4 姑と初対面
美冬は馬車を城壁沿いに走らせ、広い皇宮を北側から回り込んで西へ向かった。皇宮の西に士族の屋敷が集まっていることは琴子も知識として知っていたが、実際に目にするのは初めてだった。
屋敷、とはいっても貴族のそれよりずいぶん小さく、さらにどれもよく似た造りをしていた。2階建ての屋敷の前には門も庭もなく、玄関が直接通りに面している。それぞれの屋敷で違うのは玄関脇の表札の名前くらいのものだ。
やがて馬車は「松浦」の表札の前で停まった。
「ここよ」
身軽に御者台から降りた美冬が玄関の戸を開けて中へ声をかけた。
「義母上、琴子さん来ましたよ」
奥からの返事を確認すると、美冬は馬車の荷台から長持を下ろした。琴子は促されて先に家の中へと入った。そこで琴子を迎えたのは初老の女性だった。
琴子は今までになく緊張しながら、丁寧に礼をとった。だが頭を下げてから、これは士族でも通用するものなのだろうかと考えた。恐る恐る頭を上げると案の定、義母がポカンとしていて、琴子も固まった。
「義母上」
琴子のあとから入ってきた美冬に声をかけられて、義母は我に返ったように笑顔になって言った。
「朔夜の母の頼子です。よく来てくれたわね」
「初めてお目にかかります。琴子と申します。不束者ですがどうぞよろしくお願いいたします」
今度は軽めに頭を下げた。頼子はジッと琴子の姿を見てから美冬に声をかけた。
「琴子さんに合いそうな着物あったら出してあげて」
長持を持って階段を上り始めていた美冬がはい、と返すと頼子は琴子に目を戻した。
「部屋は2階の奥よ。着物なんて何でもいいと言いたいんだけど、この家ではそれだと動きづらいと思うから、悪いけど着替えてね。それから荷物の整理をして、昼ご飯ができたら呼ぶわね」
琴子としては、気掛かりだった着物のことを頼子のほうから最初に口にしてもらえて少しホッとしていた。
「はい、お気遣いいただきありがとうございます」
「そんなに堅苦しくしなくていいのよ」
頼子は苦笑した。
階段を上って行くと部屋が3つ並んでいた。言われた通りに奥まで行くと、部屋の中で美冬が待っていた。
「荷物をありがとうございました」
「ここ朔夜の部屋なんだけど、もうしばらく使ってなくて。一応掃除して布団も干してるけど、あとは琴子さんの好きにしてね。もちろん手が必要なら貸すから。朔夜の物も残ってるけど、あなたが触れてもあの子は気にしないでしょう。着物、出してくるわね」
「はい、お願いします」
美冬が出て行ってからぐるりと部屋を見まわした。6畳ほどの広さに、寝台、小棚、小箪笥、衣桁。確かに、あまり使われている気配はなかった。
着物を手に美冬が戻ってきた。受け取ったそれは色柄、手触り、形と琴子の着慣れたものとはだいぶ違っていた。絹ではなく綿だ。
「もうわたしは着ないものだからあげるわ」
「どうもありがとうございます」
「ひとりで着られる?」
「はい、大丈夫です」
「じゃあ、何かあったら呼んでね」
ひとりになると、琴子はとりあえず渡された中で1番上にあった着物に着替えた。ひとりで着替えをするのは久しぶりだし、姿見がないのでしっかりとは確認できないが、どうやら上手くできた。着心地は悪くないし、袖が短いので軽い。今まで見慣れていた花や鳥などの刺繍はなく、赤地に同系色のひし形が並ぶ柄も素敵だと思った。
ほかの2枚と今脱いだ着物を衣桁に掛けると、風呂敷包みを解き長持の蓋を開けた。化粧道具と手鏡を箪笥の上に。筆記具と本は棚に。下着や足袋などは箪笥の最下段に収めた。着物は長持に入れたまま押入れに仕舞った。荷が片付いてしまうと、先程と少しだけ変わった部屋を再び眺めた。
正午を過ぎたころに呼ばれ、3人で昼食を摂った。居間に置かれた大きな座卓も皿に盛られた麺料理も琴子の初めて見るものだ。
「焼き蕎麦よ。家の昼はだいたい麺なの。食べましょう」
「いただきます」
麺と野菜を箸でつまんで口に運ぶ。
「どう?」
「美味しいです」
「それは良かった。おかわりあるよ」
「荷物は片付いた?」
「はい」
「着物もちょうどいいのがあって良かったわね」
「それはわたしが琴子さんくらいの時に買ったものだけど、今でも大丈夫でしょう」
「そうね」
食事は静かに、と躾けられた琴子にとってポンポンと会話が交わされる光景は呆気に取られるものだった。