朝_鍛錬場
登校中も頭を離れず、掲示板の講義一覧も穴が空くほどじっくりと眺めて。
やがて始まる一講目。結局、碧流も鍛錬の講義に参加していた。
今日の講義は剣術。当然、棒術とは教官も異なり、きちんと礼法から技術的な面にまで指導が入った。最初に碧流を見た朱真は意外そうに笑っていたが、今は非常に退屈そうだ。彼の興味を引くものは、ここまではない。
朱真の、そして碧流の興味は、鍛錬場の隅で静かに剣を振る青い髪の女性に向けられている。彼女はまるで重さもないように、流れる水のように剣を扱っていた。
講義の最後は、今日も組手だった。しかし相手は自分で自由に選んでいいらしい。真っ先に、朱真がずかずかと鍛錬場を横切って、あの女性の元へと赴く。しかしその長い脚が彼女の元にたどり着くより、わずかに早く。
「今日こそ、決着をつけてやるぞ」
女性の前に立ったのは、あの剛力だった。口振りからして、前にも一度やられているのだろう。それでも決着がついていないと思っているあたり、小物感が満載だ。眼中にないのか、女性の視線もそちらへは向けられない。
となれば当然、朱真が黙っている理由はなく。
「おい、一度やったことがあるなら、今回はオレに譲れ。つまらん講義を受けてきた甲斐がなくなる」
主に教官に対して失礼なことを言い放つと、間に割り込んで、女性へ向けて一方的に剣を構える。
「異存はないな」
朱真の目が相手を見据えた。
見返した女性の瞳にも、青い炎が灯される。どうやら異存はないようだ。
朱青相搏つ。見ている碧流の胸にも熱いものがこみ上げてくる。さり気なく、二人がよく見える外壁近くに陣取った。組手はサボる。
「ふざけるな! 横から割り込んできて、勝手なことはさせんぞ!」
空気が読めないのも、小物らしい。再度、割り込もうとする剛力。
しかし朱真は片腕でそれを許さず。
「しつこいぞ。エリートさんはエリートさん同士、あっちで仲良く遊んでな」
その言葉に、場内の雰囲気が変わった。
一国につき、年に二、三人しか入学させられない四方国に比べ、地元である央香国出身の学院生は圧倒的に多い。そして央国が宗主国であるがために彼らの意識は高く、ともすれば他国出身者を見下す者も多かった。しかしそういった裏づけのない意識の高さは、往々にして、実力が伴わない央香国出身者たちに劣等感を、そして四方国出身者に反発心を生み出してしまうもの。学院内において、四方国出身者から央国出身者へ向けられる『エリート』という言葉には、そうした歪みが込められていることが多かった。
前回の鍛錬と同様、今日もこの場にいるほとんどが央香国出身の学院生だった。そしてその多くが、朱真の言葉に反応して表情を変えた。朱真にとっては単なる揶揄に過ぎなかったが、彼らはそうは受け取らない。朱真こそが、彼らに劣等感を植え付ける存在であるからだ。明確な敵意が、南須国出身の朱真と、そして東征国出身の彼女の周りを囲んでいく。
「二人まとめて、相手してやってもいいんだぞ」
雰囲気に後押しされて、不敵な笑みを浮かべる剛力。その主語は、この場にいる全員が、だろう。どんな手練れだろうと、この人数に囲まれてただではすまない。
しかし、返ってきた反応は、呆れたようなため息。
「ごめんだな。数だけの相手など、興味が湧かん」
凄まれているはずの朱真は肩をすくめて軽く手を広げ、完全に巻き込まれた形の女性も表情も変えずに剣を下ろした。
興醒め、というか、どっちらけ、というか。
二人からは完全にやる気が失われている。
そんな二人の態度が、燻る火に油を注いだ。
「……逃げる気か」
噛み締めた歯から押し出された、歯ぎしり混じりの声とともに。
周囲の男たちの敵意が、殺意に変わる。
「やめなさい! 今は剣術の講義で、次は一対一の組手の時間だ!」
慌てて教官が割って入った。それでも場内の空気は収まらない。
男たちはじりじりとその包囲を狭めていく。
もはや組手などではなく、集団私刑。男たちが手にする訓練用の剣は刃を潰してあるとはいえ、青銅の棒であると思えば殺傷能力にそれほど差はないだろう。
「やめなさい、と言っている!!」
再度、静止する教官の声。それに耳を貸す者はもはやなく。
それどころか、唆す声が外野から掛かった。
「なんだ、止めるのか。せっかくだから、最後までやらせてみたらどうだ?」
茶化すようなその声は、鍛錬場に面した廊下から。それに対して。
「だめですよ、そんな。このまま続けたら、怪我人がたくさん出ます」
制止する柔らかな声も、やっぱり廊下から。
しかし、怪我人がたくさん、というあたり、多勢が不利だと認めている。
「校内での私闘は禁止だぞ。ただ、聞き捨てならない言葉が出たな」
厳しいはずのその声は、どこか笑っているようでもあって。
これでは止めているのか、煽っているのか。
「場所と時間を改めて、怪我人が出ないようなルールでの勝負ならいいんでしょ」
手早く意見がまとめられた。
どんな状況でも、彼らの役割に変わりはないようだ。
廊下の窓から口を挟んできたのは、多くの取り巻きたちを引き連れた、かの四神の四人だった。あわや惨事となりかねないその現場を、全員が楽しそうに眺めている。いや、唯一、杏怜だけは眉根を寄せていたが、取り立てて慌てる風はなく。やはり、荒事というより、お祭り感覚なのだろう。
「……おかしなことになりそうだな」
場をさらって行った面々を眺めて、再度ため息をつく朱真。
すでに殺伐とした空気は薄れ、囲んだ男たちにも戸惑いが明らかだった。
そんな中、ニヤニヤを隠そうともせず、橙琳がさらに煽る。
「エリートと言われちゃ黙ってられないよね。どうする、黄希、蒲星?」
「もちろんだ。エリートの代表として、参加しよう」
黄希は、皇太子以外は口にできないような台詞を掲げた。
「私も参加させてもらう。朱真とは、一度試合ってみたかった」
最初から朱真狙いだったのだろう。蒲星は視線に、常とは違う熱さを載せる。
まさかの四神の参入。場内の男たちが一気に沸いた。味方としてこれほど頼もしい存在はない。処罰されるわけではないとわかって安心した、というのもありそうだが。
「もちろん私も参加、と。で、そちらはどうです? 朱真、青華 (セイカ)?」
すっかり場を仕切っている橙琳から、今さらのように意思を確認された朱真は、青い女性、青華の方へと目をやりつつ。
「四神相手というなら、オレに不服はないが」
「同じく。ただし、ルールによる」
青華は瞳を伏せたまま、静かな声で端的に答えた。
「仕方ないですね」
それを受けて、小さくため息をついたのは杏怜。
「十名一隊での模擬戦ではいかがでしょう。武器の形状は自由。ただし刃は外し、先端に墨を含ませた布を付け、身体に墨が付けられた者は部位や程度を問わず死亡とします。ともに大将を一名選出し、全滅か、大将が討ち取られたチームの敗北。ちなみに、わたしは参加しませんけど」
やっぱり流れるようなルール説明ににっこり笑顔を付け加えて。まるで事前に考えていたかのようだ。ついでにきっちりと不参加も表明するあたり抜かりがない。
「こちらに不足はない」
すでに大将に収まっている黄希が回答する。
朱真も、ちらりと青華の顔を確認して。
「こちらにもないようだ」
かくして、央香国軍皇太子隊 vs 南須・東征国連合隊の模擬戦が幕を開ける。




