夕_大通
午後の二講義は何事もなく終了し、寮へと向かう帰り道。
昼に贅沢な料理をあれだけたくさん食べたのに、やはり碧流の小腹は減っていた。大して動いてもいないのに、この小さな身体で、何にそれほど消費するのだろうか。燃費が悪いのかもしれない。
こんなことを考えてしまうのも、全ては帰り道に漂うこのそそる香りが原因だ。
明日から、別の道を探してみようか、などと考えていると――――
「ああっ、何をふるっ!」
なんだかくぐもった男性の声がして。
「待ちなさい!」
なんだか可愛らしい女性の声が響いて。
碧流が振り向くと、そこには見覚えのある小柄な男女の二人連れが。
白髮の男性は口に何やら揚げ物の串を咥えたままでわちゃわちゃと両手を振り回していて、銀髪の女性はその意味不明な指示を受けて早くも走り出している。
そしてその先には、一昨日も見たフードマントの姿が。
追いかける者、行く手を阻む者もまた一昨日も見た景色だった。
しかしよく聞けば、『出た!』、『いいぞ』、『逃げ切れ〜』などの声も聞こえる。もはや一種の風物詩と化しているようだ。
名物となれば見過ごすのもやぶさかではないが、とはいえ、いつ捕まるかもしれないものを、同じ学院生として放置してもおけない。
碧流は改めて、周りの街並みを見回した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
声援を背に、彼女は走る。
ターゲットは串を三本も持った鈍そうな小太り。こちらには追いかけられる心配もなかったが、相方の女が案外速い。それでもこのままなら、スタートダッシュの差で逃げ切れる。
周りから絡んでくるヤツらは、いつもと同じで造作はない。問題があるとしたら、一昨日のチビ。
今日は、同じ轍は踏まない!
飛びついてくるオッサンをかわして、わざと空を見上げる振りをして見せておいて。全速力で、人一人がギリギリ入り込める細い路地に走りこむ。
「ふわぁっ!」
そこで、豪快に一回転。
「――――はい、残念でした。」
一昨日と同じ言葉が降ってきて、見上げる先には、やっぱり一昨日と同じ影が。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
こういう手合いには負けず嫌いが多い。だとすれば同じ作戦は取らないはず。
今日は飛ばないと踏んで、碧流は先回りした小路で片足を出して待っていた。
想定通り、泥棒は路地にすっ転んでいて、それでも右手に掴んだ二本の串を離さないのは褒めてあげてもいいんじゃないだろうか、とも思う。
「何すんの!」
「だから、盗みは良くないですって」
何度か繰り返された言い合いが、また始まろうとしたその矢先。
「待て〜!」
なんだか気の抜ける声とともに、路地に追っ手が一人駆け込んできた。
しかし、そこには今も泥棒が転がっていて。
「うわぁっ」
「うひゃあっ」
追っ手は素早く飛び上がると、宙でくるりと一回転。華麗に泥棒の向こうに着地する。いきなり飛び越された方はたまったものではないが、こんなところで転がっている方が悪い。いや、彼女の意思ではないんだけど。
碧流はそれをさておいて、追っ手の少女に目を向けた。
「あ。雪祈さん」
追っ手は、昨日紫絡さんに教わった顔だった。見覚えあると思ったら。
「え? と?」
名前を呼ばれて、きょとんとする雪祈。
碧流は知っていても、向こうが知っているわけはない。
「ああ、すみません。僕は碧流。同じ学院生です」
「あ、どうも。雪祈と言います」
意外な場所で、自己紹介。ようやく碧流より小さい子がいた。
お互いに頭を下げて、不審を解きつつ。
「ついでにこの人も同じく学院生なので、ここは穏便に済ませて欲しいなって思うんですが」
下に転がる泥棒を指差す。しかし泥棒は泥棒で。
「あ。あっ! しーーーーっ! しーーーーっ!!」
一生懸命、唇に人差し指を立てていた。今さら隠してどうなるか。
雪祈は状況を理解できていないのか、碧流と泥棒の顔を見比べて。
「あ〜、穏便にっていうか。もし、その串がまだ食べられていないのであれば、返してもらえればそれでいいんですけど」
「もう食べたっ!」
とっさに食いつこうとする泥棒。碧流はその頭と腕を素早く押さえると、
「まだ食べてませんし、汚れてもいないと思います。大丈夫ですよ」
目で、雪祈に回収するよう促す。
雪祈は、なおも暴れる泥棒を、不思議な生き物でも見るかのように。
「汚れてても平気なんですけどね。白翔さま、甘いものであれば、そういうことは一切気になさらないので」
けっこうひどいことを平気で言う。
これが、メイドの裏側、というやつなのだろうか。
しかし、それに強く反応したのは、取り押さえられている泥棒で。
「え、何? 甘いもの? これ、肉じゃないの?」
「揚げ干し杏串ですけど?」
揚げ? 干し? 杏串?
『干し杏』というキーワードと、衣にたっぷりと粉砂糖が掛けられた見た目が見事にケンカして、すっと頭に入ってこない。甘いものがあまり得意でない碧流からすれば、まずまずの狂気の沙汰だ。
たっぷり三度見はした碧流の下で、商品名を聞いた泥棒の身体から急速に力が抜けて行く。
「じゃあ、いらない。はい」
大人しく、串を雪祈に返した。
「あ、どうも。」
やっぱり不思議な生き物を見る目で。受け取った雪祈が頭を一つ下げる。いや、そこで礼はいらないと思うけど。
こうなると、碧流も彼女を押さえておく必要はない。でも、放したら即座に逃げられそうな気がして。
「えっと、キミは――――」
「キミって言うな!」
即座に怒られた。
「じゃ、じゃあ、名前は?」
「お前に名乗る名はないっ!」
……めんどくさ。
「あの。学院に通っているのに、どうして、こんな盗みなんて?」
諦めかけた碧流に代わって、雪祈が昨日の碧流と同じ疑問を口にした。
「だって、お腹空くじゃん」
当然、返答も一緒。しかし。
「お昼、食べないんですか? 食堂で」
それは、至極真っ当な疑問なのだろう。燃費の良さそうな雪祈にとっては。
お昼にいくら食べても、夕方にはまたお腹はすくんですよ、と思わず泥棒の肩を持つようなことを言いかける碧流であったが。
「だって、あんな高そうなところで、ごはん買えるお金ないもん」
飛んで出たのは、意外な答え。
思わず、碧流と雪祈は互いの顔を見合わせる。
「食堂、無料ですよね?」
「はい。お金は払いません」
そして、もう一度転がる彼女に目をやると。
「うそっ! じゃあ、アタシ何食分損してたのっ!?」
あまりの衝撃に、碧流を振り払って叫ぶ少女。
いや、損はしてないが、気持ちはわかる。すっごくわかる。
泥棒だった彼女は、しばし呆然と、なぜか自分の両の手のひらをじぃっと見つめて。
やがてぎこちなく立ち上がると、串を持った雪祈の両手を、上からがっしりと握りしめた。
「ありがとう。雪祈は、命の恩人だよ」
目尻には、涙まで浮かんでいる。その意味は、さっぱりわからないけども。
「い、いえいえ、とんでもないです」
手を握られた雪祈の腰が引けている。恐らく単なる聞き忘れで、ここまで感謝されたのでは致し方あるまい。
やがて、泥棒だった少女は、満面の笑顔を取り戻すと、
「本当にありがとう! じゃあ、また学院で会おうね!!」
爽やかに手を振って、薄暗い路地の向こうへと駆けて行った。
まるで、初めからただの学院生同士だったかのように。
残された二人は、呆気に取られたまま。
「あ、そう言えば。これ、ありがとうございました」
雪祈が、二本の揚げ干し杏串を見せながら、碧流に頭を下げれば。
「いえいえ、損害がなくて何よりです」
碧流もまた丁寧に礼を返して。
そしてたいそう腑に落ちない何かを抱えて路地を出た。
とても、友だちが一人増えた、と素直には喜べなかった。
白翔が『遅い!』と叱る声が、黄昏の空に響いていた。




