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交錯

 シルドンパークは春爛漫。絶好の告白日和だとセフィーヌは息まいた。待ちくたびれた人生の春はもうすぐそこまで。


 セフィーヌはうきうきしながらシーレ氏との待ち合わせ場所に向かう。そこは緑に囲まれ、小さな噴水が吹き上げるようなロマンチックなところだった。実は最近告白スポットとして人気があるらしい。この間読んだファンレターに書いてあった。


 そこにはすでに後ろ手を組んで佇むシーレ氏がいる。セフィーヌを待っているのだ。


「お待たせしました!」


 明るく挨拶をすると、シーレ氏も穏やかに返してくれた。シーレ氏は今日も春のそよ風のような素敵な立ち姿をしている(セフィーヌ主観)。


 この人ととうとう結婚できるのかと思うと、セフィーヌはここまでくるまでに考えていたことが全部どうでもよくなってくるのだ。


 キッソン侯爵からの手紙のことだって。


『セフィーヌ嬢。私が言うのもよくないかもしれないが、告白するのはやめておきなさい』


『これはただの予想だが、もしかしたら彼は君が望むものを与えてはくれないかもしれないとつい最近になって気づいた』


『でも私には予想が真実だと証だてするだけの材料がない。君がもしも『ジュリエッタ』と同じ願いを持っているのなら、君の『ヴィンセント』だって他にいるはずだ』


『セフィーヌ。君は手紙でたくさん自分のことを話してくれたけれど、その心の奥にあるものはいつだって隠れていた気がする』


『だから私には何が君の幸せになるかわからない。君が一番に望むものを、シーレ卿は与えられるのかも』


『君のことを考えるといつも腹立たしくてたまらない。君の視界に私が一度でも入ったことがあるのか果てしなく疑問だ』


『君とシーレ卿の結婚を、祝福することはできない』


『最後の手紙になるかもしれないから、はっきりと言っておく』


『君が誰と結婚しようが私には関係ないが、どんな相手でも君の結婚を祝福できない』


『君なら私が誰と結婚しようが笑って祝福してくれるかもしれないが、私からしたらそれが何よりも許せない。君はいつだって私を惨めにしてくれる。自分の心が狭いのだと初めて思い知らされた』


『そういえば前回の手紙で私に願い事をしていたが、その答えは芝居の本番でわかる』


『君が愛してくれるのならば、私もそれだけのものは返す』


 荒々しい筆跡と文章はおよそ先生らしくない。


 先生はどうしてこんなことを。

 いつもと全然違う。

 取り繕う余裕なんてないみたい。

 一昨日も少し変だった。

 大丈夫かな。


 今日の馬車の中ではそんなことも考えていたのだ。


 それでも彼女の決意は変えられなかった。

 シーレ氏を前にしたセフィーヌは告白した。


「好きです! わたくしと結婚してくださいっ」


「こちらこそよろこんで」


 シーレ氏は日常会話と同じように頷いてみせ、セフィーヌの顔を真剣に見つめる。

 でも、とその唇が動く。


「ただ一つだけ理解していただきたいことがあるのですよ。夫人にはお伝えできませんでしたが、あなたには知っていただきたい」


 シーレ氏が告げるには。


「私には心から愛する人がいます。彼女はもう亡くなっているからあなたを煩わせることはありませんが……でも、私の中で妻になるあなたが二番目になってしまうことを許してほしいのですよ」

 

 ああ、また、振られてしまった。

 セフィーヌはそう直感した。


「……そうでしたか」


 彼女は低い声で相槌を打ち、首を振った。けれどすぐさま明るい声になり、


「ならば仕方がありませんね! 夫人にはお伝えしておきますから気になさらないでくださいね、それではごきげんよう!」


 彼女は潔くくるりと背を向けた。


 セフィーヌ・フラゴニア、千回目の失恋である。また一番になれなかったけれど、へっちゃらだ。だって次の恋がある。今度こそ叶うはずだ。


 どれだけかかったとしても欲しいものがある。唯一の一番になりたいのだ。それ以外では意味はない。たった一人でいい。セフィーヌを世界で一番にしてくれる人と出会いたい。


 馬鹿なことを、と誰かは言うのかもしれない。打算で繋がった恋や愛だってたくさんあって、二番目や三番目で構わない人もいるだろう。――でも、セフィーヌはどうしたってそれに我慢できなかったのだ。


 だから何度も何度も挑戦した。探した。セフィーヌを一番にしてくれて、セフィーヌが一番に思える男性は世界のどこかにいるはずだ。


「よし!」


 セフィーヌは人気のない小道で気合を入れた。ぱん、と頬を叩く。

 パラソルを差しながら勇ましく歩き出した不屈の精神の塊を、誰かが呼び止めた。


「セフィーヌ」


 その人は陽光を浴びて輝いているようだった。奥に見える赤いチューリップの花壇がさらにその人物の背後を彩るようだ。


 均整の取れた体つき。神様に寵愛されて与えられただろう美しさは、夜も昼も関係なく人を魅了するらしい。



 セフィーヌは立ち止まって、エメラルドグリーンの瞳をただ細めた。


 相手が早足で近づいてくる。


 セフィーヌは白昼夢を見た心地でぼんやりと、


――いやだな。どうしてここにいるのかな。


 そんなことを考えていた。






 シルドンパークを屋内の窓際から眺めている者がいる。


「君とはそれなりに長いこと友人をやっているつもりだけれども、こんなに『らしくない』ところは初めてみるぞ。まったくそんな切なそうな眼をして。ご婦人方にいらぬ誤解を与えるだろう」

「何を言っている。私はいつも通りだよ」


 あ、そう。

 部屋の主である王太子はあっさり引き下がった。だがその口元は今にも笑い出しそうに歪んでいる。


 散々、妻とのことでからかわれた借りをいざ返す時。『夜の貴公子』の仮面を剝いだその顔を存分に鑑賞しようと、外に視線を注ぐ彼に一歩近づく。


「先人からアドバイスをくれてやろう。女性を落とすにはまずは真摯な気持ちで膝をつき、愛を乞いたまえ。一度で信じてもらえると思うな、少なくとも三度は粘れ。そしてあらゆる愛の言葉を尽くしたまえ、そうすればあのセフィーヌ嬢ならいちころだ」


「適当なことを言うな、レウレス。君の話は何の参考にならない。それに私は恋煩いをしているわけでもないよ。どうして私がセフィーヌ・フラゴニアに。だって私がまさか彼女を愛する道理なんてどこにもないだろう?」


「道理なんて」


 王太子は鼻で笑った。


「私はテレディアナが庶民でも出会ったら求婚していた自信がある。もはやそれは君の理性の外にある、不可思議な人間の本能ってやつさ」


「だが彼女は結婚する」


「でもまだ婚約もしていない」


「時間の問題だ」


「それが何だ? どうせ周りの方が君の気持ちを知っている。この私でさえわかったぐらいだから、夫人あたりには筒抜けだ。知らぬばかりはセフィーヌ嬢本人ぐらいのものさ」


「陛下は王女殿下と私の婚約を望まれているだろう」


「君が嫌がるならその話だってナシだ。昨今の王室は先進的になった。無理強いも流行らないね。それに君の義兄になるのは勘弁してほしいよ。二人のエランジェの面倒を見なければならない気分になる。もういい加減、セフィーヌ嬢で手を打ちたまえ」


 レウレスは段々苛々してきた。近頃、妹から「セフィーヌをジドレルから遠ざけろ、自分とジドレルとの間を取り持て」という催促がひどいことを思い出したのだ。間に立たされっぱなしで助けてもくれない友人と妹のどちらの味方もする気がなかった。


「元は君が行く当てもなくふらふらしていたのがいけないのだ。君が一直線にセフィーヌ嬢の元に走っていったらすべて丸く収まっていたというのに、君の自尊心があれやこれやと邪魔をして。君が略奪愛などした時に一番割を食うのはシーレ氏だね、まったく。やってられない」


 シーレ氏の名を出せば、友人の顔つきが変わる。


「……シーレ氏はたぶんセフィーヌを受け入れまい」


 声色が真剣みを帯びる。


「私がどうとかいう話ではないのだが、シーレ卿はセフィーヌではない、誰かを見ているのだと思う。以前も――」


『でも一つだけ私にも誇れるものがあるとするならば……真剣に誰かを愛したことですよ』


 ある食後の席で、シーレ氏は過去形で語られた愛をほのめかしている。不思議に思って、ジドレルはどうにかシーレ氏の口を緩めさせようとあれこれ手を尽くしていた。


 そしてつい先日のこと。シーレ氏は亡くなった婚約者の存在を告げ、


『彼女とは幼馴染でして、仲良く遊んでいましたからね……。たぶん、これからもずっと忘れられないでしょう。だから妻になる人には、彼女の存在も受け入れてもらいたいのです』


 それがシーレ氏の結婚の条件で、夫人も承知していたことだったのかもしれない。


問題はセフィーヌがそれでもいいと頷くと思うか。


 たぶん頷かないだろう。

 ファーストキスをジドレルに奪われただけで泣きだしてしまう彼女なら。

 もしも幸せの絶頂になろうというところでそんなことを聞かされたとしたら、彼女は明るく別れを告げて、普段通りに振る舞うのだろうが、ジドレルはそんな姿を見たくなかった。

 彼女が泣いていると自分も泣きたくなるのだ、不思議なことに。


 つらつらとセフィーヌのことを考えていたためだろうか、あの時のように窓からセフィーヌが見えた。小さな後ろ姿。白いパラソルから覗くチョコレート色の髪。


「難儀なやつだよ、君って男は。そこで急に発言を止められてもな……」


「悪い。レウレス。もう行く」


「は?」


 慌ただしく、肝心の訪問の要件――妻の妊娠の祝福を告げること――をものの数秒の口頭で済ませたジドレルは侍従が帽子とステッキを持ってくるのさえ半ば自分で駆け寄って受け取り、血相を変えて飛び出していった。

 レウレスは何とも言えぬ複雑な表情で見送った。


――遅すぎる初恋は余裕がないわけか。


 彼が先ほどのジドレルと同じように眼下の風景を眺めていると、やがて二つの小さな影が正面から出会っていた。


 そこまで確認してから、窓辺を離れた。



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