夕_廊下
話しながら食べていたせいで、昼食が終わったのは昼休みが終わる直前だった。慌てて午後の一講目の講義室へ潜り込む。講義の内容は嵩泰半島の地理。各国の地形や気候、産物なども学べるのだが。
どうしても、食後は眠くなるというのが万国共通の悩み。その上、少しでも気を抜くと、食べた昼食の美味しかったものや、泣く泣く選ばなかった魅惑的なその他のメニューたちが、碧流の脳裏に次々と蘇ってきて。
結局、あまり集中できなかった。あとできっちり復習しよう。
肩を落として講義室を出る。残る講義はあと一つ。次の講義室は――――
と、どこかで見覚えのあるものが、視界に入った。
まだこの街に来て二日目、学院に通うようになった初日。そうそう見覚えのあるものなどないはずなのだが。
改めて、じっくりと二度見。流れていくそれを目で追って。
見覚えがあったのは、ものではなく、人だった。碧流と同じくらいの身長で、紅色の髪、褐色の肌。
彼女が、碧流の目の間を通り過ぎようとした、その瞬間。
「ああっ!」
思い出すと同時に、碧流は手を伸ばしていた。
「えっ、なにっ!? ごめんなさいっ!!」
急に腕を掴まれて、なぜか謝る少女。謝りつつも、とっさに逃げようというのか、じたばたともがいている。
「ちょ、ちょっと待って! もうどうする気もないですから!」
男女二人が廊下でばたばたしている様というのは、静寂をモットーとする学院内では明らさまな注目の的だ。碧流はなるべく小声で、彼女を落ち着かせようと声をかける。
ようやく、その鳶色の瞳が碧流の顔を凝視して。
「……あ、昨日の!」
昨日の捕り物を思い出したのか、やっぱり逃げようとじたばたする少女。
碧流はもう片手も伸ばして、両手で掴み。
「だから、もう突き出したりしませんってば」
「ホントに !?」
「本当に。僕もあの饅頭食べちゃいましたし」
それで安心したのか、ようやく少女もじたばたを諦めた。
打って変わって、碧流に笑顔を向ける。
「ほらね。あそこのお饅頭、美味しかったでしょ?」
何が、ほら、なのか。
そして確かに美味しかったが、ここで頷くのもどうなのか。
「でも、まさか学院生だったとは思いませんでしたよ。服だって」
今日の彼女は、みんなと同様のゆったりとした服装をしていた。これではとてもあの動きができるようには思えない。しかし彼女はニヤリと笑って。
「でしょ? でもね、ほらここを、こうしてぐるぐるってすると」
言いながら、下へ長く伸びた袖をぐるぐると腕に巻きつける。なるほど、これなら邪魔にはならないか。
「で、裾の方もこう――――」
「裾はいい。いいですから」
脚まで露わにされると、廊下で何をしているのか本当にわからなくなる。碧流は慌てて少女を止めて。
「でも、学院生なのに、何で盗みなんて?」
この学院に入学できている以上、いいところの出だろうに。
そう言うと、彼女はまたも唇に人差し指を立てて。
「しーーーーっ」
「いや、誰も聞いてませんて」
幸いなことに注目も集めなかったようで、そろそろ廊下には誰もいない。
それでも彼女は真剣な顔で周りに目を走らせて。
「バレたら大変なの。アタシにだって、立場ってもんがあるんだから」
「じゃあ、やんなきゃいいじゃないですか」
「だって、お腹空くもん」
即答。至極、当然な答え。いや、当然ではないか。
「で、そろそろ手、放してよ」
「あ。はい」
つい、いつまでも握っていた腕を放す。と。
「油断したなっ! さらばだっ !!」
直後、脱兎のように逃げていく少女。
碧流はもはや呆然と見送るしかなく。
捕まえた理由も特になかったから、問題はないのだが。
「――――あ、講義」
結局、碧流は次の講義もぎりぎりで潜り込むことになった。