〜人形〜
俺の向かいの家には同い年の女の子が住んでいた。所謂、幼馴染というやつだ。
名前はそうだな、仮に香織としておこうか。 大学に入ってからお互い疎遠になっていたが、どうやら彼女は就職を期に実家に帰ってきていたらしい。
そんな香織に久しぶりに会ったのはお盆に俺が帰省したときのことだった。数年ぶりに会った彼女はなんというか、とてもやつれていた。家の前で偶然出会った彼女は一瞬誰かと思わせるような疲れた顔で、俺は声をかけるのも少し躊躇ってしまった。
「よ、よう、久しぶりだな。」
「...うん、久しぶりだね。元気してた?」
「俺は相変わらずだけど...どうした?香織、ずいぶん疲れてるみてーだけど」
「...ううん、大丈夫。なんでもないの。」
「? そっか、ならいいんやけど。でもなんかあるなら気軽に言えよ?」
「ありがと...」
そう言って香織は張りの無い声で礼を言って家に戻ってしまった。香織は一度家の前のゴミ置き場に目をやっていたが、そのときはそこにはもうなにもなく回収車が行った後のことだった。
あいつ、失恋でもしたんだな。そう勝手に思った俺はやることもなかったので、そのままパチンコに向かった。暑い日はクーラーの効いた店内で過ごすに限る。結局、大した勝ちにもならずにダラダラ打ち続けて、家に帰ったのは夜8時を少し過ぎたあたりだった。
しかし玄関に入るなり母親から「香織ちゃんが来てるよ。」と告げられた。リビングに向かうと彼女は俯いて座っていた。俺が来たことがわかったのか顔を上げるが、香織はなにも言わない。
「おう、どうした?やっぱなんかあったんか?」
「...」
今日は親父は親戚筋の集まりで飲みに行っている。母親も気を遣ってか別室から出てくる気配はない。俺はテーブルを挟んで香織の向かいに腰をおろす。
「んだよ。なんかあったから来たんだろ?」
「...今から話すこと信じてくれる?」
「信じるもなにも、話してくんなきゃわかんねーだろ」
「あ、あのね、許してくれないの。」
「何が?」
「私を」
「誰が?」
「に、人形が...」
「は?」
やっと重い口を開いたかと思えば香織はこんなことを言う。てっきり恋愛や仕事のことだと高を括っていた俺は拍子抜けしてしまった。
「香織、お前何言ってんだよ。こえーよ。」
「だって!ほんとうに人形が...!」
香織の話を聞くには香織は今、介護施設で働いているのだという。そこで懇意にしていたおばあさんが先日亡くなり私物を整理していたが、その中にはおばあさんが生前大事にベット脇に置いていた人形があったらしい。なんでも自分が死んだらこの子をもらってほしいと言っていたそうだ。おばあさんの身内には院内の私物は処分してほしいとのことで躊躇ったが人形も一緒に捨てたのだそうだ。悪いとは思ったが持って帰るにはあまりにも、何というか、少し気味が悪かったらしい。
「で、その捨てた人形がどうしたんだ?」
「...家に来るの。」
「は?いや、だって来るっておまえ」
「...朝起きると家の中に置いてあるの!」
そこで香織は泣き出した。はじめは家の前に置いてあったそうだ。出勤するときに見つけ戦慄したという。そのままゴミ置き場に投げ入れて仕事に行ったのだという。
「帰ってきたとき怖かったけどゴミ置き場を見たら、朝投げ捨てたままの状態でゴミと一緒にあって...そのまま次の日の朝になったらなくなってるって思ったの、でも!」
「でも?」
「朝起きたら人形が玄関にいたの!」
「な、なんだよそれ...」
「もう怖くなって、お母さんにもお父さんにもすぐに言ったけどわからないって言ってて」
「...で、人形どうしたんだよ?」
「また捨てたの。今度はちゃんと持っていってもらえるようにゴミ袋に入れて置いておいたけど」
「やっぱり朝になると何故か家にいたと」
「...うん」
「今は?」
香織は黙って窓の方を指差す。方向からしてゴミ置き場があるところだ。そこはうちからもよく見える。
「...見てみるか。」
「えっ」
俺は香織の話がどうも俄かには信じられなくて実物があるなら見てみようと思った。
靴箱から懐中電灯を取り出し、家の前のゴミ捨て場に行く。明日は不燃物の回収の日だ。各家庭からもう何個かゴミ袋が出されていた。俺は香織の指示する袋を手にとった。確かに半透明のゴミ袋には古い西洋人形が入っている。袋から透けて見えるその人形は整った顔こそしてはいるが、青い目が両目とも違う方向を向いていてそれが余計に気味の悪さを助長している。
「たしかに気持ち悪いな。」
「気持ち悪いだけじゃないの!ほんとに家の中に入ってきて...」
正直、ゴミ袋から透けて見える人形は不気味な雰囲気ではあったが俺はこんなものが勝手に家に入ってくるとは思えなかった。しかし、いい大人がここまで怯えているのを無下にも出来ずにいた。それほどまでに香織は憔悴した顔をしている。聞けばもう4日もろくに寝れていないらしい。
「それで今日はお父さんもお母さんもいなくて...」
「...じゃあうちに泊まってけよ。俺はリビングで寝るし、俺の部屋で寝ればいい。」
「い、いいの?」
「それはかまいやしないけど。お前さ、ほんとに人形が入ってくるならとりあえず家の玄関とかに盛り塩でもしようぜ?、効くかわからんけど」
「...うん、そうだね」
俺と香織は人形の入った袋をゴミ置き場に戻しとりあえず各自の家に戻った。かおりは着替えを取りに、俺はテキトーな理由をつけて母親に今日は香織と部屋で飲むと言った。母親は意外にも茶化しもせず了承した。きっと家に来たときの香織の顔からなにか悟ったのだろう。しかし勝手に家にあがる人形に怯えているとはよもや思うまい。
1時間ほどして香織がまたうちにやって来た。風呂にでも入ってきたのだろう、寝巻き姿でなんだかいい匂いがした。
「ちゃんと塩置いてきたか?」
「うん、合ってるかわからないけど小皿に盛って玄関と家の四隅に置いてきたよ」
「そうか、まあお前は疲れてるんだしさっさと寝ろよ。俺の部屋はわかんだろ?」
「...ありがと」
香織が二階に上がって行くのを見送ってから俺はなんとなくだが台所から塩を持ってきて我が家の玄関先にも二箇所盛り塩をしておいた。そして、リビングに布団を敷いて少し早いが自分も寝ることにした。
しかし、部屋の電気を落とし目を瞑っても今日はやけに目が冴えている。大人になった幼馴染が自分の部屋で寝ているからだろうか。そんなことを冷静に考えるとやはり思考はゴミ置き場の人形に行き着く。人形の怪談なんてのはよく聞くし、捨てた人形が帰ってくるなんてのはありふれたほどよく耳にはする。しかしながら実際のところはどうやって人形が帰ってくるのか疑問になる。人形が歩くのか?それとも宙に浮くのだろうか?
気になった俺はゴミ置き場を眺めることにした。そのときは不思議と怖くはなかった。ソファでタバコをふかしながらリビングから半分ほど見えるゴミ置き場を観察する。しかし、何も起きることはなく時間ばかりが過ぎていく。
どれくらい時間が経ったのだろうか、気付けばウトウトし始めていた頃、なにやらガサゴソという音で少しだけ脳が覚醒した。窓の外を注視する。なんだあれは。何かいる。何やら人影のようなものがゴミ置き場にいるように見える。ゴミを漁っているようにも見えた。
よく見ようと立ち上がって見ると人影はゴミ袋から人形を見つけ取り出していた。俺は声が出せずにいた。人影は腰を曲げたまま立ち上がりそのまま香織の家に近づいていく。後ろ姿からしか見えないが歩き方から見て老人のような足取りで人形を抱えている。しかし、足がぱたりと香織の家の前で止まる。そしてなにもないところで手をまるで壁に打ち付けるように何度も何度も激しく叩きつけるような動作をしている。俺はこのときになってやっと気付いた。アレはこの世のものじゃない。アレが人形を運んでいたんだと。そして、なんとなしに行った盛り塩が功を奏したのだと。
すると、あれだけ激しく振っていた手を下ろし人影は急に動かなくなった。俺はどうしたものかと身を乗り出して窓から見ようとしたとき、人影がばっとコチラを振り向いた。青い目と完全に目が合った。人影の顔は人形とまるっきり同じ顔をしていた。無機質な目がこちらを捉えている。やばい、見つかった。俺は驚いて尻もちをつくがそこから体が動かない。先程までとうってかわって人形の顔をしたそいつが凄い速さでこちらに近づいてくる音が聞こえる。ドンドンドンドン!玄関を猛烈な勢いで叩いている。やばい、やばいやばい。一体なんなんだ。一瞬しか見えなかったが人影は老婆のような見た目に真っ白な人形の顔をしていた。アレが来てしまったらどうなるんだ。俺はパニックになりかけていたが、急に音が止んだことに気づいた。そして窓が陰り暗くなっていることにも。窓の先から青い目がこちらを見ていた。無機質だったその顔は口が耳まで裂けて笑っている。ああ、もうダメだ。俺はもうそう思った。そして恐怖と絶望で気を失いかけたとき、急に道路から明かりが灯った。
車の音がして家の前で止まる。そしてなにやらガチャガチャと玄関から聞こえ、誰かが入ってきた。
「んだこれ。なんでこんなに玄関塩まみれなんだ??」
現れたのは俺の父親だった。ちょうど先の飲み会からタクシーで帰ってきたところだったらしい。
「人影?なんも見とらんぞ?」
父は酔ってはいたが冷静で俺の様子を見るなり普通ではないことを理解してくれた。
俺は父親に事の次第を話し一緒にゴミ置き場を確認した。しかし、そこには人形などなく破れたゴミ袋があるだけだった。そして玄関の盛り塩は散乱しており半分以上が黒く変色していた。
それから次の日になっても人形は現れなかった。そして結局あれはなんだったのかはわからなかった。だが今でも俺の家の玄関には盛り塩が置いてあるし、今でも夜窓の外を見るのは気が引ける。
いつかまたあれが来るのではないかと思うと背筋が寒くなるからだ。俺があの夜見たあれはきっとまだ彷徨っている。人形を連れて。