#9.3 シマコの風
夜空に飛び立ったケイコです。下はどこまでも広がる真っ暗な海、上はどこまでも続く真っ暗な空です。そんなところをケイコの『チカラ』だけで飛んでいけるものでしょうか。こんな無謀なことをして、後で泣いても知りませんよ。
でも、どうしてでしょうか。ケイコの体がグングンと空高く舞い上がって行くではありませんか。これは? そう、そこに『お節介な風』がグイグイとケイコを引っ張り上げていたのです。例の、夜だけ吹くと言われる伝説の風です。
そのことをケイコは最初から知っていたのでしょうか。いいえ、それはたまたま、偶然のことでしょう。真っ暗な空、それも今まで来たこともない沖の海で、そんな風が吹いているなんて知る由もないのです。
それでは一体、そんな奇跡みたいな事が起こったのでしょうか。それは、ケイコにとって普段、この時間はスヤスヤタイムのところ、それを無理して頑張っている、その御蔭で運が急上昇、それで楽しい夢を見る代わりに伝説の風と出会えた、ということでしょう。高く、高く、もっと高く、どこまでも舞い上がるケイコです。
そうして高い空の上で、今度は季節風と出会いました。その風に乗って、一気に東に向かうケイコです。あれ? お迎えに行く方向は西のはずです。でも、今は真っ暗な夜空、西も東も分かりません。とにかく進む、それがケイコです。
季節風は猛スピードで東へと駆け抜けていきます。それに跨り、ムムムの顔で風に掴まるケイコの目が『とろ〜ん』としてきました。まあ、それも無理もないでしょう。既にスヤスヤタイムのド真ん中です。そのままの格好で、ストンっと寝てしまうケイコです。後は季節風がどこかに運んでくれることでしょう、きっと。
◇
明朝のことです。日の出とともに速度が緩んできた季節風です。そのまま、ゆっくりと降下し、ある程度の高さのところで解散してしまいました。まだ眠っているケイコは風から離れ、木の葉のように空中を漂っていきます。そして、ゆっくりゆっくりと舞い降りて行くのでした。
その先は周囲を海に囲まれた大きな島です。でも、ヒラヒラと落ちていくケイコの真下は、ドヒョーンと荒ぶる海、このままではお魚の餌になってしまうかも、です。
そこに、海から島に寄せる風がケイコをビューンと運んで行きます。そして島の上空で渦を巻き、適当なところでケイコを離しました。それでもグースカピーと目を覚まさないケイコです。
◇
「むにむに」
やっとケイコが目を覚ました。その時、最初に見えたのは世界が左右時々前後に揺れ動く光景でした。それは地震でも起きているのでしょうか。いいえ、残念ながらケイコは、島のどこかの森、そこの高い木の枝にぶら下がっていたのです。それも身体中、蔦のようなものでグルグル巻きになっています、ゆらゆら。
「なんじゃあああ、こらあああ」
せっかく今まで良い夢を見ていたのに、それを吹き飛ばした現実に驚き、嘆き、怒るケイコです。しかし、大声を出して暴れるたび、左右時々前後に揺れるだけです。
「おい! 起きたか、この流れ風め」
木の枝に吊るされているケイコに声を掛けたのは地元の子でしょうか。額に手を翳しながら見上げ、ケイコを睨んでいます。
そのケイコは頬を膨らましながら下を向き、「ここは、どこじゃあ。お前は、誰じゃあ」と地元の子に向かって叫ぶと、
「質問が多いぞー、流れ風めー。ここは、ここだー、私は、私だー」と答えてくれました。それに、
「私はー、ケイコじゃあー」と名乗ると、
「そうかー、私はー、シマコだー」と答えてくれましたが、そのままどこかに行こうとしたので、
「待ってくれー、シマコー」と引き止めるケイコです。それに、
「なんでだー」と聞き返すシマコです。
「ふっ」と呟いたケイコがグルグル巻きのツタを擦り抜け、フワッと降りてきました。そして、「聞きたいことがあるのじゃ」とシマコと向き合います。それに二三歩下がって身構えるシマコ、どこからでもかかってこーい、のポーズです。そして、
「お前、強いのか?」と問うシマコです。
「もちろんじゃ」と腰に手を当ててエヘン顔のケイコ、
「それは仕方ないな」と戦うポーズを解くシマコ、でも降参した訳ではありません。
「お迎えに来たのじゃ」と難しい顔のケイコ、
「なんでだ」と言っていることが分からないシマコですが、
「マチコじゃ」と言い切るケイコです。
「マチコ?」
「そうじゃ。迎えに来たのじゃ、どこに居る?」と辺りを見渡すケイコに、
「私は、ここの王様だ」と人差し指を掲げるシマコです。
その人差し指の意味は、王様は私だけだ、ということと、自分が一番偉いということらしいです。しかし、そんなシマコを見ることもなく、何かを思い出す風に語り始めるケイコです。
「マチコはの〜、アホの子でな〜、どこぞで迷子になっとるらしいのじゃ。だから、こうして私が直々に迎えに来てやっておるのじゃ。今頃はどこぞで寂しいと泣いておるじゃろう、アホの子だからの〜」
そう言いながら自分でウンウンと頷くケイコに、「良いことを思い付いた。遊びに行こう」と誘うシマコです。それに、
「うん、行こう」のケイコです。
◇◇
「それを持って行こう」
「これかの〜」
シマコの発案で遊びに行くことになった彼女たちです。シマコが『それ』と言ったのは、ケイコがグルグル巻きになっていた蔦のことです。それを一緒に運びながら森を駆け抜けていきます。
そうして斜面が見えてくると、
「面倒だ、飛んで行くぞ」の掛け声で、山を下る風に乗るシマコ、自力で飛ぶわけではありません。その風に、
「あいよー」と一緒に乗るケイコです。
ズズズーン・ゴーゴゴと一気に山を駆け下りるシマコとケイコです、ヒューン。
「うっひょー」
猛スピードで迫り来る光景に思わず声を上げるケイコ、その声を聞いてニヤリとするシマコです。それはシマコも楽しいからなのか、それとも何かを企んでいるのか。さあ、どっちでしょうか。
斜面を下る風は麓の森を抜け、その先の、なだらかな平地を通っていきます。そして終点の海へと、あっという間に到着です、ザブーン。
◇
砂浜に立つシマコとケイコです。その背景には、どこまでも続く海と無数の千切れた雲。そしてその反対側は降りてきたばかりの森と、そのまた奥には高い山がデーンと聳えています。ケイコも初めて見る大きな島の片鱗が広がって見えていました。
持ってきた蔦を伸ばして、その両端をケイコとシマコが握っています。その間は10mくらいでしょうか。因みにケイコは風下に立っています。
「いい? 紐がピーンとなったら飛び上がって」とはシマコの方です。
「うん、わかった」と、これから何が始まるのか分からないまま、ワクワクしているケイコです。
「じゃあ、いっくよー」の掛け声で走り出すシマコです。心の中では、(一度やってみたかったんだよね、私だけじゃ出来ないもんね)とワクワクのようですが。
シマコが走り出してから少しすると蔦がピーンとなり、その端を持っていたケイコが引っ張られる形となりました。その時、「うっ」と唸ると、飛び上がる前に蔦を離してしまうケイコです。
「ダメだよー、手を離しちゃー」と抗議するシマコに、
「わかったー」と答えるケイコです。
そうしてチャレンジ2回目、ですがシマコの引く力が強くて、また手を離してしまうケイコです。そこで考え込んでしまったシマコ、うーん・うーんと名案が閃いたようです。
ケイコに駆け寄ったシマコは蔦でケイコをグルグル巻きにしてしまいます。それを、「およよ」と、なすがままのケイコです。
「離さないように、しっかりと握ってるんだよ」とシマコが念を押すと、
「わかったー」と答えるケイコです。そして蔦を掴んだシマコが走り出すと、
ピーン・ズドン・ズルズル。
蔦に引っ張られたケイコがその勢いで倒れ、砂浜を引きずられています! ズルズルです。
「飛ぶんだー、おまえー。その羽根が伊達じゃないところを、見せてみろー」
張り切るシマコです。それに、「おう〜」と答えたケイコは両足に力を込め込め、「えいっ」と砂を蹴りました。すると、すると、すると、凧のように舞がるケイコ、ふんわり・ふわふわ・ヒューンです。
「キャハハハー、やったー、やったぞー」
宙に浮かんだケイコを引っ張りながら走る速度を増すシマコ、念願の凧揚げができたようです、ヒャッハー。
「く”、く”る”し”ー」
凧になったグルぐるケイコは、蔦に縛られて苦しそうです。そしてシマコが蔦を引けば引くほど、風が吹けば吹くほどに蔦がグルぐるケイコを縛り上げるのです。その様子を下から、とても嬉しそうに見上げるシマコ、幸せそうです。
一方、グルぐるケイコは苦しくても我慢していました。その気になれば何時でも抜け出せるグルぐるケイコです。ですが、シマコの嬉しそうな声を聞いてしまった以上、その期待を裏切られないグルぐるケイコです。因みにグルぐるケイコからはシマコの楽しそうな表情は遠くて見えません。それほど高い位置にいるということです。
しかし、何時までも我慢できるグルぐるケイコではありません。前と同じように「ふっ」と呟くと、スルッとグルグルから抜け出してしまいました。それでも、グルグルに掴まり、遠目にはグルぐるケイコ凧に見えることでしょう。
蔦を持って走りまわるシマコは、もっと高く凧を揚げようと、どんどん蔦を伸ばしていきます。しかし、そんなに都合よく揚がるものではありません。身軽になったケイコが、こっそりとグルグルを引き上げていたのでした。
「おーい、どうだ、楽しいだろう」
シマコの声が風に乗ってケイコの耳に届きました。その頃ケイコはグルグルで忙しく、ちっとも楽しくはありませんでしたが、「(なんじゃー、こらー)うん、楽しいよ」と答えました。それは、辛くても私の方が『お姉さん』だから、という理由らしいです。
◇◇
凧揚げを満喫するシマコ、凧になって大空を飛び回るケイコです。どちらも楽しそうに見えますが、その時です。
ズドーン・ゴロゴロ・ドドド・フンカー・バリバリ・ゴロゴロ。
島で一番高い山が大噴火! 世界を震撼し始めました。えらいこちゃっです。砂浜にいるシマコは足元が震え、上空のケイコも空気の振動がビシバシと伝わってきます。
「なんじゃあああ、こらあああ」とは何時ものケイコ、
「およよ」と大して驚いていないシマコです。きっとここでは、噴火は珍しくないのでしょう。
持っている蔦を緩めて凧を降ろそうとしたシマコですが、しっかりと持ち上げているケイコには分かりません、プカプカと浮いたままです。そこで、
「おーい、誰だっけ〜、とにかく降りてこーい」と叫ぶシマコに、
「ケイコじゃあああ」とだけ答えたケイコ、後は噴火の音で聞き取れなかったようです、ゴロゴロ。
ズドーンと噴煙が上がり、プカプカと浮きながらグルグルを持っているのが面倒になったケイコは、ヒョイと手を放しました。しかし体が勝手に浮き上がっていきます。どうやら噴火の勢いに引かれているのでしょう、どんどん上昇中のケイコです。
その様子を見ていたシマコは、きっとケイコは遊びに飽きたのだろうと思い、「またー、来いよー、一緒に遊ぼうー」と手を振るのでした。それに、
「さようならー」と手を振り返すケイコです、バイバイ。
しかし、このままでは噴火の煙に巻き込まれてしまうかもしれないケイコです。そこに、島の外側を流れる『気まぐれな風』がケイコを押し上げ、噴煙の、さらなるその上までケイコを運んでくれました。そうして、そこから季節風に乗せられ、東へと流されていくケイコです。因みにケイコの今日の運勢は『凶』です、はい。
◇