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泰皇国立皇統学院記 〜 一年目 夏 〜  作者: 都月 敬
1 日目
5/17

朝_鍛錬場


 学院の朝は、掲示板でその日の講義の一覧を確認するところから始まる。

 教官たちは皆、その道で働くエリートかつエキスパートであり、当然本職が忙しい時には講義はできない。そのため事前に講義予定などが伝えられることはなく、学院生たちは朝、広間の掲示板を確認して初めてその日に行われる講義を知ることになる。どの講義を受けるかは学院生に任せられており、それぞれ自分が必要と思うものだけを選んで受講する。受けるべき講義がない時間は、図書館で自習をしたり、学院生同士でディスカッションをして過ごす。

 碧流は、与えられた使命の特性上、ほぼすべての知識の取得が求められていた。だからあまりにもいずれかの国だけに特化する内容だったり、専門的に過ぎる分野以外の講義はできるだけ取ろうと考えていた、のだが。


「……棒術、か」


 本日の第一講義は、鍛錬場での棒術、一択だった。

 学院にはあらゆる分野において泰皇国中の知識が幅広く収められてはいるが、鍛錬については多少事情が異なる。四方国のそれぞれの軍における規律や戦法、訓練方法は、各国の機密であるため、学院へは公開されていないのだ。よって、学院での鍛錬講義は基本的に央軍式に則って行われる。それも新兵が真っ先に教わるような基礎部分のみ。そのため、学院で鍛錬講義を受講するのは、ほとんどが卒業後に央軍の士官を目指す、つまりコネ狙いの央香国出身者に限られた。

 央軍になど全く関係のない碧流も、当然受けるつもりはなかった。のだが。


「初日の第一講義だしなぁ」


 さっぱり気は乗らないが、なんとなく出鼻をくじかれるようでおもしろくない。

 今後は避けるにしても、一度くらい受けてみなくては始まるまい。

 これも運命。意を決して、校舎の中庭にある鍛錬場へと向かう。念のため、恥ずかしくない程度に鍛錬はしてきたし、支給された鍛錬着だって持ってきてはいる。

 あとは、天に任せるのみ。



 任せた天は、青かった。

 硬い石畳に転がって、ぼんやりと蒼穹を見上げる、などという余裕もなく。


「次!」


 教官の厳しく無機質な声に応じて、もはや力の入らない膝を無理やり立たせる。自らの身長ほどの棒を拾い、教わった通りに構え直す。

 すぐさま打ち込まれる容赦のない一撃。

 その、わざと棒を狙っての打撃は、防御すらままならない碧流の身体を、受けた棒ごと弾き飛ばした。

 ままならない、というより、知らない。教わっていない。

 受身も取れず、砂っぽい地面へと叩きつけられる。もう、これで幾度目だろうか。


「次!」


 一応、これは組手だったはず。相手の身体に一撃を入れるか、急所の手前で寸止めするか。それによって一本となり、組手は終わる。しかし碧流の相手は、執拗に碧流の持つ棒ばかりを狙ってきた。当然、どれだけ強烈な一撃でも一本とはならず、それでも相手の力を受け止めきれない碧流は、その度に大きく飛ばされて。


「次!」


 他の組は全員組手を終え、鍛錬場の外周に座って碧流たちを眺めていた。そもそも組手は体格の似た者同士が組まされるもの。しかし最も身体の小さい碧流の相手は、なぜかこの中でも最も身体が大きく、力も強そうな男だった。

 ちなみに、彼を相手に指名した教官は金髪。指名された大男の髪は金茶。周りで見ているほとんどの男たちも黄系の髪色をしている。つまり、こいつらは全員、宗主たる央香国のエリートたちであるはずだ。それが、これか。


「次!」


 一際、大きく飛ばされた。

 座っていた男たちが、ニヤニヤと笑いながら、転がってきた碧流を避ける。もちろん手など貸さない。碧流を流族と知ってか、それとも央国人でないからか。

 体力よりも、痛みよりも、馬鹿馬鹿しさが勝って、身体が動こうとしない。

 そこへ。


「――――右脚」


 小さく、それでも一際通る澄んだ声が碧流の耳に届いた。


「次!」


 立ち上がり、もう一度棒を構える。

 もはや中央に戻るのを待ちもせず、嘲笑すら浮かべながら、大男が突進してきた。ここで飛ばされれば、思い切り壁に打ちつけられてただでは済まないだろう。

 棒を振りかぶる大男の右脚が、大きく一歩踏み出され――――


「……一本。」


 舌打ちでも聞こえて来そうだった。

 いや、実際にどこかからは聞こえて来たのかもしれない。

 それほど口惜しそうな教官の声。視線は大男への侮蔑を隠そうともしない。

 当の大男は棒を振りあげた形のまま、その動きを止めていた。喉元に棒の先端を突きつけられて。奥歯が軋る音が響いた。

 踏み出した右脚を払って前進を止め、怯んだ先に急所を一突き。あの声に従っただけとはいえ、思ったよりもうまくいった。

 だけど碧流にはこれ以上、こんな茶番劇に付き合う義理もなく。


「それまで」


 投げやりな教官の声に合わせ、左手のひらに右拳を合わせて、一礼。

 これをもって、ようやく組手が終了した。



「――――待ってください!」


 講義終了後、碧流は散らばっていく受講生の中から、一人の女性を呼び止めた。

 ほぼすべてを男性が占める中、唯一参加していた女性。組手では、身長こそ似ているもののボリュームは三倍くらいありそうな相手を、真っ先に倒していた。


「何か?」


 あのよく通る澄んだ声が返ってきた。ちょうど髪留めを外したところで、すらりとした長身の背に青く長い髪がふわりと広がる。東征国の出身か。

 少しの飾り気もないのに気品すら感じされる顔立ちに驚かされるが、今は臆している場合ではない。今度は感謝の気持ちを込めて、手のひらに拳を合わせる。


「ありがとうございました。あなたの助言のおかげで、勝つことができました」


 勝てたこともそうだが、あの状況で味方になってくれたことが嬉しかった。

 しかし、返ってきたのは、どこまでも冷静な言葉。


「あなたは、勝ったのか?」

「……え?」


 髪と同じか、より深い青の瞳が、碧流の顔へと向けられる。

 視線が交わったのは一瞬だけ。彼女はすぐに目を伏せるように視線を外した。


「いや、礼には及ばない。あなたは相手を見ていなかった。それだけだ」


 一つ首を振り、武人らしく端的に応えると、彼女は礼を返して、歩み去っていく。碧流には、もう呼び止めることはできなかった。


 ……僕は、勝ったのだろうか?


 確かに一本は取れた。でも、ただそれだけだ。

 助言があったから、とかそういうことではなく。あれが戦場だったなら。鍛錬の場でなかったなら。いや、そんなことは考えなくとも、組手の後の二人の有様を見れば、どちらが勝ったと言えるかは、一目瞭然のはず。


 碧流は、もう一度彼女を見た。

 去っていく背中は、誰よりも凛としていて、遥かなる高みを目指しているように感じられた。


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