勇者様なら戻るよりも進む方を選ぶと思いますよ」
彼女の言葉に、そういえばと思い出す。
ユルグは帝都を出る前、北か南か。どちらのルートで進むかを皆に聞いていた。
結局多数決で南から大きく迂回する進路を取ることになったのだが、ユルグはなぜか急いでいたのだ。
ミアにはどうしてそこまで急ぐ必要があるのか分からなかったし、今もその理由は不明である。
だから、アリアンネの意見はあながち間違いとも言えないのだ。
「それにここで待っていては、いつまた先ほどの魔物が襲ってくるかわかりません。この渓谷に棲みついているのがあの一体だけとは限らないので、移動はなるだけ早いほうが良いでしょうね」
「う、うん……わかった」
アリアンネの説得もあって、ミアは荷馬車に戻った。
心配ではあるし心苦しくはあるが、自分がすべきことはここで待っている事ではなく前に進むことなのだ。
===
渓谷の狭間は夜のように薄暗かった。
ただでさえ陽の光を通さない場所であるのに、それなりに生い茂った木々が降り注ぐ光をさらに遮断している。
しかしそのおかげで、こうしてユルグは五体満足でいれるわけだ。
先ほど――フォーゲルに引きずられて狭間に落下した時。
ユルグが最初に取った行動は、既に事切れている魔物の上側に回り込むことだった。
あの高さから落ちたとしても、木々がクッションの役割をはたしてくれる。頭から落ちなければ即死はない。一番恐ろしいのは、フォーゲルの巨体によって下敷きにされてしまうことだ。
そうなってしまえばどんなに頑丈な人間でもひとたまりもない。
あの一瞬――ユルグはフォーゲルに刺さった剣はそのままにして、背負ったもう一本の剣を引き抜いて魔物の体躯に突き刺した。
それらを足場にして素早くフォーゲルの背に登ると、豊かに生えそろった羽を鷲掴んで落下の衝撃に備えたというわけだ。
加えてその衝撃を木々でもっていくらか相殺できた。多少の打撲や擦り傷はあったものの、問題ないレベルである。
「こいつは……登るのは無理そうだな」
フォーゲルから飛び降りたユルグは手早く武器を回収して辺りを見回した。
荒唐無稽な高さではないが、登るには現実的な高さではないことも確かである。そんなことをするならばこのまま道を抜けて渓谷を抜けた方が早い。
そうと決まればと、ユルグは腰に括っていたカンテラを持ち上げた。
いつの間にか光が消えていたから壊れてしまったかと危惧していたのだが、どうやら違うらしい。単純に魔鉱石の魔力切れだ。新しく〈ホーリーライト〉を込めた魔鉱石をカンテラの中に入れてやれば元通り使える。
――しかし、どうにもそんなことをしている暇はないみたいだ。
カンテラから手を離して、先ほど鞘に収めた剣を引き抜く。
ユルグの視界の先では、薄闇に光る二つの目玉がじっとこちらを見つめていた。
それも一体だけではない。ざっと目算で五体はいる。四方を取り囲むように草叢に身を隠してこちらを伺っている姿は、さながら獲物を狩るハンターの如くである。
おそらく、先ほどの騒動を聞きつけて寄ってきたのだろう。それかこいつらのテリトリーに無断で足を踏み入れてしまったか。
どちらにせよ、ただでは抜けさせてもらえないようだ。
それならばこちらも加減は無用である。
殺そうと襲ってくるならば何の躊躇いもなく剣を向けられる。それに久方ぶりに、守る相手もいない独りきりの状況だ。
であれば尚更、後ろを気にすることなく遠慮なくやれるわけだ。




