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3 始まりの別れ

 昨日までと同じ時間に起床したものの、身支度を整えた琴子にはもはやするべきことがなかった。

 ひとりでの朝食のあとで思いたって部屋の外に出た。少し待っていると、食事を終えた苑子と楓が戻ってきた。琴子に気づくとふたりは足早に近づいてきた。苑子は琴子の手をしっかり握った。

「琴子さま。よかった、もう出て行かれたのかと」

「まだいたのなら食事くらい一緒にすればよろしかったのに」

 楓が言うのに、琴子はゆるゆると首を振った。

「けじめですから。でも、やっぱりおふたりに会いたくてここで待ちぶせしてしまいました。楓さま、昨日はありがとうございました。巫女姿、とても素敵でした」

「こちらこそ、琴子さまの祝言でお役にたててとても嬉しかったですわ」

「苑子さまも祝福していただきありがとうございました」

「友人なのですから、当たり前ですわ」

「姫さま、そろそろお時間が」

 苑子の侍女が後ろから急かした。苑子は嘆息した。

「仕方ないわね。別に永遠の別れではないのだし」

「琴子さま、またお会いするまでどうぞお元気で」

「はい、おふたりも」

 次に会う時にはどちらかは皇太子妃殿下になっているのだろう。そう考えながら琴子はふたりとわかれた。


 部屋に戻ってしばらく、父からの遣いが玉を迎えにきた。姫さまが皇宮を退くまでは、と玉は動こうとしなかった。

「もう玉にしてもらうことは何もないわ。家に戻って」

 琴子が言うと、玉は恨めしそうな顔を見せた。

「皇太子妃殿下になるはずのお方が、よりによってその護衛に嫁ぐなんて」

「玉、私の旦那さまをそんなふうに言うのはやめて。朔夜さまのお役目はご立派なものよ」

「ですが、士族の家で暮らすなんて苦労するに決まっています」

「それでも私が自分で選んだの。あの方の妻になれたのだから何だってするわ」

 琴子がどんなに笑ってみせても、玉は納得しなかった。ずっと側にいてくれた玉とこのように別れるのは辛かった。

「玉、今まで本当にありがとう。お父さまやお母さまたちのことをどうぞよろしくね」

 渋々先に皇宮を出て行く玉に、琴子は母への手紙を託した。


 皇太子殿下から許可を得て、執務室へと伺った。中から戸を開けた衛士が琴子と目が合うとにこやかに会釈してきたので琴子も返した。

「心配することはない。朔夜は休憩に行っているだけだ」

 殿下が可笑しそうに言った。無意識のうちに朔夜の不在を不安に思う色を顔に出していたらしい。

 琴子は改めて礼をとり、促されて座った。

「最後にご挨拶する機会をいただきありがとうございます」

「中宮殿と大宮殿には断られたそうだが気にするな。昨日も言ったとおり、おふたりも許しておられる」

「はい。殿下にはお礼の言葉もございません。いつかこのご恩はきっとお返しいたします」

 琴子は心からの感謝を述べた。

「朔夜を頼んだぞ」

 殿下とは笑顔の別れになった。


 出立の時間が近づき、殿下から荷運びのために人を遣ると言われていたので待っていると、やって来たのは朔夜だった。やはり東宮殿の父は子に甘いと琴子は思う。

「荷はこれだけなのですか?」

 朔夜が部屋に置かれた長持とその上の風呂敷包みを見て尋ねた。

「はい。ほかのものは玉と一緒に家に戻しました」

 もともと部屋に備え付けられていたものが多く、私物のほとんどは着物だった。それらは貴族の娘である琴子に両親が用意してくれたものなので、持って行くのは最低限。士族の嫁に相応しい着物は朔夜の実家で教えてもらって揃えるつもりだった。今日は持っている中で最も派手でないものを身に付けたが、朔夜の母に悪い印象を与えないかと不安だった。

「この着物はどうですか?」

「良く似合っていると思います」

 朔夜に訊いてみても、欲しい答えは得られなかった。いや、その表情は琴子を喜ばせるものだったのだが。朔夜が不思議そうな顔で琴子を見ながら、長持を持ち上げた。

「これならわたしだけで大丈夫ですね。殿下には必要なだけ呼べと言われましたが」

「私も持ちます」

 そう言って琴子は長持の上の風呂敷包みを手にしたが、大した重さはなかった。

「ありがとうございます」

「運んでいただいているのは私です」

 朔夜と並んで東宮殿の門を出てから、足を止めて振り返った。青空に朱色の柱が映えて美しい。しかし、琴子はキッパリと背を向けて再び歩き出した。

「名残惜しいですか?」

 朔夜に訊かれて、琴子は微笑んだ。

「いいえ。私の旦那さまのお仕事場なので、しっかり見ておきたかったのです」

「そうですか」

 朔夜が照れたように笑った。


 青龍門を出るとすぐ、朔夜を呼ぶ声がした。

「こっちこっち」

 見れば、右手の城壁沿いに荷馬車が停まっていて、その横で女性が手を振っていた。朔夜のあとから近づいて行くと、女性が琴子の母と同じくらいの歳なのがわかった。

「来られないんじゃなかったの」

「うん、すぐ戻ります。琴子、これが義姉です」

「初めまして、朔夜の兄嫁の美冬です」

 美冬はにっこりと笑った。琴子は緊張を覚えながらも深く礼をした。

「初めまして、琴子です。これからよろしくお願いいたします」

 朔夜も馬車に荷物を積んでから美冬に頭を下げた。

「琴子をお願いします」

「心配いらないから、あんたは役目に戻りなさい」

 美冬が言うのに頷いてから、朔夜は琴子を見た。

「できるだけ早く会いに行きます」

「はい。お待ちしています」

 美冬が先に御者台に乗り込むあいだに、朔夜は琴子の手に触れた。


 生まれて初めて荷馬車のそれも御者台に乗って、琴子は少しだけ興奮していた。

「女性でも馬車を御せるのですね」

「誰でもってわけではないよ。そもそもわたしたちはあまり馬車を使わないし。これは借り物」

「わざわざ私のためにありがとうございます」

「いえいえ。もっと荷物が多いと思ってたから」

「すみません。持って来られるものがこれだけしかなくて。何か必要なものはありますか?」

 やはり士族でも嫁入り道具というものはあるのだろうか、と琴子は考えた。

「別にないよ。家にあるもので間に合うでしょ。足りなかったら朔夜に強請ればいい」

 美冬はからりと答えた。

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