灼熱の犬飼さん2 その4 07 ~粥を……作ってくれぬか~
「……ぅん、?」
鬼越が気付いて目を覚ました時、ここふた月ほどで見慣れた天井が見えた。低い位置にある角材を格子状に組み合わせた上に板が載る。二段ベッドの下から見える上段の底だ。倒れた自分を誰かが寝床に運んでくれたらしい。衣服が夜着に変わってもいた。
「よかった……目を覚ましてくれて」
「……?」
いつも一緒にいる住人とは違う声を聞いて鬼越が顔向けると、委員長が今にも泣きそうな顔でこちらを見ていた。
「委員長か……なんだ、看ていてくれたのか」
「うん……」
「ここの部屋のもう一人の住人はどうした?」
「そこで寝てる」
委員長が顔を向けた方を見ると、テーブルの上に突っ伏して陽子が寝ていた。
「ちゃんと寝床の上の段で寝ていればいいものを」
鬼越は口ではそんな風に言うが、陽子の気持ちももちろん分かる。彼女のベッドは鬼越の上の位置だが、今日ばかりは鬼越の顔の見えるところにずっといたかったのだろう。
「犬飼さんもずっと起きてたんだけどね、疲れてちょっと寝ちゃったみたい」
テーブルの上で静かに目を閉じている陽子。そんな風にして自分の腕に蹲るようにして寝ている姿は本物の狼のようだ。
「菖蒲はどうしたんだ?」
「……海岸に持っていって燃やして捨てた」
「そうか」
「……」
「……」
「ごめんなさい……」
しばらく沈黙が続いた後、委員長がそう口を開いた。
「どうした、アタシのことが殺すほど憎かったんじゃないのか?」
その言葉に委員長は全力で首を左右に振る。
「すまんな。今の言葉はアタシの方が意地悪だったな」
その謝罪を聞いて委員長が再び全力で首を左右に振る。
「鬼越さん……これ」
委員長は力なく言いながら一枚のカードを差し出した。
「これは?」
「菖蒲の箱に入ってた母さんからの手紙」
鬼越は差し出されたカードを受け取るとその文面に目を通した。アルコールの匂いがしたが、それは菖蒲の匂いの消毒のためであろうと、鬼越は委員長の心遣いを酔いそうなほど強い消毒液臭に感じた。
「なるほど、そういうことだったか」
委員長の母からのメッセージを読んだ鬼越が得心がいったように頷く。
「この母上からの手紙というのはヨーコには見せたのか?」
「ううん……怖くて見せられないよ」
「そうか、ならばヨーコには見せずにそのまま捨てろ」
「……え」
「これ以上話が更に複雑になるのはアタシも好まん」
鬼越が静かに、それでもきっぱりとした口調で言う。
「委員長のことをヨーコから引き離したいと願うならばこの手紙は最高の武器になるだろうが、アタシはそんなことを望んでいるわけではない」
「……」
それを聞いて思わず涙が一滴零れた委員長は、眼鏡を上げて指で拭った。
「……鬼越さんって優しいね」
再び眼鏡を戻しながら委員長が言う。
「そのような褒誉を受けるのは鬼(我が種族)にとってはあまり好ましくないものだがな」
しかし鬼越もそう言われて、嬉しそうな微笑を隠そうとはしない。
「じゃあそれ、鬼越さんにあげる。せめてもの罪滅ぼしに」
「いいのか?」
「うん……」
鬼越はそれを聞いてカードを枕元に於いた。回復したら私物入れのバッグの奥にでもしまっておこうと思う。特にこれを何に使おうとするつもりもないのだが、委員長の気持ちを形としてもらったのだ。大事にしようと思う。
「しかしあの菖蒲は効いたな。アタシも里の外の世界で活動するようになってからは気をつけてはいたのだがな、まさかあんな直接的にしかもあれだけ多量に更には不意打ちで食らうとは思わなかった。もう少し手段を巧妙に仕上げておけば、委員長は魔法少女にならなくともアタシのことを倒せていただろうな」
「……」
確かにそうかもしれない。
だが、鬼越のことをこの町から消して陽子のことを奪い返そうという気持ちは、さっぱり消えてなくなっていた。
事前にもっと鬼という生き物のことを勉強していれば、弱点も早期に見つけて労せずして鬼越には勝てていたかもしれない。
しかし今となっては何か――その行為には歪なものを感じるようになった。
「犬飼さんも『ボクがこの部屋で預かってなければ良かった』って申し訳なく思っていて」
だから委員長はそんなことを言った。みんな倒れた鬼越のことを心から心配した。その一人に委員長もいた。今となってはそれだけだ。
陽子が、寮母に頼んで委員長の部屋の鍵を開けてもらって、中に荷物を入れておいてあげればよかったと悔やんでいたことも話した。
「それならばここで開けても良いと言ったのはアタシ自身だからな。失策はアタシにもあるぞ」
しかし鬼越自身は済んだことだからと静かに言う。
「菖蒲が毒として鬼にどれだけ効くかは千差万別だ。アタシに非常に効き目があったのは、まだ歳若いから体内に菖蒲に対する抵抗が殆ど無かったからだろうとは思う」
そしてまだ外の世界での経験の浅い自分だったからこそ招いた失策だったと鬼越自身も語る。
「お前とヨーコはアタシが気を失っている間は、何か会話はしたのか?」
「ううん、なにも……」
必要なこと以外は会話するような雰囲気ではなかったので、二人とも殆ど無言だった。
「そうか、ならば今回までの経緯はヨーコにはこれ以上は喋らぬほうが良いだろうな。その方が丸く収まる」
「……」
「お前がアタシに陽子を取られたと恨みを持ち、魔法少女を継承してまで倒そうとし、最後に先代である母上から菖蒲が届けられた――話さないでおくのはそこまで全てだ」
鬼越はその一連の内容を委員長には話さないと約束したが、それを委員長自身も話すなと言う。
「でもそれだと鬼越さんが悪者のままで……」
「鬼は生まれながらにして悪役だ」
委員長のそれでは申し訳ないという申し出を、鬼越はあまりにも簡単に遮った。
「委員長もアタシに言っただろう、鬼は倒されるものだと」
「……」
「アタシは生まれながらにして悪役だ。怨まれるのは慣れている」
「……でも」
「お前は生まれながらにして正義の味方なのだろう? ならばその矜持に従って最後まで貫き通せ」
「……」
鬼の彼女はかつて、一族を一度を滅ぼした蒸気侍を討つというたった一つの使命を受けて、里を出てきた。悪なら悪らしく人生の全てをかけてでも恨みを晴らすと、その想いだけを胸に秘め。
それだけ一途に生きられる彼女の言葉は、自分を邪魔した相手を倒したいと半ば軽い気持ちで正義の力を継承してしまった委員長には重かった。しかもそれを言われたのが倒すと決めていた彼女なのだから、更に重い。
「……」
「粥を……作ってくれぬか」
少し会話が途切れた後、鬼越が唐突にそう言った。
「おかゆ?」
「できれば極限まで簡単な作りのものがいい。少し腹が減った」
「……わかった、すぐ作ってくる」
委員長は寮母の部屋に行くと、火の落ちた厨房を貸してくれるように頼んだ。鬼越が倒れたのはもちろん寮母にも伝えていたので、鬼越が目を覚まして粥が食べたいと言ったからと伝えると、快く了承してくれた。
静かな厨房に入った委員長は、残り物のご飯を見つけるとそれを雪平鍋に入れ、水で軽く煮込む。後は少量の塩で味を調えて椀に移す。味噌汁用の三つ葉があったのでそれを少し散らした。
10分ほどで準備を整えた委員長が再び鬼越の下へ戻る。
「どうぞ、口に合うかどうかわからないけど」
委員長が上半身を起こした鬼越に椀を渡す。箸とスプーンの両方を用意したが「箸が良い」というのでそれも渡す。
「いただきます」
椀に口をつけ箸で少しずつ流し込む。
「美味しいな」
飾らない味が弱った体にたまらなく美味しい。鬼越の無骨な褒誉に委員長は少し頬が赤くなってしまった。
「委員長は料理が上手いのだな」
鬼越にしても冷や飯にただお湯をかけただけでも全然構わなかったのだが、自分が望んだ味そのものが出てきて少し驚いた。
「うちの母さん急に一週間くらい入院しちゃうこともあったからさ、それくらいならすぐに作れるよ」
「それはもしかして齢を重ねても魔法少女として戦ううちに、体が故障してなどではないか?」
「うん、まったくばっちりの正解だよ。良く分かるね」
「アタシは戦いの種族だからな、なんとなくその辺りの事情は分かる」
そうして会話を続けるうちに鬼越は全部平らげた。
「ああ、美味しかった」
「おかわりは? すぐ作れるよ?」
鬼越から椀と箸を受け取りながら委員長が訊く。
「いやいい。これで十分だ」
そう言いながら鬼越は再び体を横たえた。
「良く眠れそうだ」
「……ちゃんと起きてきてよ」
「努力はする」
鬼越はそう告げると瞼を閉じた。
「……」
本人が眠りたいのなら後は静かにしておくのが一番だと、委員長も鬼越の眠るベッドから離れてテーブルの一角に座った。
「……」
今委員長の目の前には、狼人が無防備な姿で眠っている。ほんのちょっと彼女に寄り添うだけで、ほんの少し彼女の体に手を回すだけで、委員長の長年の悲願は達成されるだろう。
しかし、こんな状況で手に入れたこの機会を自分のために使うほど、委員長の性根は腐ってはいなかった。
「……」
陽子が目を覚まして鬼越の看病を代わるまで、委員長はその柔らかな銀毛を見つめるだけで時を過ごした。




