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8 妻からの報告

 朔夜は3日後も琴子が待つ家に無事帰った。

「ただいま帰りました」

 玄関から声をかけると、満面の笑みを浮かべた琴子が跳ねるように居間から出てきて迎えてくれた。

「お帰りなさいませ」

 それだけで朔夜は心に温かいものが満ちる気がした。

「夕ご飯はお済みですか?」

「まだです」

「ではすぐにご用意します」

 そう言ってふわりと微笑む妻を本当は今すぐ抱きしめたいのだが、台所からは母の、居間からは兄夫婦の視線を感じるのでとりあえず我慢する。

 居間で遅い夕食を摂り終えた朔夜に、琴子はよろしいですかと断ってから話し始めた。

「この前の続きなのですが、新しいお妃選びはすぐに行われるのですか?」

「年末年始は色々と行事がありますから、如月ごろになるようです」

「とても寒い時季ですね」

「東宮殿ではしっかり準備を整えるはずですので心配はいりません。それに婚姻の儀が春の良い頃になります」

「確かにそうですね。ところで、東宮殿に招かれるのはどなたになるのでしょうか」

「それはまだわたしにはわかりませんが……」

「あの4人の中から選ばれるのですよね。それとも別の方が参加される可能性もあるのでしょうか?」

「今から新しい候補を選ぶほどの時間はありませんから、ご学友から選ばれると思いますが……」

「やはりそうですよね」

 琴子自身は候補を下りてしまったとはいえ、ほかの4人は友人なのだから気になって当然だ。しかし苑子から口止めをされたので、朔夜はどうにも歯切れが悪くなってしまう。実際には楓、唯子、(あや)の3人になるのだろうが、それを話せば余計なことまで口にしてしまいそうだった。


 ふたりは2階の部屋に場所を移した。

「先日はすっかり聞きそびれていたのですが、義母上が家にみえたそうですね」

「はい、朔夜さまにもとてもお会いしたがっていました」

 琴子が嬉しそうに言った。

「せっかく来ていただいたのに、申し訳ないです」

「いいえ。朔夜さまのお役目のことは母もよくわかっておりますのでお気になさらないでください」

「ですが、できるだけ早くにお会いしたいです」

 自分のことを娘婿として認めてくれたらしい義母にきちんと挨拶したい。

「ところで朔夜さま。実は母が来た際に私が東宮殿から持ち込みました着物をすべて持って帰ってもらおうと思いました。こちらでは仕舞い込んでおくだけですので」

 残念ながら琴子の言うとおりなので、朔夜も賛成した。

「それがいいですね」

「ですが母には嫁入り道具を持って来られなかったのだから、その着物をお金に換えて必要なものを買うように言われました」

「しかし、それでは左大臣さまに……」

「父が知れば怒るでしょうが、返せなどとは言わないだろう。もっとたくさん持って来てしまえばよかったのに、と」

「そう、ですか」

「お義母さまやお義姉さまにも相談したところ、母の言うとおりにするよう仰ってくださいましたので、そういたしました。朔夜さまには事後報告になってしまい申し訳ありません」

「それは構いません」

「それで、お義姉さまにお願いして先日お買い物に連れて行っていただきました。そこで買いましたものですが、まず私の着物を4枚。それからこの敷物。あちらの姿見。足袋や下着はあなたのものも買いました」

 朔夜は琴子が示すものを順に見た。先日はこの部屋に琴子がいることが朔夜にとってはすべてだった。今改めて見れば朔夜だけの部屋だったときよりもいくぶん華やかになっている。だが、同時に驚いてもいた。

「そんなに買えたのですか。それほどたくさん持って来ていましたか?」

「持って来たのは4枚ですが、今回換えたのは2枚だけです。それから」

「まだあるのですか」

「あなたのお着物を。黒なら着ていただけるだろうと」

 琴子が箪笥から出して見せてくれた。朔夜が普段着ているものとあまり変わらぬもののようだ。義姉がついてくれていたなら大丈夫だろう。素直に礼を口にした。

「ありがとうございます」

「本当はお義母さま方にも何か買わせていただきたかったのですが、嫁入り道具の代わりなのだからすべて自分たちのために使うようにと仰られたので」

 母の気持ちがわかる気がして、朔夜は頷いた。

「それでいいと思いますよ」

「残りの2枚は、また入り用なものがありましたら使います」

「はい」

 朔夜は密かに嘆息した。今まで琴子はそれほどに高価な着物を身につけていたのか。


 誰が言い始めた言葉か知らないが、「貴族は見栄を張る生き物」らしい。己がどれだけの地位や権威、財産などを持つか示すために大きな屋敷を立て、広い庭を整え、高価な着物を身につけ、妻や娘を飾り立て、息子にはたくさんの家庭教師をつけ、多くの者を雇う。

 それが本当に己に見合うものならよいが、実際よりも見栄を張りすぎて家人に無理をさせたり、借金をしたり、中には破産する者もいるらしい。

 では士族はどうかと言えば、よく耳にするのは「質実剛健」。着物は動きやすさや丈夫さが重視される。屋敷がどれも似たようなのは競って大きな屋敷を建てることを嫌った結果らしい。侍女なども雇わず女性たちで家事は賄う。子どもに教育を受けさせることには積極的だが、通わせるのは無料の官営小学校。

 ただし、必要なところには出すのも士族の特徴だ。たとえば食事。常にたくさん用意し、急に食べる人数が増えたりしても食いはぐれることはない。余っても次に回せばいい。食は身体を作るものという考えなのだが、ようはいつでも有事に備えておくのだ。

 貴族と士族どちらの方が正しいとか良いとかではなく、考え方や文化の違いだと朔夜は思う。突然生まれ育ったのと全く異なる場所で生きることになった琴子のことが心配だった。だから祝言のあと、朔夜は自分から琴子に母のところで暮らしてほしいと言えなかったのだ。

 だが、琴子はここに馴染もうと努力しているというよりは、新しい世界を知ることを楽しんでいるようだった。義姉から譲られたという着物を嬉しそうに朔夜に見せ、家事についても母たちに教わったことをあれこれと語ってくれた。

「琴子はすごいですね」

 朔夜が褒めると、琴子は首を振った。

「何も知らない私を受け入れてくださったお義母さま方のおかげです」

 朔夜が琴子を抱き寄せると、琴子からも朔夜に身を寄せてきた。

「琴子がここにいてくれて良かった」

「私をここに連れてきてくださってありがとうございます」

 それからしばらく、朔夜は腕の中にいる愛しい存在を感じていた。

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