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24 6年ぶりの訪問

 その日の昼食は煮込み饂飩だった。最近の昼食は専ら琴子が用意している。

「うん、美味しい」

「だいぶ味付けが安定してきたね」

「ありがとうございます。義母上さまと義姉上さまのご指導のおかげです」

「朔夜がもっと帰ってきて食べてくれればいいのにね」

「まあ、これから朝夕も作れるようになっていけば、朔夜が食べる機会も増えるよ」

「はい。精進します」

「そういえば、まだ朔夜が殿下にお仕えし始めたばかりのころ、しょっちゅうふたりで昼ご飯を食べに来てたね。と言っても、一カ月くらいの間だけど」

「ああ、わたしたちはまだ官舎に住んでたから結局お会いできなかったんですよね」

「ふたりとは、朔夜さまと殿下ですか?」

「そうよ。もう6年前になるのかしら」

「殿下も同じものを召し上がられたのですか?」

「もちろん。いつもおかわりまでされたわよ。朔夜の着物を着て、朔夜の友人として扱えって言われるんだけど、まったく士族には見えなくてね」

「そうでしょうね」

「でもパタリと来られなくなって、かわりに二カ月に一度、朔夜に文を持たせてくださるようになったの」

「そうだったのですか」

「その文の中に琴子の名前がよく出てきたわよ。ほかの姫君たちのことも書いてあったけど、琴子が一番多かったからてっきり殿下の本命かと思ってたら、まさか朔夜のだったとはね」

「どんなことが書かれていたのですか?」

「それは、殿下とわたしだけの秘密だよ」

 頼子は楽しそうにフフと笑った。


「ただいま帰りました」

 昼食の片付けが済んだころ、ふいに表から朔夜の声が聞こえた。

「珍しいね、こんな時間に」

「朝に帰ってきたの、おとといでしたよね」

 琴子が急いで玄関へ出ていくと、そこにいたのは朔夜だけではなかった。

「琴子、元気そうだな」

 にこやかにそう言った皇太子殿下の姿に、琴子は思わず目を見開いた。

「殿下」

 朔夜のみを従えた殿下は文官風の形をしていたが、琴子にはやはり殿下にしか見えなかった。

「義母上さま」

 琴子は慌てて頼子を呼んだ。奥から出てきた頼子も目を瞠った。

「久しいな、頼子。息災であったか?」

「まあ、殿下。お久しぶりでございます」

「わたしの扱いは以前のままでよいぞ」

「ああ、はい。では昼食はいかがしますか?」

「もちろん、もらおう」

 そう言うと、殿下はさっさと上がりこんで勝手知ったる様子で居間へと入っていった。頼子も台所へ向かった。

 琴子が殿下に続こうとした朔夜を窺うと、その顔にも困惑が浮かんでいた。

「琴子にお話があるそうです。わたしもまだ内容は知りません」

 居間からは殿下が美冬に話しかける声が聞こえてきた。

 琴子も朔夜と一緒に中へ入り、並んで腰を下ろした。それを見て、殿下は目を細めた。

「朔夜と仲良くやっておるようだな」

「はい。殿下のおかげにございます」

「わたしも苦労の甲斐があったというものだ。ところで琴子、年明けに会ったときも思ったのだがそなた少し太ったか?」

 殿下の言葉に、思わず琴子は眉を顰めた。

「義母上さまと義姉上さまのご飯が美味しいので、つい食べ過ぎてしまうのです」

「よいではないか、もとが細すぎたのだ。そなたもそう思うであろう、朔夜?」

 朔夜が隣から琴子を見た。

「わたしは琴子であればどちらでも構いません」

「なんだ、その答えは」

 殿下が朔夜を睨みかけたところに、頼子が2杯の椀を運んできて殿下と朔夜の前に置いた。殿下の顔が綻んだ。

「懐かしいな、煮込み饂飩か。もらおう」

 殿下が箸を取る横で、朔夜もいただきますと手を合わせた。

「うん、相変わらず美味いな」

「これは琴子が作ったのですよ」

「ほう、琴子は料理までできるようになったか」

「まだまたでございます」

「頼子、琴子は嫁としてどうだ?」

「よくやってくれておりますよ。朔夜にこんな良い嫁が来てくれて、わたしも安心いたしました」

「それはよかった。琴子のほうはどうだ。朔夜はわたしの後ろにいるときには本性を隠しておるからな。思っていたのとずいぶん違っておったのではないか?」

 殿下の護衛である朔夜は無表情で無口だった。それは役目に忠実ゆえなのだろうと琴子は思っていた。

 実際、朔夜は琴子の夫になった途端にさまざまな表情を見せるようになったし、無口でもなかった。琴子を翻弄するほどに。

「確かに少し違っておりましたが……」

 そこまで言ってから、あとに何と続けるべきか琴子は迷った。横にいる朔夜を窺えば、饂飩を啜りながら朔夜も琴子を見返した。結局、琴子はニッコリ笑って素直な言葉を口にした。

「それゆえ、さらに愛しく思います」

「まったく、そなたもはっきり申すな」

「今さら殿下にお隠ししても仕方ありませんので」

「まあ、そうだな」

 殿下はハッと笑うと、饂飩に集中し始めた。


 殿下と朔夜がそれぞれ2杯ずつ饂飩を食べ終えてから、殿下が改めて口を開いた。

「さて、今日は琴子に話があって参った」

「わたしたちは外しましょう」

 頼子と美冬が腰を浮かしかけるが、殿下がそれを止めた。

「別に構わぬから、一緒に聞くがよい。無理にとは言わぬが」

 ふたりが目を見合わせてから再び腰を落ち着けると、殿下が琴子を見た。

「琴子、そなた我が妃に仕えぬか?」

琴子は首を傾げた。

「それはつまり、苑子さまのように女官になって、ということでございますか?」

「さすがに話が早くて助かるな。まさにそのとおりだ。すでに苑子には妃付になるよう内示を出した。わたしとしては琴子にも苑子とともに我が妃を助けてやってほしい」

 殿下が真摯な顔になった。

「貴族に生まれながら士族に嫁いだそなたも苦労したであろうが、皇家に嫁ぐ我が妃もこの先戸惑いや不安を感じることがあろう。だが、親しい間柄の琴子と苑子のふたりが支えてくれれば、きっと心強いはずだ」

 殿下が口にする「我が妃」という言葉には慈しみが込められていた。まだ決まっていないはずのお妃の姿が殿下には明確に見えているのだろうと琴子は思った。

「何か質問はあるか?」

 殿下の言葉に、美冬が疑問を口にした。

「女官になれるのは独身の女性だけではないのですか?」

「確かに未婚や未亡人の者が多いが、そうでなければならぬというわけではない。そもそも独身がよいのはお手付きになった場合にややこしくならぬようにであろう。そなたたちは今さらわたしが琴子に手を出すと思うか?」

「いいえ」

 皆が首を左右に振る中で、朔夜がキッパリと否定した。信頼のようであり、牽制のようにも聞こえた。殿下が朔夜を睨みながら言った。

「女官になるなら東宮殿の寮に部屋を与える。もちろん、そなたたちに子ができれば配慮する」

 殿下は琴子と朔夜、さらに頼子、美冬と順に顔を見て、最後に再び琴子に視線をやった。

「しっかり考えて、決めろ。あまり猶予はやれぬが」

「はい」

「入門許可証を用意してきた。この話を受けるなら、東宮殿に来い」


 殿下とともに皇宮へと戻る前に琴子を見た朔夜は、複雑そうな顔をしていた。そしてそれは琴子も同じだった。

「殿下から直接頼まれるなんて、やっぱり琴子は凄いんですね」

「もともとお妃さまにだってなれる娘だったんだからね。朔夜の嫁として家にいるだけじゃもったいないわ」

 美冬と頼子が他意なくそう言っているのは琴子にもわかっていた。

「お洗濯物、取りこんで参ります」

 琴子はひとり裏庭に出た。溜息を吐いてから、物干し場へ向かう。

 確かに、皇太子殿下から女官にと望まれるのはとても栄誉なことだ。妃殿下になる友人を支えてあげたいとも思う。女官として楽しそうに働いている苑子が一緒なら琴子も安心だ。

 だが一方で、この家での平穏な暮らしを失ってしまうことが琴子には惜しかった。頼子や美冬から色々なことを教わり、少しずつできることが増えてきた。それを琴子は苦労とは捉えていなかった。

 朔夜はどう思ったのかも聞きたかった。今夜は帰って来るのかと訊きそびれたことに今さら気がついた。

(同じ東宮殿で働くようになれば、少なくとも毎日会えるのかしら)

 冷たい風の中で、そんなことをぼんやりと考えた。


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