第一章
本日、東京湾。
早朝の漁に出た漁船から、朝靄の中をゆっくりと進む巨大な人型の上半身を見たと、漁師が所属する海運局の方に通報が入った。
それはそのまま海上保安庁、水上保安庁に通達され、一気にこの東京湾周辺区域が厳戒態勢となった。神無川県沿岸部や第参東京海堡には巡視船や水陸両用戦車が起動状態で待機姿勢となった。湾内は漁も海上工事も一切停止され、粛々とした雰囲気でその日は始まる。
朝靄が完全に消え、海の向こうから立ち上る朝日を背に受けながら、それは現れた。
巨大な人型の上半身が海の上を静かに進んでいる。
両肩には二本の筒を背負っている。
それは大砲のようにも見えるし、何かを繋ぐための導管のようにも見える。
この国に現れる機械神は、あの二本の筒をどこかに運んでいると言われている。
天国へ登れる螺旋階段か、地獄へ直行の落とし穴か、過去に戻れる時間隧道か。それは誰にも分からない。
その行き先不明かつ届け先不明なシロモノを運んで東京湾通過中である更に正体不明な物体である機械神の、腰部に当たる部分のハッチの一つが開くと、少女がそこから頭を出した。そのまま上半身を出して周りを確認する。体にぴったりとしたボディスーツでも着ているのか、綺麗な胸の形が浮き彫りになっている服装。
しかしこれだけの振動の最中にいるのに、彼女は顔色一つ変えないで状況確認を行っていた。彼女がいるのは腰の辺りなので腕や脚に比べればまだましであるが、それでも相当な上下動をしているはずである。
「――」
彼女は硝子のような青い瞳を動かし周囲確認を続けると、ようやく目的のものを見つけた。外部機器を止めているボルトの一つが緩んでいる。
彼女はハッチから全身を出すと手近な場所にあったフックを掴んで体を支えた。そのフックを掴んだ指が、間接ごとに隙間が開いていて、そこから回転や伸縮を組み合わせた複雑な可動機構が覗いていた。
彼女は義手なのかと思うとそうでもなく、良く見れば手首・肘・肩と、指の関節をそのまま大型化したような間接で腕が繋げられていた。更には首にも胴にも股間にも隙間が開いていて同じような間接が見える。脚部も同様。
彼女は機械神の中に常駐する少女の形をした人型機械、自動人形――オートマータの一体。ボディスーツに見えたものは、彼女の外皮である表面装甲であったらしい。顔色が変わらないのも、顔面部で動く部分は眼球しかない硬質なものだからだ。
機械神とは他の機械に準えると、艦艇ほどの規模の物体となる。それだけ雄大なものになれば、全くの無人で動くということも考えられず、艦船と同様に内部で常態維持を行う「何か」が必要になる。
それは普通の艦や船であれば人間が乗り込んで行うことになるのだが、艦船が動くのは基本的には平面(二次元)だから可能なのであって、遊園地の大型遊具のような常に三次元機動を行っている機械神の中で作業するのは不可能である。
重要部位(操縦施設等)には、機体機動を相殺する重力制御機構があるだろうが、手足にはそんなものはあるはずも無く、その部位に生身の人間が乗っていたら壁や天井に叩き付けられてミンチは確定である。
根拠地に帰り着いての整備であれば生身の人間も乗り組んでの作業もできよう。だが、動くたびにどこかしら壊れていくのはこの手の巨大機械の常であるので、艦艇のように動いている最中でもある程度の修理・整備作業は出来なければならない。
そこで考案されたのが彼女たちオートマータである。
複雑な動きを可能にする機械腕を内部に大量に設置しておけば良いのではないかとも思われるが、やはり固定式では緊急時の柔軟な対応が難しいので小型の移動機械の常駐が考案されたのだが、人間と同レベルのフレキシビリティが求められた結果、ならばいっそのこと人型を模したものを――ということでこの少女型機械の設置となった。女性型であるのはその細い体で、どこにでも入り込めるようにである。
「――」
オートマータの彼女は、機体表面の軽度な損傷(ボルトの緩み)を察知して出てきたのであるが、自分が出てきたハッチから目標までは、機械神の表面を歩いていくには少し距離がある。
「――」
彼女は少しだけ思考時間を取ると、次の瞬間にはフックから手を離してころんと転がるように身を投げた。そして空中で体を回転させながら――変形した。
肩関節が上の方に折り曲げられ、肘と手首も深い角度で曲がり、腕全体が三角形を模した形になる。それが両腕分一対顔の前で組み合わされ、下腕で顔部を隠すようになる。デルタ型となった腕は、拳と肩の間にはトライアングルのように少し隙間があいている。
脚部は膝下の部分が膝関節の前に移動し、足が下へ折れ曲がる。脛部分が前に押し出され、膝関節と踵の間に空白ができる形になる。
膝関節があった部分には今は円形状の機器が露出しており、踵にもある同じような形の機器との間に光線が走った。腕のトライアングル状の隙間には光球が灯る。
これは機械神の中を高速移動するための飛行形態である。
彼女達の体は機械が詰っている都合上、見た目に対して非常に重い。個体差もあるが平均で150キロはある。
そんな重量物である彼女たちが素早く移動するのは問題も多いので、機械神内部での円滑な高速移動の為にこの形態へと可変する。細い体を更にコンパクトにまとめ、機械神からの受信、そして自らを飛行させるためのユニットを露出させた形態へと変形するのだ。
トライアングル状になった腕は、その隙間の部分が機械神からの受信装置であり、本体からの動力供給と遠隔操作を受ける。これにより機械神の中であればほぼ無限の飛行能力と、機械神本体からから送られる壁との自動測距によりぶつからずの高速内部飛行が可能となる。
脚部は飛行ユニットであり、擬似火電粒子を用いた浮遊素子を膝関節から踵へ流動させることにより飛行できる。
更に人型であるから胴体にも間接はあり、カーブを曲がる時に腰も曲げることにより、角に添うように最小の旋回半径で狭い場所を進むことが可能。
この飛行形態は機械神の影響下にあれば装甲表面の外部でも飛ぶことが可能であり、機械神から離れた状態でも極短時間であれば飛行可能である。
彼女はその可変能力を利用して、少し離れていた目標まで一瞬で飛んだ。到着すると再び人型へと戻り、ここでも手近なフックを掴んで自身を固定する。
オートマータは緩んだボルトを手で掴むと、そのまま回して締めなおした。この程度の軽作業ならスパナなどは必要ない。鉄製の彼女達の手指そのものが工具となる。
「――」
作業を終えたオートマータが再び変形して中へ戻ろうとした時、高く打ちあがった波に飲まれた。
それは機械で出来た彼女であれば、少し静止していれば凌げるはずの、なんてことのない物のはずであったが、固定しているフックの方が外れた。面積の割りに重量のあるオートマータの体に当たった波の圧力を全部引き受けた結果、許容範囲を超えてしまって外れたらしい。海の波とは頑丈に作らている筈の艦艇の艦首を潰すほどの力があるので、今回も様々な作用が合わさって、このような結果になってしまったのだろう。
波に流された彼女は機械神の外装に叩き付けられ、右膝から下が装甲と機器との隙間に入り込んでしまった。
それを外そうとする暇も無く、もう一度強い波を浴びた。その水圧を受けた彼女の右足は、挟まった部分からバキリと折れてしまう。オートマータの体が波間に落ちた。
「――」
彼女は左足だけ変形させて飛行を試みたが、いくら飛べるとはいっても波に揉まれてはなす術も無く、そのまま機械神の移動で背後にできた渦潮に飲まれて海底へと落ちていった。
「――」




