#16.6 見送る風
ケイコの家に戻ってきた風の子たちです、と言っても森の中なので家という感じがしないのは相変わらずです。マチコとノリコは手を繋いだまま、エリコはマチコの背中で寝てしまいました。そしてケイコは腕の中でニャージロウを抱きかかえています。そう、ここでは大きさの比率が変わって、ニャージロウの方が小さくなった、というところでしょう。
マチコたちは無言のまま森の奥へ、正確には家の奥へと進んで参ります。そのマチコたちに一歩遅れて歩くケイコ、いったいどこに向かっているのだろうと思いながら、暴れるニャージロウに手を焼いた末にポイっと離してしまいます。それで自由を獲得したニャージロウですが、すぐにノリコに捕まり、抱えられながらグッと抱きしめられたニャージロウ、観念して大人しくなりました。
ニャーゴと会える、それがどこで、どんな風なのかを知りたいと思いつつ、それを聞けないノリコです。もしそれが思っていたのと違っていたら、と考えるだけで悲しくなり、そもそも、どんなことを想像しているのかさえ怪しくなってきたようです。
暫く歩いたところで、「この辺だと思ったんだけどぉ」と呟くマチコです。そこは森の端のような、少し高い土手が続く、いかにも『森はここまで』という境界のようなところです。たぶん、その土手の先に行くことは出来ないでしょう。
そして何時ものように月明かりだけなので、そう遠くまでは見えません。これが昼間だったらと思いつつも、お目当てのものが見つからず、少し焦るマチコ、このまま暫く歩いていたいノリコ、ここはどこじゃ、のケイコに、マチコの背中でスヤスヤのエリコです。
そうしてマチコが右を見て、左を、そしてまた右の方を見た時です、そこに白い扉がありました。それも以前に見たときと同じように、扉だけが立っていてその周りには何も無い、忽然と現れた例の扉です。
「あったぁぁぁ、これよこれぇぇぇ」と叫びながら扉に駆け寄るマチコ、何で扉があるの? のノリコ、何でもいいから行こう、のケイコです。
その扉を押して開けると、その先は真っ白な世界です。視界はほんの少ししかなく、木製の白い橋がずっと先まで続いてる、ような感じがしてきます。しかし、中の様子を伺っている暇もなく、ノリコの腕の中からピュンっと飛び出したニャージロウ、スタスタっと真っ白な世界に突進してしまいました。
もちろん、「待ってよー、ニャージロウー」とノリコが止めても聞く耳を持たないニャージロウ、それを追いかけて走るノリコ、続いてマチコもです。そして、「待ってよおおお」とケイコも続きました。
◇◇
濃い霧のようなところで見るか見えないかの、ギリギリのところを疾走するニャージロウです。白猫なので余計に見え隠れするニャージロウを追いかける風の子たちです。でも、バタバタと木の板の上を走っているのに、以前と同じく、その足音は聞こえてきません。
「ここは、風が、吹かない、から、走って」と走りながら途切れ途切れのマチコ、心の中で(待ってよー)のノリコ、どこまで走るんじゃ、のケイコ、マチコの背中で目が覚めたエリコ、真っ白な世界に鳥肌ブツブツです。
そうして暫く走ったところで、急に立ち止まったニャージロウです。勢いがあったので、そのままニャージロウを追い越すと、その先にゆっくりと動く白い影が見えてきました。それを見た瞬間、
「ニャーゴおおおぉぉぉ」と叫んだノリコです。
そして、その白い影に近づくと、確かにニャーゴのようです。ノリコの呼び掛けに振り向いたようにも見えましたが、そのままゆっくりと歩き続けるニャーゴです。
「待ってよおおお、ニャーゴおおお、ニャーゴでしょうおおお」と、いくらノリコが叫んでも進み続けるニャーゴ、ゆっくりと歩いているだけなのに、走っているノリコは追い付くことが出来ません。
「待つんじゃ、ニャーゴおおお」と叫ぶケイコ、
「やっと、会えたよ、ニャーゴ」のマチコ、
「ニャーゴ?」と、小さな猫さんが、なんでニャーゴなの? のエリコです。
そこに、後ろから風の子たちを追い抜いたニャージロウが風の子たちの前を走り始めましたが、やはり、ゆっくりと進むニャーゴには追い付けないようです。
そして、暫くしてニャーゴが立ち止まった時です、ニャーゴと風の子たちの間に大きな隙間が現れたのです。その隙間は走って飛び越えるには遠く、また、その下が見えないくらい、深く暗く、底の見えない、ように思える隙間です。それでその端に立ちすくむことしか出来ない風の子たち、です。
そこで、「ニャーゴおおおぉぉぉ」とノリコが呼び掛けると、
「にゃ〜、にゃ〜、にゃ〜」と、こちら側に体を向けて鳴き始めたニャーゴです。それに、
「ニャーゴ、どうしたの? ねえ、ニャーゴ、答えてよ」のノリコに、ただ鳴き続けるニャーゴです。
「ニャーゴ、どこに行くんじゃ、戻ってくるんじゃ」のケイコにも鳴き声で応えるニャーゴ、もう、その言葉の意味は分からないのです。
そうして、また尻尾を向けて歩き出したニャーゴです。そのニャーゴに、
「待ってよおおお、ニャーゴおおお、もう、会えないのおおお」と、ありったけの声で呼び続けるノリコが、ニャーゴを追いかけようと隙間に踏み出そうとしました。すると、本当にその隅間に落ちてしまいそうになるノリコ、その寸前でノリコの手を掴まえたケイコです。それでも、「ニャーゴおおお」と呼び続けるノリコです。
その時、「ニャーゴ、行っちゃうの?」と、マチコの背中から降りたエリコがノリコの背中越しに尋ねました。
「そうだよ、もう帰って来ないんだよ、行っちゃったんだよ」と大声で答えるノリコです。それに、
「やだよ、行っちゃやだよ。だって、まだ、行っちゃやだよ」と泣きながら言うと、遠くに居るニャーゴに向かって走り出したエリコです。
それを見たノリコとマチコはエリコを掴まえようとしましたが、その手はあと少しで届かず、隙間に落ちてしまう! と思われた時、ケイコが大きく手を伸ばしました。
しかし、しかしです。エリコに手が届くどころか、隙間に落ちてしまうケイコです。そうです、この時、初めて背中の羽を広げたエリコがフワフワっと隙間を飛び、その傍らで落ちるケイコです。その両脚を片方づつ掴んだのがマチコとノリコ、エリコの飛ぶ姿に驚きながら、エイっとケイコを引き上げたのでした。
そして隙間の向こう側、ニャーゴの居るところまで飛んだエリコは、ゆっくりと歩くニャーゴを抱きかかえると、ニャーゴに顔を埋めながら何かを言っているようです。
その様子を見ているノリコとマチコ、そしてケイコにはエリコの言っていることは聞こえず、ニャーゴの鳴き声も聞こえることはありませんでした。それでも、ニャーゴを呼び続けるノリコです。その声が向こう側のニャーゴに届いたかどうかは分かりませんが、それでもニャーゴの名を呼ばずにはいられないノリコです。
そうしてニャーゴを降ろしたエリコは、そこから去って行くニャーゴに手を振り始めました。それと一緒にノリコたちも手を振りましたが、すぐに見えなくなってしまったニャーゴです。そして、最後に、
「ニャーゴおおお」とノリコが叫んだところで、白い扉の外に引き戻された風の子たちです。そこは白い扉を見つけた場所、その扉を開ける前の場所です。そして、急に場所が変わったことで驚いている間に、白い扉がスーッと消えてしまったのです。その扉を、もう一度開けようとしたノリコの手は、ただただ、何も無いところを彷徨うだけで、白い扉は無くなってしまいました。
そう、そこで立ち尽くしたノリコは、声にならない声で泣くだけでした。そんなノリコの手を引くエリコです。そして、
「ニャーゴ、また会えるって、必ず会えるって言ってたよ。だから、だから、泣かないでよ、ノリコ、泣かないで」と、ノリコを見上げながら溢れる涙を頬に受け止めるエリコです。
そのエリコをしゃがんで抱きしめるノリコ、その肩に寄り添うケイコとマチコ、そしてノリコの膝に寄り掛かるニャージロウです。
星が瞬き、満月の光が闇夜を照らす、森のようなケイコの家。星々の輝きは風の子たちに長い影を写し、時々、奇跡のようなことが起こるところです。それはきっと、長い時を過ごす風の子たちへの贈り物なのかもしれません。
夜が明けることのないところでも、ゆっくりと時は過ぎて行くのです。それは、世界のどこかで日が昇れば、朝が巡ってくるということです。その時が訪れるまで、ここは静かに、そして何時までも待っていてくれることでしょう。
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