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お茶会にて上


 

「あら、ごきげんよう。セフィーヌさまも本日こちらに招かれていましたのね。会えてうれしいですわ」


「ごきげんよう。そういえばこうしてお目にかかるのは数か月ぶりではないでしょうか。最近はいかが?」


「まったくだめですわ。保養地ならばきっといい出会いがあるかと思いましたのに……どなたにもちっとも縁がなくて」


「出会いはともかくとして、保養地ならば色々とのんびりできたのではありませんか? それこそ自転車で悠々とサイクリングするとか……」


 それは単に彼女自身がしたいことである。


「サイクリング? 最近確かにブームになっているようですけれど、まだ乗ったことがありませんの。なんでも足元がすうすうして落ち着かなさそうでしょう? なかなか勇気が出なくて。セフィーヌさまは持っていらっしゃるの?」


「ええ、実は先日ハルドンパークで少々。我が家では芝生が傷むからとあまり広いところで練習できなかったので、大いに楽しみました。汽車に乗るように景色がみるみるうちに動き、まるで風と一体になったようで……」


 胸に手を当てたセフィーヌの、エメラルドグリーンの瞳がきらきらと光る。熱っぽささえ感じさせる輝きに、さして興味がなかったはずの相手の令嬢も、


「そうでしたの。セフィーヌさまがそうおっしゃるのだから、向こうで勧められた時に一度ぐらいやってみればよかったですわね……」


 などと告げている。


 その周囲でうんうんと頷いているのは、同じお茶会に誘われた若い令嬢たち。セフィーヌと同じく自転車に乗ったことのある令嬢は「ぜひ今度はセフィーヌさまとご一緒させていただきたいです」と言っている。


「いいですね!」


 彼女もにこにこしながら答えていた。


 ああやって振る舞っていると、彼女も傍目にはごく普通のうら若き貴族女性だった。


 愛想もいいし、ころころと笑う。聞き上手で話し上手。少々突飛な発言はあってもそれは可愛げの範囲内だ。

 

 時に人目を憚らない『失恋劇場』のせいで見過ごされがちだが、「恋」が関わらない限り、彼女は常識をわきまえた普通の淑女だった。


 家柄も騎士を祖先とする辺境伯で、領地経営は黒字でもないが、赤字でもない。貴族院議員の席はあれど、それを振りかざして何かを声高に主張することもないので知名度は低いが、悪名が高いよりは断然いい。


 彼女はそんな辺境伯の末娘。本来ならばそこまで結婚相手に困らないはずだった。


「セフィーヌ・フラゴニアを非常識だ、はしたないとおっしゃる方は確かにいらっしゃいます。かくいうわたくしもそうでした。彼女、初対面だったはずの夫の従者にひとめぼれして、その場で告白していましたわ。それで、なんという方なのかしら、と心の中で盛大に文句を言っていたものです」


 だが客間からセフィーヌ・フラゴニアのいる庭の集団を見つめる女主人――お茶会の主催者のマゴット伯爵夫人の目は驚くほど優しい。


「けれど、話しているうちにわかりましたわ。彼女とのおしゃべりはとても楽。親しみやすくて、居心地がいいのですよ。あれを計算してやっていないのが彼女のすごいところ。……男性の方は『失恋姫』というレッテルに目がくらんで気づいていないようですが、実は結婚するにはいい条件をお持ちです。それに彼女は……」


 夫人の言葉が途切れ、思い出したように「ああ」と扇子に口元を当てて、彼に微笑む。円熟した女性の色香がにじみ出る。


「ジドレルさまはまだこちらに帰国されたばかりでしたわね?」


「その通りですよ、夫人」


「ならばそのうち耳に入るかもしれませんね。でも、今は後の楽しみに取っておきましょう。ジドレルさまが特定の女性についてわたくしに訊ねてくるのはとても珍しいことですから、あとは自分の目でお確かめくださいませ」


 それ以上、何も言う気はないと口を噤んでしまった。


 マゴット夫人は社交界の中でも特に交友関係が広く、噂話や縁談、人望などは必ず彼女の耳を通ると言われるほど。ジドレルの帰国にいちはやく気づき、招待状を送ってきたのも彼女だ。


 それを渡りに船とばかりに応じたのがジドレルである。元々本格的に社交界に復帰する前に会っておきたい人物だったが、彼の目下の関心の的となったセフィーヌ・フラゴニアもそのお茶会に参加するということで即決したのだ。


 すべては彼の思惑通りに事が運び、ジドレルは招待客の中で一番後に夫人とともに颯爽と登場する役割を仰せつかった。


 ちょっとした余興の類だが、彼はこの役回りを喜んで引き受けた。彼は自分が社交界の寵児であることを自覚している。自分が現れるだけで、その場の男たちは皆かすみ、女性たちの視線は全部彼への賛美に溢れているのを知っていた。


 女性にもてはやされるのは一種の快感だ。


 男たちの醜い嫉妬などなんのその。



 そんな彼の恋愛観は惨憺たるもので、自分の愛は大勢に与えるべきものと本気で思い込んでいる。


 誰か一人に縛り付けられるのはごめんで、誰かを自分が深く愛するなんてぞっとする。


 もしも気の迷いで結婚などしてしまったら、自分のやることなすことすべてにケチをつけてくる監視者が増えるということだ。


 ……まったくもって最悪な話だ。結婚は人生の墓場そのものだ。


 ボーン、ボーン、とどこかで柱時計が鳴る音が響くのと同時に、使用人が彼らを呼びにやってきた。


 お茶会の始まる時間だ。


「参りましょうか、夫人」


 ジドレルが主催者へエスコートのための片手を差し出す。


 ええ、と夫人がその手を取り、二人は腕を組む恰好となった。


「それにしても『坊ちゃま』」


「やめてくださいよ。もうそんな年でもないのに」


 ジドレルが心外そうな顔を見せれば、夫人は目じりの皺を深めてくすくすと笑う。


「あら。わたくしからしたらいつだって昔の天使のように可愛かったジドレル坊ちゃまのままですよ。だからこそ、あなたのちょっとしたお願い事だって聞いてあげようとしているではありませんか」


「それには感謝しています、夫人。……でもこれまでそうなかったことでしょう?」


「そうね。あなたから特定の招待客について問い合わせがあるなんて、そうないことでしたね」


「でしょう?」


 彼の相槌に何を思ったのか、歩きながら夫人は彼の方をちらりと見て、


「……ぜひとも話がまとまったなら、わたくしを立会人として呼べばよろしいわ」


 瞬間、はじかれたような笑い声が響いた。


「立会人? まさか、結婚の? ――そんなことは天と地がひっくり返ったってありえませんね。これはただの暇つぶしですよ」



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