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泰皇国立皇統学院記 〜 一年目 夏 〜  作者: 都月 敬
0 日目
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昼_応接室


「――――あなたが当学院に入学するにあたって、一つ大きな問題があります」


 静まりかえった部屋の中、女性事務官の涼やかな声が凛と響いた。

 怯んだ胸の内を隠して、泰然と背筋は伸ばしたまま、まっすぐに女性を見返す。

 文化の違う世界に入るのだ、スムーズに進むとは思っていないが。


「あなたの名前は、この泰皇 (タイコウ) 国には相応しくありません」


 いきなり、ずいぶんなことを言われた。

 しかし、口調は厳しいが、そこに棘はない。泰皇国的には、いわゆる常識的な判断、というやつなのだろう。


「ですので、この場で付けさせていただきます」


 展開が早い。しかも一方的。

 あくまで事務的な口調には、付けられる側の意思の割り込む隙など全くない。

 となれば、こちらも腹を括るしかないだろう。この袖も裾もぞろぞろとした動きにくい服を毎日着続けることに比べたら、勝手に新しい名前を付けられる程度のこと、何の問題もない……はずだ。いや、そう思おう。

 なんとか呑み込んだ葛藤は意にも介されず、改名手続きはサクサクと進む。


「本来であれば、姓は国姓、または貴姓でなくてはなりませんが、あなた方、流 (ル) 族には国色がありません」


 淡々とした言葉に、聞き慣れない単語が続発した。

 慌てて、事前に詰め込んだ知識を検索する。

 まず、泰皇国民の名前は一字ずつの姓と名の組み合わせで構成される、というのが大前提。姓は家に代々伝わるもので、名は産まれた際に付けられて個人を示す。

 姓には国姓、貴姓、一般の姓があり、国姓とは各国の公族、貴姓は士族を指す。

 また国色は国ごとに定められている尊重すべき色のことで、国姓は国色を表す文字そのもの、貴姓は族色 (ゾクショク) と呼ばれる国色に類する色や、国色を代表するものを表す文字から付けられる。逆に、その他一般人はそういった文字を避けるのが通例。

 以上、検索終了。

 この学院には公族か有力士族の子弟しか入学できない。

 そのため国姓、貴姓を持つ者しかいない。

 だからここでもそういった名を付けるべきである、ということだ。


「現在、流族から申請されている国色は緑と聞いています。公式に決まったわけではありませんが、仮にこれを使いましょう」


 流族の故郷とも言える海をイメージした、緑。

 その意思を尊重してもらえるのだ、もちろん異存はない。


「国姓は緑 (リョク) となりますが、あなたは公族ではありませんね?」

「はい」


 初めて口を開き、頷く。事務官の女性もまた、満足そうに頷いて。


「ならば、貴姓となります。緑に類する色として、碧 (ヘキ) ではどうでしょうか」


 碧。これも海っぽいし、音の響きも緑より好みだ。

 そう思ったが、こちらの意思を確認しているようではないので、反応は心の中だけに留める。


「あとは名ですね。これは自由に決めてもいいのですが――――」


 女性事務官は改めて視線をこちらへ向けると、にっこりと微笑んで。


「流族の、流、にしましょうか」


 やっぱりあんたが決めるんかい。しかも安直に。

 思わずツッコみかけるが、ここもまた静かに拝命。

 これで泰皇国での名前が決まった。


「校外で字 (アザナ) を名乗るのは自由ですが、それも泰皇国らしいものを付けること。学院生としての品位を貶めるようなものは厳禁ですし、学内での使用も禁止です。また――――」


 なおも細かい注意事項が説明されていたが、以降はほとんど聞き流していた。

 新しく付けられた名前を口の中で反芻してみる。

 碧流 (ヘキル)。

 なかなかいい名前だ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 大陸の北東から海へと突き出す嵩泰 (スウタイ) 半島全域を占める泰皇国は、現在五つの国に分かれている。中央の香 (コウ) を宗主として、東に征 (セイ)、南に須 (シュ)、西に柏 (ハク)、そして北に厳 (ゲン)。普通は頭に方角をつけるか、単に方角だけで、東征 (トウセイ) 国、または東国、東方国などと呼ぶ。

 央香 (オウコウ) 国の王は泰皇国の皇 (オウ) を兼ねて泰皇国全体を統べ、四方を護る四方公が皇を支え仕えて、泰皇国は三百年間、嵩泰半島全域を支配していた。


 今を遡ること三十数年前、この嵩泰半島に三百年ぶりの異変が訪れる。

 西柏 (サイハク) 国と北厳 (ホクゲン) 国の国境付近に、とある一族が漂着したのがその始まりだった。その理由はいまだに語られていない。故郷を捨ててあてもなく海に出て、偶然辿り着いたのだと伝えられるのみである。

 彼らの存在が泰皇国の各政府に認知されるまでは、漂着から十数年の時を待たなければならない。数百人規模の民が突然現れて、なんの報告もなかったということは考えにくいが、西北どちらの支配力も及びにくい辺境だったためと思う他ない。もちろん全くの無人だったわけではないから、近隣に住む民は恐る恐るながら彼らに近づいていたようだ。彼らに泰皇国の言葉を話せる者がいたこともあって、互いに無用な血を流すことも少なく、少しずつ交流を深めていったのだろう。恐らくは物々交換から交易を開始し、次第に人や物の行き来も増えた。やがて泰皇国政府がその存在に気づく頃には、もう街と呼べる規模の集落が出来上がっていたと言う。

 とはいえ、泰皇国側からすれば、いつの間にか住み着いていたという認識であり、ほぼ原野に近い地域とはいえ、流れ者に勝手に居着かれるというのは容認しがたい。特に、どちらの、とははっきり言えないにせよ、自分たちの領土であることは間違いない西柏国、北厳国の両国は、決して彼らの居住を認めようとはせず、それでいて折に触れては税と称して金品を要求するようになっていった。


 そんな漂着民族が流族を名乗り、自分たちを泰皇国の一国として認めるよう、正式に申請を始めたのは、わずかに三年前のことだ。どこの助力も受けずに自分たちの街を作り上げて早三十年。国力はまだ四方国と比べるべくもないが、泰皇国にはない文化がある。もし国として認めてもらえれば、それらを泰皇国全体の利益に寄与することができるとの主張だった。

 認めれば彼らを国として独立させることになる。西柏国と北厳国は強硬に反対し、いずれかの支配下とするよう主張し続けたが、他の国々は彼らの新しい文化に興味を持ちいずれかの国に独占されることを嫌った。もちろん五国の伝統を崩すこと自体に反対する保守派もおり、議論は紛糾する。結局、合意点は見つけられぬまま、三年が経過した今も未だに結論は見ていない。

 その中で央香国から一つの意見が出た。それは流族が泰皇国の一国として相応しいかどうかを確認するために、流族の代表者を央香国が誇る泰皇国立皇統学院に入学させてみようというものだった。

 学院で二年間、教官の用意する試験で合格し続けることができるか。

 央国の皇族か、四方国の公族か、有力士族の子弟しか入学することはできないという学院の中で、彼らと対等に語り合うに充分な品格、礼儀を身につけられるか。

 付け焼き刃ではない能力、人格を試そうという意図である。

 由緒正しき学院を試験に利用することへの反感もあったが、議会はこれを承認。流族もこれを受けて、直ちに送り込まれた代表者というのが、たった今、碧流と名付けられた少年だった。


 一族の悲願を叶えるため。この結果が、一族の未来を左右する。

 ひとりの少年に課せられるには重すぎる使命ではあるが、碧流に求められるのはそれだけではない。

 泰皇国の知識を自族へと持ち帰り、広めることが何より重要だった。

 儀礼を重んじる泰皇国で対等に外交を行っていくためには、今まで得られた知識だけでは到底足りない。泰皇国の歴史や地理、政治、法律、経済、文化、さらには泰皇国の一国として相応しい礼法など、覚え、身につけなければならないことは山ほどある。それも人に教えられるほどにならなければ意味がない。これは今回の試験などなくても、泰皇国でやっていくため、流族には必須なことだった。

 そう思えば、テストのためとはいえ、泰皇国における最高学府で学べることを幸いだった。知識は求めるだけ得られ、指導も望むだけ与えられる。

 何より、碧流はワクワクしていた。

 学院には、言わば泰皇国の次代を担う才能が集まっている。

 いったいどんな人間と出会うことができるのだろう。

 流族も試験も関係なく、碧流はただただ楽しみだった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「――――手続きは、以上となります。何かご質問は?」


 ようやく本日二度目。女性事務官が碧流へと質問の手を向けてきた。


「ありません。これから、よろしくお願いいたします」


 立ち上がり、深々と頭を下げる。泰皇国の礼法は常に意識していないとまだとっさには出てこないが、少なくともここは外していないはず。


「はい。よろしくお願いします」


 初めて、にっこりと微笑んで、事務官が礼を返す。

 これをもって入学手続きは終了。


 ここから、碧流の学院生活が始まった。


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