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あらすじ変更しました。



 は、と訪問先の執事は邸宅の扉を開けたままの姿勢で固まって、奇妙な二人組を交互に見やった。


「本日はキッソン侯爵さまがお越しになると伺っていますが」


 と、侯爵の同伴者に目を遣れば、彼女はにこりというよりもへらっと笑い、


「お約束はないけれど、お話したいことがあったから、侯爵さまにお願いして連れてきていただいたの。驚かせてしまってごめんなさい」

「い、いえ。こちらこそ失礼いたしました。こちらへ」

「ありがとう」


 セフィーヌとジドレルは揃って夫人の応接室へと上がれば、ソファーから立ち上がった夫人がどうにも腑に落ちないような顔をして出迎えていた。


「これは……おめでとうと言うべきでしょうか、侯爵。セフィーヌさまは……ええっと、斬新な選択をなされたようですね?」

「斬新……?」


 セフィーヌが不思議そうに首を傾げている。「何のことかさっぱり」と顔に書いてある。


「ああ、えっとそれよりもわたくし、夫人に申し上げたいことがあって参りました。侯爵が近いうちにこちらに訪問の予定があるとお聞きしたので……ついてきてしまいました」

「まあ、そうだったのでしたか」


 もちろん夫人は納得しなかった。説明なさいと目を移したのはジドレルである。

 彼はこの間、柔和な微笑みを絶やさなかった。仮面である。


「侯爵はご機嫌いかが?」

「まぁ、ほどほどですね」


 どうにも念願叶って浮かれているようには見えない様子のジドレル。本当に彼はただの付き添いで来たようである。


「夫人は今日も麗しいお姿をなさっておいでのようで」

「心にもないお世辞のようだけれど、ありがたく受け取っておきますよ。こんなおばさんの退屈しのぎに付き合ってくれてありがとう」


 留学から帰ってきてからというもの、夫人は頻繁に「退屈しのぎ」という名目で侯爵を呼び出していた。なにせ、帰国早々セフィーヌ嬢に対してやらかしてくれたからである。夫人はあの狩猟会の一責任者として、セフィーヌ嬢の結婚とジドレルの監督を(本人が勝手に)名乗り出ていたりする。


 ジドレルの母は早くに亡くなっているため、自分こそが代わりに母親のような役割を果たそうと決めているのだ。


 でしゃばり過ぎの感もあるのだが、持ち前の社交性で何となく自分の思い通りにしてしまうのが、マゴット夫人なのであった。


 そして彼女は自分に都合が悪いからと自分のしたことを他人に責任転嫁をするつもりはなかった。しかも二度も失態を演じたのだから。


 夫人は椅子に座るセフィーヌの前に膝をつく。


「セフィーヌ様。私を許して頂戴。あなたを期待させたにも関わらず、シーレ氏との結婚をまとめきれなかった。本当の意味で互いの意志を確かめきれなかった私の失敗でした」

「夫人……わたくし、大丈夫ですよ?」


 セフィーヌは何にも気にした様子も見せずに笑っている。

 夫人が見抜けなかったのは、こうやってふわふわと朗らかなセフィーヌの内面に、どうしても譲れない芯があったことだ。

 夫人はセフィーヌを見くびっていたのかもしれない。好きになったから誰でもいいわけではなかったのだ。彼女にだって、条件があったから断ったのに。


 縁談を断りにきたシーレ氏もこう言っていたのだったか。……『あの方は周囲が思っている以上に賢いのかもしれませんね。誰が一番自分を幸せにしてくれるか、本能で理解している。私の場合でも、見抜かれてしまいましたよ。自分を絶対に一番にはしてくれないのだと』


「それよりも申し訳なくて。断ったのはわたくしの方ですから。せっかく夫人が色々と取りまとめてくださっていたのに」


 なお、この縁談に奔走していたのは夫人ぐらいのもので、セフィーヌの両親はこの結末に「やっぱりそうなったか」と嘆息するだけであった。


「いいえ。まとまらなかった以上、これは私の責任なのですよ」


 夫人は膝の上で揃えられたセフィーヌの両手を握る。


「だから、今度の芝居は罪滅ぼしも兼ねて今まで以上に頑張りますよ。あと機会があればまた縁談も用意しますから。だから、これからも仲良くしてくださいね」

「その言葉だけで充分です、ありがとうございます」


 そこで彼女は言いにくそうな顔になり、


「実は今日来た用件は前の縁談のことではなくて……。夫人に告白しなければならないことがあって……」

「そうなのですか? よろしければお話してくださいますか?」

「芝居の脚本の期限はそろそろだったはずなのですが……そのう、まだできていないのです」


 一寸後、夫人は「まあ!」と声を上げた。そしてジドレルを見た。視線で説明しろと訴える。


「ずっとスランプだったそうですよ」

「まあ、いつから!」

「『薔薇色の誘惑』を書き上げた後ぐらいから……脚本なら気分も変わるだろうと思っていたのですが……できませんでした。ただ期待してくださっている夫人には本当に申し訳なくて、一人で来る勇気が持てなかったのです」

「原因は? 何かあるのではなくて?」

「それは……」


 彼女は口ごもった。


「思いつくことは?」

「……いいえ」


 セフィーヌが首を振る。彼はその様を静かに眺めていた。



 具体的な解決策が見出せないまま、二人して屋敷を出た。


「このまま君の屋敷まで馬車で送っていこう」

「ありがとうございます、先生。無理にお願いしてよかったです。おかげで胸のつかえが少し取れました。あとは『ジュリエッタ』を捕まえさえすれば……」


 セフィーヌはジドレルに手を取られて、箱型馬車に乗り込む。会話の間もずっと何か考え事に囚われているようで半ば上の空だ。


 せっかくジドレル・キッソンと馬車の中で二人きりなのに、微塵も緊張する様子が見えない。まぁ、元から緊張とは無縁の女であるが、それでも不満なものは不満なのである。


 『ジュリエッタ』を捕まえるというのもわからない。抽象的過ぎて一体何をしたいのか。


 馬車がごとごとと走り始める。

 ジドレルはセフィーヌの顔を見つめ続ける。彼女の顔は不思議と飽きが来なかった。


「……セフィーヌ。一緒にどこか出かけようか」

「はい?」


 エメラルドグリーンの強い輝きに、ジドレルは口元を押さえて大きく顔をそらせた。まずい。うっかり口を滑らせた。


「どちらまで?」


 セフィーヌが先を促すが、ジドレルだって何か考えがあってそう発言したわけではない。ただの自分の願望だった。しかも計画性は欠片もない。セフィーヌが世間一般の女性と同じもので喜ぶとは思えない。結局、


「……サイクリングか」


 以前の出会いを思い出し、何とも歯切れの悪い返答をしたのだった。色男も情けない限りである。



 セフィーヌは夢を見た。

 明るい午後の昼下がりのテラス。目の前にはジュリエッタ。

 そう、セフィーヌと彼女は唯一無二の親友だった。互いのことなら何でも知っている。

 けれどしばらく会えなかったから、このお茶会を機会に近況を話し合っていた。

 彼女はここしばらくの間、身の回りで起きた大冒険を語ってくれた。そしてジュリエッタの愛する人のことも聞く。『不思議と』聞き覚えのある物語だった。


 花壇のチューリップが揺れる。清楚な微笑みを浮かべていたジュリエッタがすいっと流れるように視線を向けた。


「私、もうそろそろ行かなくては」


 唐突にジュリエッタが告げて、立ち上がる。


「あの人が迎えに来たわ」

「え? 待って、話はまだ途中でしょう?」


 ジュリエッタが庭園を眺めているけれど、セフィーヌにはそこに誰がいるかわからない。誰もいない庭園へと駆け出すジュリエッタ。


「ヴィンセント!」


 彼女の婚約者の名前を呼んで嬉しそうに飛び出していく。追いかけたセフィーヌとの距離はますます広がるばかり。


 ジュリエッタが消えた辺りに生えたチューリップが、赤薔薇に変わっている。


 ふと思い出す。『赤薔薇の誘惑』。そう、これは夢なのだ。


「ジュリエッタっ!」


 それでもセフィーヌは追いかけたが、やがて石を踏んづけて転んでしまった。


「痛い!」


 ――そして現実でも額を押さえるはめになった。

 一文字も進まぬ原稿用紙を前にしたセフィーヌはうとうとと寝こけていて、ひと際大きく船を漕いだ途端、ごつん、と額と机の間に火花が飛んだのだ。きょろきょろと頭を巡らせれば部屋の外はもう真っ暗。立ち上がった時にはさっきまで見ていた夢を忘れてしまった。





 彼女は邸のエントランスから今しがた泣き出した空を見上げた。


「やっぱり雨が降り出してしまったわ。今日、パークでサイクリングをする約束も無くなっちゃった。……せっかく自転車を引いてきたのに」


 セフィーヌは自転車を見下ろしてため息をつき、使用人に片づけるように頼んだ。侍女のキヤはその斜め後ろに控えている。


「仕方がありません。天気は神の思し召し次第ですよ。最近はずっと晴天が続いていましたから、そろそろ雨が降る頃だったのです」


 それよりも、とキヤは続けた。


「お約束が無くなったのですから中に入りましょう。侯爵さまからはお手紙なり、伝言なりが届きますよ」

「そうね。これでもわたくし、楽しみにしていたのに」

「存じております。この三日間、ずっとそわそわしっぱなしでしたね。初めての逢引なら致し方ありません」

「違うわ」


 セフィーヌは首を振る。


「先生にとってはこのぐらい何でもないことなのよ、きっと。先生がされる『逢引』なら、きっと大人の付き合い方をすると思うの。わたくしのなんてただのままごと遊びだわ。先生はきっとわたくしを心配してくださってあんな提案をしてくださったの」

「気分転換に連れ出してくださっているのだと。本気でそのように思われているのですか、お嬢様?」


 他に何があるというの。セフィーヌは聞き返す。


「だってわたくし、これでも失恋中なのだもの」

「失恋中だからって、あのキッソン侯爵がお嬢様のためにわざわざそんな約束はされるとは思えませんが……」


 言いかけたキヤをセフィーヌは遮った。


「キヤ。休暇はどうだった? 娘さんはお元気?」

「え、ええ……。滅多に会えませんでしたから、久々に家族団らんできましたが」


 キヤは一度結婚して侍女をやめている。そのあとに子どもが生まれたけれど、夫と離婚し、子どもだけ実家に預けてまたフラゴニア家へ働きに出ている。その娘はまだ幼いため、最近はセフィーヌの厚意で数週間の休暇をもらい、少し離れた実家で過ごしていたのだった。


「いいことよ。愛する者同士は一緒にいるのが一番だわ。だからね、キヤ。ほかにいい就職口があったら遠慮なく言ってね。わたくしは一人でも大丈夫。お父様やお母様、お兄様だっていらっしゃるし」

「私、お嬢様がお嫁に行くまでは何があっても辞めませんよ」


 それじゃ、いつまでもここにいなくちゃいけないわね。

 セフィーヌは珍しく自嘲するような口調で呟いて、もう一度空を仰いだ。


「今になってようやくわかったの。わたくしは臆病者なのよ。愛を告げられたとしても、もう信じられなくなっちゃった」

「お嬢様らしくありませんね」

「うん。雨で感傷的になってしまったのよ。天気までがわたくしのことを否定しているみたいね」


 その時、門の前に馬車が止まる。ざあざあ降りの中、一人の紳士が駆け込んできた。


「せ、先生?」


 紳士はキッソン侯爵であった。コートの襟を立てているが、門からエントランスまで走る中でやっぱりあちこちが濡れている。彼は軽く水滴を払った。


「こんにちは、セフィーヌ。あいにくの雨で約束は果たせない代わりに、別の誘いをしに迎えに来た」

「は、はあ……」


 呆けた顔になるセフィーヌ。すると侯爵の眉間に一本の皺が刻まれた。


「セフィーヌ。なぜそんな反応をする。君のためにわざわざ来たのだからもっと歓迎してくれてもいいんじゃないか。ほら」


 侯爵は両手を広げた。この胸に飛び込んでごらんと本人はやっているつもりである。半分冗談、半分本気だ。


 すると彼女はどうしたか。なぜか彼女もその場で両手を広げてみせる。侯爵の仕草をそのまま真似てどうしたいのか。本人も特に何か考えているわけではなかった。


 互いに近づくわけでもなく、その場は膠着した。雨音だけがその間を覆っている。キヤは慎ましく口元を押さえて顔をそらせた。そうしないとあまりに間抜けな光景に笑いだしてしまいそうだったのだ。


「だめだ。やめよう」

「そうですか?」


 手を先に下ろしたのは侯爵だった。セフィーヌは腑に落ちない顔で何も掴めない手を開いたり閉じたりしつつも姿勢を解く。


「先生が何を考えているのか、なかなかわかりませんね……」

「それはこっちの台詞だよ」


 今度、侯爵は普通に手を差し出した。セフィーヌもその手を取り、握手する。こちらはごく自然に成立した。しかしそれで満足したとは言えないので、その手を口元に引き寄せてその甲に口づけを落とす。


「でも今日は君に会えて嬉しいな」


 数多の女たちを屈服させてきた殺人的な視線とともに甘く微笑む。


「わたくしも先生と会えて嬉しいですよ」


 セフィーヌは平然と答えた。色々と通じていない。ジドレルは無言でセフィーヌの上唇を軽くつまんだ。弾力のある唇はぐにぐにと形を変える。


 そのまま「すまないが」と侍女を見た。


「セフィーヌは今日私と約束があったわけだから、この午後は空いているだろう? 突然ですまないが、別のところに出かけても構わないだろうか」

「別のところですか?」


 セフィーヌが不思議そうな顔をする。


「そうだ。結構いいところだから安心してついてきてほしい」


 ジドレルはセフィーヌの手を引く。

 侍女は恐れながらと声をかけた。


「侯爵さま、旦那様たちに声をかけて参りますので少々お待ちいただきたいのですが」

「それで構わない」


 ならば、とキヤは背後の玄関の扉を開いた。


「ひとまず応接間でお待ちいただきましょう。お嬢様の方にも準備がありますので」




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