22 再びお妃選び
「東宮殿に再び妃候補たちを迎える前に、朔夜に訊いておきたいことがある」
殿下がいつになく真剣な表情で口を開いた。殿下の前に腰を下ろした朔夜も気を引き締めた。
「我が東宮殿の警備は緩いのか? 穴だらけか?」
殿下の問いに、朔夜は目を瞬かせた。
「そんなことはないと思いますが」
「ではなぜ、妃候補の部屋への侵入を許す」
殿下の言葉の意味を理解して、朔夜はわずかに身を縮めた。殿下は改めて、今度ははっきりと朔夜に尋ねた。
「あの夜、そなたはいったいどうやって琴子の部屋に入ったのだ?」
「どうやってと言われましても、表の戸を開けて入りましたが」
「だから、なぜそんなことが可能なのだ。まさか守護隊の衛士たちが皆でそなたのことを見て見ぬふりしたわけではあるまい」
「もちろん、違います」
朔夜はキッパリ否定した。殿下がジットリとした目で朔夜を見つめた。こちらの表情のほうが朔夜には馴染みがある。
「ならば、説明せよ」
「……まず、警備というものは基本的に外からの敵に対して備えるものです。ですが、今回の侵入者は初めから中におりました」
「それはそうだな。というか、そなただろう」
殿下が目を眇めた。ますます見慣れた顔になった。
「さらに、わたしは東宮殿の中をいつひとりで歩いていてもまったく怪しまれない唯一の者です」
「真雪だってひとりで歩いていたとて怪しまれまい」
殿下が言うのにすぐに答えたのは真雪自身だった。
「文官のわたしが真夜中にウロウロしていては怪しまれることもありましょう」
「東宮殿の主たるわたしは怪しまれまい」
胸を張る殿下に、再び真雪が言った。
「いくら東宮殿の中であっても、殿下がおひとりで動かれるなどあってはならぬことでございます」
「そうか」
殿下は面白くなさそうに口を曲げた。朔夜がさらに言った。
「ついでに申せば、わたし以外の衛士はふたり一組で役目に着くのが決まりです」
「それで?」
殿下が先を促した。
「ですからわたしはあの日お役目を終えたあと、適当な時間まで東宮殿の中をブラブラと歩いたり、衛士控所で茶を飲んで休んだりして過ごしておりました」
「なぜか聞いていてイラっとするな」
殿下が言うのに、真雪が冷静に返した。
「そのようにしていても誰にも見咎められることがないのは、殿下にも原因がありますので仕方ないですね」
「わたしが悪いのか?」
「殿下が普段ある程度の時間で朔夜を解放していれば、こんな時間まで何をしているのかと怪しむ衛士もいたでしょう」
「……続けろ」
「守護隊の警備計画は常にわたしも共有して頭に入れてあります。ですから、妃殿下候補の部屋周りの警備がもっとも手薄になる時を選んで近づき、衛士たちが外に備えて背を向けているうちに部屋の脇の影に紛れました。普段から黒い着物を着ていたことがここで役に立ちました。あとはそのまま灯りを避けて戸まで近づき、音を立てぬように開けて部屋の中に入っただけでございます」
殿下はしばし考える様子を見せた。
「真雪、そなた同じことができるか?」
「わたしにできるはずがありませんし、そもそもわたしはそのようなことをするなど考えもしませんので」
「まあ、そうか」
「一応お聞きしますが、朔夜にこれを訊いたのは今後の警備の参考にするためですよね。殿下ご自身がお妃候補の部屋に忍びこむためではなく」
真雪が尋ねるのに、殿下は大げさなくらいに目を剥いた。
「当たり前であろう。なぜわたしが朔夜の真似をせねばならぬのだ」
「ならば、よいのです」
朔夜には真雪の目が少しだけ冷えて見えた。
「だが、あまり参考にはならぬな。内からの侵入者などそうあっては堪らぬ」
殿下がフンと鼻を鳴らして朔夜を睨んだ。
睦月の終わり、東宮殿に再び3人の姫君が迎えられた。皇太子殿下がお妃候補とお茶をするのを、少し離れた場所から朔夜は真雪とともに見守っていた。真冬なので姫君方用の食堂に準備がなされた。ご学友のころには朔夜を怖がっているようだった文と唯子がチラチラとこちらを気にしていた。楓は相変わらず泰然として見えた。
「今でも琴子どのがお妃さまに一番相応しいと思っているか?」
真雪に訊かれて、朔夜は即答した。
「思ってない」
朔夜はもう自分の妻ではない琴子を想像できない。したくもない。
「まあ、あとは殿下の望まれる方が無事妃殿下に選ばれればめでたし、だな」
「望まれる方?」
朔夜は横目で真雪を見た。真雪はいつもどおりの涼しい顔だ。
「なんだ、気づいていなかったのか。誰でもいいなら、あの方がわざわざあのように回りくどいことなどするものか。今ごろ女院が選ばれた方をお妃に迎えていたはずだ」
思わず眉を顰めた朔夜に、真雪が尋ねた。
「利用されて腹が立つか?」
朔夜は少し考えてから答えた。
「ただお妃選びをやり直すためだけなら、わたしと琴子を処罰するほうが簡単だったろう。夫婦にする必要はなかった」
「優秀な護衛を殺すのが惜しかっただけだ。それに恩を売っておけばお前は一生殿下の側にいるしかない」
「もとよりそのつもりだ。だから腹は立たない。感謝している」
朔夜はそれだけ言うと再び護衛の役目に集中しようとしたが、やはり気になった。
「殿下の望む方とはどなただ?」
「一カ月後にはわかるだろ」
真雪はその方が妃殿下に選ばれると確信しているらしかった。しかし今は背中しか見えない殿下の心の中にいるのがいったい誰なのか、朔夜にはわからなかった。
やがて殿下が執務室に戻る時間になった。姫君たちは立ち上がって殿下に礼をした。朔夜と真雪が殿下の後ろに近づくと、唯子が朔夜を見つめた。
「朔夜どの、琴子さまはお元気ですか?」
以前は姫君たちから話しかけられたことなどほぼなかったので、少し驚きながら朔夜は答えた。
「はい、元気でございます」
「それは良かった」
ぎこちない感じではあるが唯子が笑った。隣で文と楓も微笑んでいた。朔夜はこの姫君たちにとって自分が友人の夫、という存在に変わったのだということに初めて気がついた。
その夜、琴子のもとに帰った朔夜は3人の姫君たちのことを彼女に伝えた。琴子は友人たちの様子を聞いて顔を綻ばせた。
「皆さま、お変わりないようで良かったです。今回は無事にお妃さまが選ばれるとよろしいですね。私が言うのもおかしいですが」
「これは真雪に聞いたことなのですが、殿下はすでに妃殿下にされる方を決められているようなのです」
朔夜はやや声を潜めて言った。
「でも殿下のお妃さまを選ばれるのは皇太后さまと皇后さまですよね」
「殿下のお考えはわたしには測りきれませんが、おそらくあの方の望まれる結果になるのでしょう。そのためにお妃選びをやり直しにしたようですから」
「つまり文さまか唯子さまがその方ということになりますね」
「はい」
頷いた朔夜に、琴子はフッと微笑んだ。
「大丈夫です。どちらだとしてもきっと素晴らしいお妃さまになられます」
「そうですね」
『好いた女が他の男のものになるのを黙って指を咥えて見ているのか。それで平気なのか』
4カ月前に朔夜の気持ちを揺さぶって琴子の部屋へと忍びこませ、結果的に朔夜と琴子を結びつけることになった殿下の言葉が思い出された。
(あれはご自身に対して言われた独り言だったのか?)
皇女さまのご学友だった姫君が妃選びに参加しないことが決まれば、いつ別の者との縁談がまとまってもおかしくはなかった。あのころ殿下が珍しくイライラして見えたのは、そういう理由だったのだろうか。
気づけば、しばし考えに耽っていた朔夜を琴子がジッと見上げていた。
「あ、すみません」
「いえ、あなたの大切な殿下のことですから」
琴子にそう言われても素直に頷けないが、とりあえず真相は今となってはどちらでもよかった。朔夜は琴子を抱き寄せると、その髪に鼻を埋めた。ふたりにこの時間をくれた主が、同じように自身の望む方と穏やかに過ごす日々を得られることを願うばかりだ。
もちろん朔夜がそんなことを口にすれば「偉そうに」と睨まれるのは目に見えているので、殿下に直接伝えるつもりはなかった。




