記憶の中にある風景
かくも由々しき事なれど、我が命の幾久しきを知る由にて候
「三十まで生きられるかどうか。 何とも言えません」
医者に告げられた言葉だった
診察室から、待合室までの白い廊下
5mくらいの長さだっただろうか
その距離が永遠の長さのように思えた
多分、大勢の患者さん達がいた筈だったが
長い長い廊下を、時が止まったようにシンと静まりかえった空間の中を
私は、只一人 歩いていたような気がする
一人で入院の準備をして、一人病院に向かった
「5階の病棟です」
看護士さんの明るい声がロビーに響いた
エレベーターで5階に上がっていく私
すれ違う見舞客たちの目が、まるで私を憐れんでいるかのように思えた
ひどく情けなく感じた
5階のランプがついて扉が開いた
破れたビニール製の茶色いソファー
何回も読み返したのか、分厚く膨らんだ古い雑誌
全てがネズミ色に見えた
案内された病室の扉を開いた
「こんにちは」
意外にも、若く凛とした声が私の耳に届いてきた
「よろしくね」
そう声を掛けてきた少女は高校生くらいだろうか、陶器のように白くつるんとした肌に
長いおさげ髪を結わえてたその少女は、賢そうな目で私をじっと見ていた
南病棟の5人部屋
私と少女の二人だけで使うことになった
それから、私達の楽しい日々が始まった
好きな男の子のはなし
マンガの貸し合いこ
将来の夢
両親の事
夜通し話して婦長さんに怒られた事もあった
昔からの友達だったかのように毎日毎日、飽きずに過ごした
桜の季節
病院の中庭にある桜の木が満開だった
一緒に写真を撮ってもらい 花びらを押し花にして本の中に閉じた
程なくして私は退院することになった
「よかったですね 早く気がついたから大したことにならなくて」
「お世話になりました」
私の病気は発見が早かった為、幸いにも薬が効いて完治することができた
「私、もう少しかかるんよ」
「大丈夫 大丈夫もうすぐ退院よ。 そうそう、このテレビカード使ってね
来週あそびに来るよ」
そう言って私は病室を後にした
次の週の火曜日
私は少女に会いに病院に行った
「Tさんのお見舞いです」
受付の看護士さんが、訝しげな顔で私の顔を眺め、首をかしげた
「お間違いではありませんか」
「………?」
「そちらの方が、いらっしゃった記録はございませんが…」
……少女は、最初からいなかった
あれから、十五年くらいの時が経った
私は、少女のことも自分が病気になった時の事もすっかり忘れていた
ちょうど、ことしは母方の分家にあたる叔父が大往生を遂げたということで
初盆参りに私もいっしょに行くことになった
はなれた親戚だったので行くのは初めてだった
大きな椿の木 玄関の前にある灯籠 裏に見える山の形
初めて行く家なのに妙になつかしいような気がした
仏壇に線香をあげ ふと、飾ってある写真の方を見た
「……あの人は、」
「ああ、Tちゃんねぇ もう三十年になるかねぇ 高校生の時に病気が見つかってねぇ
きれいな子でしょう」
あの少女だった
たあいもない事を毎日毎日、飽きもせずに話していた日々
今にして思うと、あれはもしかしたら青春の一こまだったのかもしれない
一緒に撮った写真
本を開くと、茶色くなった押し花だけが、ヒラヒラと私の手に落ちてきた