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 『ケイン・ルージュ』は物語の登場人物を考える時、特定のモデルをイメージしているわけではなかった。何人かの人の特徴を組み合わせ、想像で補う。日常の中でこれぞ、と思ったアイディアを目いっぱいに詰め込んで人物像を膨らませている。


 『ヴィンセント』もそうだと思った。ある朝ふと目覚めた時に頭の中で勝手に動き出した『彼』にセフィーヌはわくわくとどきどきを止められずにペンを取ったのだ。それがある人物が備えている雰囲気や言いそうな言葉とそっくりそのままだったことに気付きもしないで。だって本当にわからなかったのだ、本人はその時、遠い国に滞在していたのだから。


「……できた」


 その後、二日でセフィーヌは脚本を書き終えて夫人に原稿を送る。夫人は原作とは違った趣向に目を丸くする。面白そうねと告げて、印刷したものをすぐに芝居の参加者たちに配った。

 衣裳や舞台の飾りつけはシーレ氏が率先して関わった。セフィーヌは振られてから一度もまともに逢っていないが、気遣いのこもった手紙をもらい、それに返事をした。次に顔を合わせてもきっと平気な顔で応対できるだろう。

 そういえばセフィーヌの元に定期的にやってくる編集者のベトヴェン氏は近頃非常に上機嫌なようであった。


「私のところにも招待状が届きましたよ!」


 日時の入ったカードを見せにきて、「いやあ、楽しみですなあ!」と髭面を撫でつつ、好きな事だけしゃべり倒して帰っていこうとする。


「聞き忘れていたわ。『ミューズ』に今度の芝居を見に来るように言ったのってベトヴェンさんでしょ?」

「は? いいえ、違いますよ」


 ベトヴェンは首を振った。


「ライバルに余計な情報をくれてやるわけありません」


 彼はにやっと笑う。その鼻は金の匂いをかぎ取ったか。大丈夫かと思うセフィーヌである。

 また『ミューズ』に行くと、例の店長が毎度毎度丁寧に接客してくれた。コンシェルジュの青年はなかなか緊張が解けない様子なので、もっと仲良くしたいセフィーヌ。毎回明るく挨拶して、フレンドリーにしているつもりなのに。


 そんな感じでセフィーヌの日々は過ぎていく。脚本家は、脚本を書くまでが大きな仕事だったから彼女は芝居までの日にちをのんびりと過ごした。芝居の練習を覗きにいこうと思ったけれども、本番のお楽しみにとっておきたい気持ちが勝る。

 キッソン侯爵からは会わない代わりにとめどなく手紙が届く。芝居の練習と仕事で忙しくなったためだ。セフィーヌも返信するのだが、返信した途端にすぐにまた来るという感じでつい先日には「先生、無理しないでください!」と便箋に書いてしまった。


 侯爵からは『今無理しないで、いつ無理をするという。こっちは人生がかかっているんだ』とやけくそめいた文言が届く。


 先生は一体何と戦っているのかしら。


 さて、彼女が邸にいるうちに世間の耳目は当の本人が知らぬところで集まっていた。


 一つはジドレル・キッソンとエランジェ王女との間のゴシップ。

 もう一つはジドレル・キッソンとセフィーヌ・フラゴニアの間のゴシップである。

 ジドレルからしたら数えきれないほどの恋愛沙汰の一つで、それは王女も同様であったが、存在感のない令嬢だったセフィーヌ・フラゴニアがその手の騒動に巻き込まれるのは初めてである。しかもこれは根も葉もない噂ではなかった。彼らは二人でいるところを何度か目撃されており、会合などでも親しげに話していたのだという。


 中心人物のジドレル・キッソンは知人の指摘に対し、エランジェ王女との噂にはきっぱりと否定したが、セフィーヌ・フラゴニアの件は本人も困ったような顔をして、特に肯定も否定もしなかった。なんとも意味深な反応だと周囲は盛り上がる。


 ところでこのゴシップに一番腹を立てた人物はセフィーヌ・フラゴニアでもその世話人になったつもりのマゴット伯爵夫人でもなかった。ジドレル・キッソンとの噂を立てさせた張本人のエランジュ王女その人だ。


 何を隠そう、彼女は焦っていた。ジドレル・キッソンとの仲が一向に進展しないのである。演技の時は熱烈に口説いていても、終わった途端に興味を無くしたように離れていく彼をどうにかして自分の方に振り向かせたかったのだ。

 しかしそれも彼が好きだ、愛しているとかそういうことではなかった。彼女は散々遊んできたけれども、適齢期が過ぎようとしている今、早く自分にふさわしい男を手に入れたかったのだ。もちろんそれで自分の伴侶を支えようという殊勝な心持ちは抱いていない。見目麗しい男を傍に大勢侍らせて、どこぞの女帝のようにたくさんの愛を捧げられて生きるつもりだ。


 そのためには金と地位と容貌の整ったジドレル・キッソンは極上の獲物だったのだ。

 最近までは勝算だってあったのだ。彼と自分は、たくさんの愛を必要とするところがとてもよく似ていた。とてもいいパートナーになれると信じていたのに。


 自分勝手に生きてきた王女は自分たちの間に割り込んできたセフィーヌ・フラゴニアが憎くてたまらなかった。舞台の上でキスをするのだって阻まれた。あれはきっと自分への嫉妬のためだ。


 さあ、どんなことをしてやろう?


 エランジュ王女は、大衆に発覚しにくい上に確実にその女の心をへし折る方法を探した。そして一つだけ見つけて、うきうきしたまま、義姉の元を訪れた帰りのセフィーヌ・フラゴニアを呼びつけた。


「ごきげんよう」

「ご、ごきげんよう……?」


 不思議そうな顔をする彼女を自分の部屋まで引っ張って、「私、あなたともっと仲良くなりたかったの。友達にしてくれる?」と言った。


「ええ、ぜひ!」


 彼女は何の疑いもなく頷いた。ほくそ笑んだ王女はならね、と言って、夏にかかり始めた頃にも関わらず赤々と燃えている暖炉に次々とあるものを放り込んでいく。


「『ケイン・ルージュ』の第一作、『古城の恋人たち』」


 エランジュはわざわざタイトルを読み上げてから暖炉の火にセフィーヌ・フラゴニアの本をくべていく。


「第二作、『第三王女の憂鬱』」


 どすん、と暖炉に落とす。めらめらと燃えていく。信じられないような顔で立ち尽くすセフィーヌ・フラゴニア。いい気味だと思った。むかむかがすっと落ち着いていく。


「第三作、『騎士キリアルの誓い』」


 どれもこれもつまらないわよねえ、とエランジュは告げた。薄っぺらくて、夢見がち。どれもこれもくだらないじゃないの。


 第四作、第五作、第六作、と楽しげにカウントしていく。セフィーヌ・フラゴニアは顔を歪ませてへたりこみ、ほとんど何も言えない様子だった。


「どうして……」


 胸の上に拳を置いた相手が震える声で言うので、エランジュも答えてやった。


「だって私の邪魔をしたのだもの。キスの件もそうだし、噂の件だってそう。私、ジドレル・キッソンと結婚するの。芝居と同じね。あなたはたかが脚本家で、私は主役。『ジュリエッタ』は『ヴィンセント』と結ばれなければならないの。所詮、あなたは主役二人を外から眺めるだけの傍観者に過ぎないのよ」


 エランジュはテーブルから最後の本を手に取った。


「でも私たちは友人だもの。これぐらい、許してくれるわよね?」


 第七作、『赤薔薇の誘惑』。それは暖炉の火で燃やそうとした時に、それは起こった。


 セフィーヌが、王女に飛びかかったのである。

 二人はもみ合い、本を持ったまま倒れた。

 セフィーヌは夢中で本をひったくり、取られまいと胸に抱えた。


「何をするのよっ!」


 王女が憤ると、それよりも強い口調が返って来る。


「わたくしが一生懸命書いた本なのよ! 燃やされるとわかっていて、ただ見ているなんてこと、できるわけない! そんな権利はたとえ王女さまにだってないわ!」


 彼女は王女を睨みつけた。

 セフィーヌは傍観者? ……そんなことは以前から何度も何度も味わっている! 自分が失恋相手の恋のキューピットになったことだってあるぐらいだ。今更の話だが、セフィーヌの気持ちは深く傷つけられた。


 キッソン侯爵はセフィーヌに特別な好意を抱いているような素振りを見せるけれど、セフィーヌは信じられなくて。

 これで侯爵が本当に『ジュリエッタ』……王女と結婚するようなことになったら、セフィーヌには何も残らない。


 セフィーヌの周りにはセフィーヌ以外を一番にしている人ばかりだ。両親は互いが一番で、キヤには娘がいて、嫁いだ姉たちには最愛の伴侶がいて、兄にも結婚を考えるほどの恋人がいる。


 いつか皆がセフィーヌを置いていってしまうような気がする。泣きたくなるほどに心細くなるが、涙は見せてなるものかと踏ん張った。


「……わたくしは、傍観者なんかじゃない!」


 そこまで言い切ると、セフィーヌは乱れた服装と髪型のまま王女の部屋から飛び出した。

 そして邸に帰って一人で静かに泣いた。




 芝居当日。

 この日のためにとキッソン侯爵から高価そうな首飾りが届けられたのだが、高価すぎて装着が躊躇われる。侯爵本人からのメッセージによると「君が主役みたいなものだから」とのこと。

 姿見の前でオニキスとエメラルドが組み合わされた大人っぽいデザインのそれをドレスに合わせてみても、いつものように鏡の前でくるくる回って、周囲に見せたくなるようなわくわくする気持ちは湧いてこない。


「お嬢様、元気を出してください」

「言われなくても元気よ」


 キヤに返事をする鏡の中のセフィーヌは明らかに空元気である。何となく憎らしい。


 夕暮れの中。セフィーヌを乗せた馬車は社交場に向かって走る。

 社交場はすでに席が六割ほど埋まっていた。ちょうど最後部の席でベトヴェン氏と『ミューズ』のオーナーがいがみ合ったまま隣同士に座っているのが目に入る。

 同伴してくれた兄のカンドルとともに用意された最前列の席に座ると、セフィーヌの反対側の隣にはシーレ氏がいた。セフィーヌのものより椅子が一回り小さく見える。


「こんばんは、セフィーヌ嬢」

「こんばんは。シーレ様もこちらの席だったのですね」

「関係者の特等席ですよ。私は舞台に出演しませんから、ここで。あなたと同じです」

「そうでした。衣裳や舞台の方はどうでしたか?」

「上々ですよ。これでも妥協はしたくありませんでしたから、ぎりぎりまで頑張りました」

「それは楽しみです」


 セフィーヌが微笑む。


「ところで……以前も手紙に書きましたが、あれからいかがでしたか? その……私が言うのもなんですが、縁談のことです。私の言い方は配慮に欠けていましたし、あなたには申し訳なくて」

「そんなことはありません!」


 彼女はきっぱりと首を振る。


「気づかないうちに結婚式を挙げていた方が駄目ではありませんか。それに一方的にお断りしたのはむしろわたくしの方ですし……」


 そこへ、ごほん、と咳払い。


「ここではどれだけの人目があると思う? 君の発言には皆の注目が集まっているというのに」


 いかにも兄が言いそうな言葉だったが、それにしても声が違う。カンドルを見ると、穏やかな顔で背後に視線を向けろと促された。振り向けば、黒い舞台衣装に身を包んだ侯爵である。彼はセフィーヌの真正面に回り込み、セフィーヌの胸元の首飾りに手を置いた。


「私が贈ったものを身に着けてくれているようで嬉しい。よく似合っている」

「そうですか……?」


 見上げると、力強く頷いてくれるものだから、そういうものかな、とセフィーヌは納得した。


「人目と発言についてはあなたも人のことを言えないと思いますよ」


 からかうような声音は今度こそ兄のものだった。兄が言うのもその通りで、シーレ氏との会話以上に聞き耳を立てられている。が、セフィーヌはその辺りの自覚には疎いのか、暢気にも、


「でもお兄様。わたくし、少し不安だったんですけれど、先生が褒めて下さって嬉しいですよ。大事なのはきっとそこなのです」


 胸元の首飾りに彼女も手を置いた。


「先生、頑張ってください」

「わかった。頑張るよ」


 ジドレルは破顔してから舞台に戻っていった。




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