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20 時の移ろい

 東宮殿守護隊の隊長に付き添われて、樹が執務室の皇太子殿下のもとに挨拶に訪れた。

 しっかりと礼をとったものの、樹はやや緊張しているようだった。

「初めてお目にかかります。本日より東宮殿守護隊に仮配属になりました松浦樹と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

「朔夜からそなたの話は聞いておる。面を上げよ」

 いつもどおり戸の傍に立つ朔夜から樹の顔は見えないが、殿下が樹を興味深そうに見ているのはわかった。

「あまり朔夜には似ていないな。歳は?」

「17になりました」

「なぜ東宮殿守護隊を希望したのだ? そなたの父も祖父も朱雀門であろう」

「門を守る役目の重要性は幼いころから聞かされてわかっておりますが、私はもっと中の世界も見たいと思ったからです」

「つまり宮中ということか」

「はい。宮中は貴族の世界だと思っておりましたが、朔夜兄……叔父が殿下にお仕えするのを見て士族でも近づくことはできるのだと気づきました」

「近づいて後悔するかもしれぬぞ。あまり綺麗な世界ではない」

「もちろん覚悟はしております」

「ならよいが。もうひとつの覚悟はしたのか?」

 樹は首を傾げた。

「朔夜はわたしの優秀な護衛だ。それこそ宮中でも皆が知っておる。その血縁であるそなたは初めから特別な目で見られよう。東宮殿においても期待は高い。裏切ることのないよう励め」

「はい。心して勤めます」

 樹が再び深く頭を下げた。4つしか変わらぬとはいえ甥の成長を目の当たりにして、朔夜は感慨深かった。だが殿下はニヤリと笑って余計な言葉を口にした。

「とはいえ、第一印象だけなら朔夜より良いのではないか?」

「そうでございますね。朔夜は緊張感がなく、礼儀も持ち合わせてはおりませんでしたから」

 真雪もそう続けたので朔夜はムッとして、つい口を開いた。

「あのときは殿下が突然目の前にいたからではありませんか。それにわたしはまだ15でした」

「15も17も大して変わらぬだろう。17のころのそなたは……」

 殿下はしばし朔夜の顔を見てから、ふいと目を眇めた。

「樹、言っておくが東宮殿にいてもおそらく貴族の姫は娶れぬぞ」

 殿下が言うのに、樹はキッパリと答えた。

「そのような覚悟は私にはできません」

「そうか。安堵した」

 殿下は可笑しそうに言った。


 朔夜は寝台の上で目を覚まし、ハッとした。部屋の中はすでに真っ暗で、隣には琴子の眠る気配。朔夜は小さく嘆息した。妻の肌に触れる前に寝てしまった。

 初めのころはしっかり耳を傾けていた琴子のお話だが、やはり妻の声と膝の心地良さに抗えず、いつからか再び途中で眠ってしまうようになった。

 大抵はすぐに目を覚ますのだが、時おりそのまま眠り込んでしまっても琴子は起こしてはくれない。逆の場合、朔夜が琴子を起こさなければ可愛らしい顔で拗ねるくせに。

 だから最近では朔夜のほうが琴子を膝に乗せてお話を聞くようにしていたのだが、この夜久しぶりに膝枕をしてもらった結果がこれだった。

 一方、近ごろ琴子は朔夜の腕の中でいつの間にか寝ている、ということが少なくなってきた。素肌を合わせたまま会話を交わすことも増えた。

 ただ、琴子に寝巻を着せる役目は今も朔夜のものだ。琴子は一時は自分で着ようとしたのだが、朔夜が譲らなかった。諦めた琴子の指導が入るようになって、朔夜の腕は上がっていた。

 朔夜は琴子を起こさぬよう、そっと抱き寄せた。せめてもと、その匂いと寝巻越しの体温を味わう。

 ふと、先日樹が口にしていた覚悟という言葉を思い出した。朔夜が琴子と出会ったのは今の樹と同じ17歳のときだったが、朔夜にも琴子を妻にする覚悟など長い間できなかった。だが、こうして琴子を感じることができるようになってしまえば、もう妻を手離すことなど決してできないと思う。

 朝妻を起こすのもやはり夫の役目のままだが、明日の朝は琴子が朔夜を起こしてくれるかもしれない。できれば家を出る前に琴子を抱きしめるだけでなく、口づけくらいはしたい。そう考えながら朔夜は再び眠りについた。

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