マリオネットな恋について
『キッソン先生(先日の手紙にご自分でおっしゃっていたのでわたくしもそう呼びますね)。
お手紙ありがとうございます。手紙の文字がとても美しくて見惚れてしまいました。数百年前にいらしたら、きっと写本に携わっておられたのでしょうね。しばらくため息が止まりませんでした。
マゴット伯爵夫人の申し出にはとても驚きましたが、わたくしの恋に先生がご協力くだされば、これほど力強いことはありません。先生はわたくしなどよりよほど経験豊富でいらっしゃるので、期待してしまいます。文面ではわかりにくいでしょうが、今とてもわくわくした気持ちでいっぱいです。わたくしの婚約が決まったら、真っ先にお知らせすることをお約束します。きっとその時の一番の功労者は先生ですもの。
ところで、手紙にありました、『わたくしのことを知りたい』ということのようですが、わたくしの世話をしてくれるキヤに相談しますと、淑女がべらべらと殿方に話してはいけないと申しますので、まずは当たり障りのないことを。
わたくしの性格について――キヤから言わせると『困ったお嬢様』で、お兄様に聞いたところ『可愛い妹じゃないかな』と苦笑いをしていらっしゃいました。わたくしはわたくし自身の性格をそこまで深く考えないのですが、優柔不断なのかな、と思うことはあります。今日のおやつもシュークリームにするかクレープにするかで迷っています。
好きなもの。ガラス細工や、お菓子です。ガラスはキラキラしているところ。とりわけよく教会にある薔薇窓のステンドグラスは一日中眺めていたって飽きないほどです。お菓子はファルセットのパティスリーのものがお気に入りです。味もですが、見た目を追求しているので、二度美味しい出来栄えなのです。
嫌いなもの。……何でしょう。今ぱっと思いつくものがありません。またわかりましたら後日お知らせします。
得意なことと趣味。そうですね、侯爵さまもお聞き及びかもしれませんが、恋愛小説を書くこと、でしょうか。あとは散歩とか……最近ではサイクリングも。ペダルを漕ぐと、漕いだだけぐんと加速するのがいいですね。そんなところでしょうか。
では、お返事をお待ちしています。
セフィーヌ・フラゴニア』
ジドレルは帰国してまもなく、官吏登用の試験を受けて内務省の役人となっていた。そのうち外務省に入らなければならないかもしれないが、父公爵と同じ職場を必ずしも選ぶ必要もないのでそうしている。
その仕事から帰宅すると、執事が銀の盆を持ってくる。その上に置いてある手紙を開封すると、このような文面が飛び込んできた。文末にあるやたら勇ましい筆記体で書かれた名前に目が吸い寄せられた。
セフィーヌ、フラゴニア……。
「若旦那さま、今なんと?」
「いや、何も言っていないが? それがどうかしたか?」
怪訝そうな顔をしたジドレルに、執事は何か気づいたようにも見えたが、すぐに内心に押し込めて首を振る。
「失礼いたしました。お返事は書かれますか」
「書く。確か部屋にある便箋が切れていたから新しいものを持ってきてくれ」
「かしこまりました」
ジドレルは正面の大階段を上がり、自室でアスコットタイを外し、シャツにベスト姿で大きなソファーに寝転がった。が、ふと思い立って火がついている暖炉前のロッキングチェアに揺られた。しかしそれでも落ち着かず、立ち上がって本棚を物色する。次々と本の背表紙を撫でていた指が、ある本で止まる。『赤薔薇の誘惑』。人差し指を折り曲げて取り出そうとしたところで、ノックの音が二度響く。
「若旦那さま、失礼いたします」
「あ、ああ……」
執事は指示通りに新しい便箋をジドレルの書き物机に置く。パタン、と再びドアが閉められる。
ジドレルは左手でくしゃりと握りしめていた手紙を見て、苦笑する。――一体、どこに動揺する必要があるのか。
机上の小さなランプに火をつけて、するりと椅子に腰かける。インク壺に万年筆のペン先を浸して、滑らかに文字を綴っていく。
彼自身にとっては片手間で済ませられるような、気まぐれな手紙の返信を書く。
照明に当たるジドレル・キッソンの横顔。その表情が本人でも驚くほどに優しかったのを、誰も知らない。
※
「お嬢様、手紙が届きましたよ」
「ありがとう。どちらから?」
「マゴット伯爵夫人と、キッソン侯爵さまですよ」
セフィーヌはキヤが差し出した銀の盆から二通の手紙を受け取った。同じく盆からペーパーナイフを取り出すと、うーん、と少し考える。
「キヤ、どちらを先に開封すればいいと思う?」
「夫人からの手紙ですね」
わかった、とセフィーヌは素直にキヤの意見を採用する。この際、侯爵よりも夫人だと即答したキヤの本心はあまり気にしていない。
『(略)……件の『子豚の君』について耳にしたことがあったので一つ。かのヤデック・シーレ氏はロンド通りの貸本屋『ミューズ』に週二日ほど通っているようです。もしかしたら通っているうちにお会いできるかもしれません。
クレラリア・マゴット
追伸。侯爵にはきっちりと釘を刺しておきましたが、それでも駄目なら、またお知らせください。』
一読したセフィーヌはがばっと振り向いて、
「キヤ! 明日、ロンド通りの貸本屋『ミューズ』へ行くわ!」
「はい? 貸本屋……でございますか。どうしてまた」
セフィーヌはにこりと微笑み、手紙を突き出した。読めばすぐにキヤもなるほど、と納得することになる。
「シーレさまに会って、この思いの丈を全身でぶつけるのよ!」
ジドレル・キッソンを利用してみませんか、と言われた日。
セフィーヌは自分が恋した男の名を知る。
ヤデック・シーレ氏。
ファルセットの大使館に務める外交官の一人で、祖国で古い歴史を持つ地主の家系の次男で、独身の三十歳。
ほんの二月前に赴任してきたばかりで、大規模な催しに参加したのは先日の狩猟会が初めてだということ。彼はマゴット伯爵の知人に連れられて来たらしい。ちなみに狩猟会での成果はゼロ。途中で体力切れして、疲労困憊の体で戻ったらしく、邸宅で行われていた婦人たちのお茶会に加わったとのこと。あとから聞かされたセフィーヌは無理やりにでもお茶会に参加しておけばよかったと後悔したのは言うまでもない。
その日からセフィーヌは彼を「シーレさま」と呼ぶことにしている。本人と二度目の邂逅はできていないが、会えない日々は会えた日の喜びを増すスパイスと思って、ぐっと気持ちをこらえている。
今回の『恋』は今までのものと一味違う。夫人がシーレ氏について知っていることを色々教えてくれているし、『ジドレル・キッソン』という強力なアドバイザーまで控えている。ここまで助けてもらっていながら何の成果もあがらないなんて『恋の狩人』失格だ、ぐらいには考えていた。
「あまり心配はしておりませんが、全身でぶつかって粉々に砕けてしまわないでくださいね」
「うん、頑張る!」
セフィーヌはいそいそと夫人へのお礼をしたためた。次は二通目を開ける番である。
「あぁ、お嬢様、少々お待ちくださいませ」
キヤが思い出したように部屋を出ていき、そして戻ってきた時には細長い箱を持っていた。
「こちらも一緒に届いていたのを失念しておりました」
「ありがとう」
箱にかけられていた青いリボンをしゅるしゅるっと解き、小さな勿忘草とシダの葉を組み合わせた素敵な包み紙を破らないように丁寧に剝がしていく。剥がした包み紙は綺麗に折り畳んでセフィーヌの『綺麗なものコレクション』の引き出しにそっと入れた。
肝心の箱の中身は、色ガラスで作った一輪の赤い薔薇だ。花弁の一枚一枚まできれいに別れており、葉脈まで写し取った葉や、剣のように外側へ尖ったような形まで本物のようだった。強いて違いを言えば、光を受けて、強く照り輝いている、ただそのだけのように見える。
セフィーヌは箱ごと持ち上げ、とっくりと鑑賞し、それをキヤにも見せながら、「きれいね!」と嬉しそうな声を上げる。セフィーヌの口元はその感動をもっと言葉を落とし込もうとしてもうまくできずに落ち着かなさそうにむずむずするばかり。
続いて手紙を読む。便箋は数枚にも及んでいた。
『(略)……あなたは甘いものや美しいものに対しては無条件に好奇心を燃やすのですか。それはとてもいいことを聞きました。先日は赤薔薇でしたが、今回は薔薇を練りこんだ飴細工を贈りましょう。花弁から茎までとても精巧な作りとなっていて、見た目はガラスのように美しいですが、食べられるのですよ。お気に召せばいいのですが。また感想を聞かせてください。
(略)……ただ、あなたは急ぎすぎるきらいがあるのかもしれませんね。あなたの『恋』はまるでお湯が沸騰して吹きこぼれたように唐突です。欲しいものを手に入れたいのなら、こらえることも大切です。獲物は射程圏内に入ってから仕留めなければ。
そこで、一つ目のアドバイスです。『恋した相手に自分から近づかないこと』。このことを約束してください。すなわち、『すぐに告白してはいけない』ということでもあります。普通なかなか互いに『ひとめぼれ』する状況にはならないのはご存知でしょう。あなたが一方的に『ひとめぼれ』して告白するのは気持ちを押し付けているようなもの。あまり良い手ではないでしょう。不安なようだったら誰かに事前に止めてくれるように頼むのもよいですね。
あなたの先生、ジドレル・キッソンより
追伸 先生と呼ばれると真面目に助言しなければという気になりました。』
「あら、普通に助言していらっしゃいますね」
手紙の内容を聞いたキヤは意外そうな顔だった。
「だって『先生』だもの。『先生』は『生徒』がよりよい方向に行くように助言するものでしょう?」
セフィーヌは薔薇の飴細工をそっとつつきながら、ご機嫌そうにまたもにっこり。
「キッソン『先生』は良い方よ? 手紙からわかるもの、この方はとても優しくて、親身になってくれて……」
エメラルドグリーンが一瞬きらりと濡れたように光る。
「あの方が『先生』になってくださること自体、稀有なことでしょう? わたくし、あの方の誠意はきちんと受け取るつもり。『先生』でいてくださる限り、わたくしだっていつまでも恨み言を言っているばかりにはいられないでしょう?」
わたくしも頑張って、シーレさまに思いを伝えなくちゃ。
セフィーヌは子どもでないから知っている。世の中にはキス以上のことをされても、さして罪悪感を抱かない男性が山のようにいることを。何らかの形であれ、『償い』に応じた『キッソン侯爵』は『良い方』だし、助言をくれる『キッソン先生』も『良い方』なのだ。
侯爵に恋の成功の秘訣を教えてもらえればいいというマゴット夫人の提案に「いいのかしら」と首を傾げながら彼女が出した答えは、
『キッソン侯爵さまに直接お目にかかりたいとは思いませんが、わたくしとシーレさまがうまくいくように応援していただければとても助かります』
というもの。だったら、とマゴット夫人が勧めたのは、『キッソン侯爵との文通』である。初めは怒り心頭だった両親だったが、セフィーヌが「殿方と文通なんて経験がないけれど、できるのかしら」と思っているうちに、マゴット夫妻によって渋々説得されていた。
『セフィーヌさま、私も微力ながら恋のお手伝いをさせていただきます。いずれは世界一幸せな花嫁にしてさしあげますからね』
涙ぐみながらセフィーヌの両手を握る夫人。あまりの断言口調だったために、セフィーヌもその気になった。
――そっか。助けを借りればいいんだわ!
それはまるで隕石が落ちてきたような衝撃であった。
直進しか知らぬイノシシだったセフィーヌ、千回目の恋にしてようやく自分の力だけでは『恋』は手に入らないことを悟る。遅いと言ってはいけない。ここまで来てやっと気づけたことこそが奇蹟なのだから。
ちょっと痛い目を見たことから彼女にはこれまでにない心境の変化が起きていた。それこそが夫人の提案に彼女が頷いたことに大きく影響している。イノシシは止まり、左右を見渡すウサギとなる。
セフィーヌの恋模様はこれ以降、今までの999回とまったく違う様相を呈していく。色男と評判のキッソン侯爵は自ら手を出した令嬢の恋を応援するという稀有な立場に追いやられたわけだが、皮肉にも彼女が恋を叶えるきっかけになったのが、侯爵が彼女に狼藉を働いたことだったわけだから何がどう転ぶかわからない。
ただ、運命の糸は本人たちも気づかないままに縺れて。解れて。下手な操り手が二つのマリオネットを激しく動かそうとした時のように――気づけば複雑に絡み合って離れられなくなっている。




