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セレクト・ブック

 グロットリでも老舗とされている貸本屋『ミューズ』。昔から書店街が集まっているロンド通りの中でもひと際敷地面積が広く、まるで中世から建つ市庁舎のような立派な外観の建物が本店になる。


 屋根なし馬車からキヤを連れて降りたセフィーヌは建物を見てまずびっくり。ほおぉー、と奇声が漏れる。


「『ミューズ』の名前は聞いたことがあったけれど、こんなに大きかったのねー」


 その横のキヤはげんなり。


「お嬢様は以前のことはすっかりお忘れなのですね……」


「何かあったっけ?」


 セフィーヌ、首を傾げる。頭にかぶったボンネットの造花がびよんびよんと揺れた。


「先に申し上げておきますが、もしかしたらお嬢様はここで嫌な目に会ってしまうかもしれません。それでも行かれますか?」


「うん。シーレさまにお会いするために頑張るもの」


 セフィーヌは手元のポシェットを手繰り寄せ、件の手紙を取り出した。一つ目のアドバイスを声に出して読み上げる。


「『恋した相手に自分から近づかないこと』つまりは、『すぐに告白してはいけないこと』なのよ、キヤ」


「……それは今の行動といささか矛盾していないでしょうか」


「まずは視界に入らなくちゃ、わたくしの存在を知ってもらえないでしょう? 恋の狩人はね、獲物をおびき寄せる術にも長けているのよ」


「その『恋の狩人』とはお嬢様のことではないですよね?」


「いいえ、わたくしのことだけれど? 恋の矢でシーレさまの胸をずきゅんと射抜いてしまいたいのだもの」


 銃でもいいわね、とセフィーヌは笑い、颯爽と入り口に続く石段を上がる。とんとんとん、と軽快に。


 『ミューズ』の木製のドアはひっきりなしに人が出入りするためか、大きく外側に開かれている。入ってすぐには案内係の若い店員の姿があった。彼は一礼して、


「ようこそ『ミューズ』へおいで下さいました、レディ……」


 そういう彼と目が合うセフィーヌ。瞬間、男の瞳が見開かれる。彼は彼女の正面に立つ。


「失礼ですが、フラゴニア辺境伯令嬢セフィーヌさまでいらっしゃいますか」


「ええ、そうだけれど?」


 聞かれたから普通に肯定したのに困ったように眉根を下げられてしまった。なぜだろう。


「当店へは何のご用件でいらっしゃいましたか。当店は本の貸し出しと返却、販売などを手掛けておりますが」


「あの、わたくしもここの会員になりたいの。受付ブースはどちら?」


 彼女は立ちはだかる店員の男の後ろにある巨大な楕円のテーブルを見る。輪のようになったテーブルの内側には店員、外側には客が立つ。ほとんどどこも二三人は客が並んでいるのだから老舗というだけのことはある。


 ふいに一人の女性店員と目が合ったのでにこりと微笑みかければ、なぜか慌てたように席を離れていた。


 正面の店員と目を合わせれば、誤魔化すような笑みを浮かべられる。


「申し訳ございませんが、そちらのソファーで少々お待ちいただけますか。上の者を呼んでまいりますので」


「そう。ここの貸本屋はそういうものなの?」


「いえ……」


 また同じ笑み。店員はそう言ってすぐに別の客の対応に行ってしまい、彼女は仕方なく、入り口から少し離れた窓際のソファーにちょこんと座る。キヤも嘆息しながらその横に。


「会員登録っていくらぐらいかしら。手持ちでどうにかなる?」


「『ミューズ』の年会費ぐらいは私も存じておりますよ。お嬢様が利用されている『オーマー』より少し高めぐらいです。旦那様からもお預かりしていますからご心配なく」


 ふうん、と言いつつ、セフィーヌは中央が吹き抜けとなっている建物を見渡す。壁際にずらっと並ぶ書架が、一階、二階、三階と続いている。適度に窓もあって、採光もばっちりだ。貸本屋に特有の本の香り。リーディングルームの案内板も壁に貼り付けてあった。男性用と女性用どちらもあるらしい。ほかに普通の張り紙もあった。貸本屋で所蔵している蔵書のカタログを家に送るための案内や、貸し出しの注意事項など。


 彼女はすっかり会員になるつもりで目を通していた。好きな男性に会いたいがためという動機は不純であったが、年会費を払うのだからきちんと本を借りて読むつもりだった。


 しかし、建物奥の応接室に通された彼女は、店長を名乗る中年の男からきっぱりとこんなことを言われることになる。


「実に残念な事なのですが、我々にはレディを『ミューズ』の会員としてお迎えできないのです」


「まあ、どうして?」


「私たちの間には深くて暗い溝があるのです」


「溝? そんなものあったかしら」


 セフィーヌは大真面目に男と自分との間にあるものを見つめた。つまりテーブルである。


 ありますね、と男はふがっ、と鼻で笑おうとして失敗したような音を出した。


「有り体に申し上げると……レディは会員として求められる品格をお持ちでないのですよ」


「変なことをおっしゃるのね。年会費さえきちんと払えれば誰でもここの会員になれるとさっき見た壁の張り紙には書いてあったわ」


「ええ、ですからレディは我々の特別です」


 それにしても豪胆な方ですね、と彼は続けた。


「我々はあなたを拒絶したというのに真正面からこられるとは思いませんでした。もしも『ライバル』でなかったら、拍手を贈るところでした」


「は、はあ……?」


 どうやらうっすらと自分が何かやらかしたことを理解したセフィーヌ。事情通のキヤにこっそり目くばせすれば、こっそりと耳打ちしてくれた。


「お嬢様、先日ベトヴェンさんがお話になっていたことです。最新作の『赤薔薇の誘惑』も『ミューズ』の『セレクト・ブック』に選ばれなかった、と」


「そういえばそんなことも言っていたわね。それが何」


 貸本屋『ミューズ』は選りすぐりの数万冊もの本を所蔵しているのだが、これらを『セレクト・ブック』と呼び、「婦女子に何の悪影響を与えない、読むのを推奨される本」としている。この方針を初期のころに打ち出したのだが、これが不道徳な本を子どもに読ませたくない紳士たちに大当たり。今のような規模に膨れ上がった。


 国で競争相手がいないほどに大きくなった貸本屋は出版の分野にも大きく影響することになる。なにせ、『ミューズ』に気に入られるような本を書けば、必ず店で大量に買い上げてくれる。『セレクト・ブック』に選ばれることは、食い詰めがちな新人の書き手にとって重要な収入源だ。『ミューズ』が買ったということでほかの貸本屋も買ってくれるのだ。まさに『ミューズ』さまさま。


 しかしセフィーヌ・フラゴニアこと、『ケイン・ルージュ』が書くのは時に官能的な表現を含む恋愛小説。処女作から今までこの『セレクト・ブック』にはまるで縁がなかった。


「こういうこともおっしゃっていたではありませんか。――ベトヴェンさんが『ミューズ』に『赤薔薇の誘惑』を置いてもらうように頼んでみたところ、『これは害悪なものです。我々の高尚な本棚には似合わない代物でした』といった店側の返事が来た、と」


 さすがにセフィーヌも思い出した。『害悪』とまでは言い過ぎだと思ったのだ。セフィーヌは頑張って一文字一文字綴っているだけなのに。


 セフィーヌの正面には満面の笑みを浮かべた店長が足を組んで座っていた。


「我々としても困ったことです。ああいう本は当店にはふさわしくありません。そして本は書き手の心を映す鏡だと我々は考えます。ふしだらな本を書くあなたもまた、ふしだらなのです。あなたの存在はほかの会員の方に悪影響を与えます」


 ふしだら。生まれてからこの方、そんなものに縁がなかったセフィーヌは思わず自分の顔を指さして尋ねていた。


「わたくし、今までお付き合いしたことのある男性などはおりませんが」


「ええ、そうでしょうとも。立場はお察しします」


「えーと?」


 彼は声を潜めて、令嬢はあくまで『貞淑』で『純真』でなければいけないのでしょう、と唇を歪めている。


 その男はセフィーヌがふしだらな女性で、あくまでそれを隠しているのだと確信しているかのような調子で話す。


 彼女はなんとなく嫌な感じがした。


――もしかして、わたくし、この人たちに嫌われているのかしら。


 そう思うとちょっと悲しい。自分が冗談を言ったところで、一緒に笑ってくれないということだから。


「お嬢様、帰りましょう」


 セフィーヌの肩にキヤの手がそっと触れる。男は立ち上がって、美しく一礼した。


「ご理解いただきありがとうございます。お帰りはこちらです」


「でもわたくし、まだ話が終っていないわ。ちゃんと誤解は解いていかないと」


「お嬢様」


「『セレクト・ブック』のことはいいの。でも、会員になれないなんておかしいわ。だって、わたくしにはやましいことは何もないもの」


「では会員条件を今度お読みになられてください。『悪影響を与えかねない方など、事情のある方は当店の会員にはなれません』とあります」


 あまりの言いぐさにキヤも黙っておれずに「なんてことを」と抗議の声を漏らす。セフィーヌ・フラゴニアはれっきとした良家の子女なのに、ここまで小馬鹿にされなければならない理由はない。


 だがそこで一瞬伏し目がちだったエメラルドグリーンが、再び鮮やかに一点に向けられた。


「――『私たち』には夢さえ見ることも許されないというの?」


「はい?」


「そんな世界はとても息苦しいに違いないわね、キヤ」


 セフィーヌは諦めたように立ち上がった。当てが外れた、どうしよう。今そんな気持ちでいっぱいである。マゴット夫人には新しい情報をいただいて、別の手でシーレ氏にアタックしてみるのもいいかもしれない。


 打って変わってセフィーヌは背筋を伸ばして堂々と部屋を出ていく。一瞬だけたじろいた店長も思い通りの結果に大満足だった。こうして彼の完璧な城は美しい形のまま保たれる。


 そこへ部下がやってきて、何事かを彼に囁く。彼の顔色は変わった。部下にさきほど帰った令嬢を連れ戻すように怒鳴る。


 ばたん、と閉められたドアを確認してから、彼は何度も壁を蹴った。忌々しい!

 


 エントランスから出ようとしたところで、息を切らせた店員はなぜかセフィーヌをぜひ会員に迎えたい旨を伝えてきた。

 さきほどの話とはまるで逆の決定にキヤと二人で驚く。


 なぜだろうと首を傾げるセフィーヌに、その店員はこっそりと教えてくれた。


「実はオーナーにとあるえらい方があなたを気の毒に思われて話をつけてくださったそうですよ」


「ふうん……」


「もしかしたら『ケイン・ルージュ』の隠れファンかもしれないですね」


「そうなの。せっかくだからお礼ぐらいは言わないといけないわね」


「それはその方が望んでおられなかったようですよ。オーナーなどには口止めされています。私もですが」


「あら、あなたは知っているのね。だったらわたくしがお礼を言っていたと伝えて下さる? とっても感謝していますって」


 あ、笑顔付きでね、とセフィーヌはその場でにっこりと笑う。釣られた年配の店員もにっこり笑った。


「かしこまりました。では会員登録のコーナーにご案内いたします。こちらへ」


「ありがとう」


 こうして彼女は年会費を払い、顧客名簿に記入することで無事に『ミューズ』の会員になったというわけだ。


 肝心のシーレ氏と出くわすのは通い始めてから一週間後のことである。



「仰せの通りにいたしました」


「ありがとう」


「とても感謝されていました。笑顔付きだそうですよ」


「……そうか」


「名乗られないのですか」


「それが約束だからな」


「特別な方とお見受けしますが」


「そんなことはない。気のせいだ」


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