灼熱の犬飼さんその1 02 ~痴女? そう指摘されると返答に窮する~
昼休みが過ぎて午後からの家庭科の時間。本日は調理実習。
午後からの実習と言うことで、必然的にお持ち帰りを考慮したお菓子作りになる。
「相変わらず午後実習の時はバニラエッセンスの香りが凄いね」
教室に充満する甘い匂いを吸い込んだ生徒の一人が言う。各班のテーブルには必ず一つずつバニラエッセンスのボトルは置いてあるはずなので、その全てから匂いが漏れ出しているのだからやはり凄い匂いだ。
「それ系の香水付けまくり女子が一人紛れ込んでるって訳じゃないとは思うけど……でもやっぱり凄いねこの匂い」
「バニラパフュームが買えないからって台所に転がってるバニラエッセンス振りかけてくる女もいるって聞いたことあるけど、それで匂いがプラスされてるじゃないの本物のバニラエッセンスの?」
「マジで!? アリ寄ってくんじゃん!?」
そんな風にして女子がきゃっきゃと騒ぐ中、ヤル気無さ気な男子がぞろぞろと入ってきて(共学であるからには男子も女子も授業は同じようにこなされる)最後に陽子が入ってきた。
「相変わらず調理実習の時のヨーコは重装備だよね」
その教室内への入室が、ジャージであるのを除けばこれからオペに望む医師のような物々しさであるのにクラスメイトの女の子の一人が突っ込んだ。
「だってこうでもしないと毛が入っちゃうからね」
陽子がマスクの奥で苦笑する。
今の彼女は普段は体育の授業でも陸上部の練習でも着たためしがない学校指定のジャージを上着もズボンもちゃんと着込んでいる。
こう言った家庭科の授業時など人前で料理をしなければならない時は、肌が露出しないようにきっちりと着込んで自分の毛が入らないようにしている。手は医療用であろう薄手のビニール手袋。口には前述のマスクなのだが彼女の口は出っ張っていて、しかも普通の人間の耳が彼女には無いので、後頭部で紐を縛るタイプのものを自作して付けている(こんなところにもお針子技術は生かされているので、本当に彼女の裁縫スキルは無駄に高い)。頭には三角巾で、耳の部分が少し上に膨らんでいるのが陽子さんスタイルである。
もっとも冷房が完備された部屋でなければこんな格好は無理なので、そのような設備が無い中学時代での夏場の授業など「ボクには無理!」と過去には辞退したこともしばしば。家庭科の授業中に教室内で一人で待機と言う中々に悲しい局面も何度かあった。一人自習の間に刺繍を施したハンカチなど何枚あることか。
「それにボクのは銀髪だからすぐに分っちゃうし」
自分の作業班のテーブルに向かいながら陽子が言う。ボタンを付け直してあげた男子生徒の学ランも彼女の毛が付着すると嫌がおうにも目立ったが、元々彼女以外の生徒の頭髪は殆どが黒なのである。その中に銀色の毛が混ざっていたら一発で身元はバレる。
「では今日はフルーツクッキーを作ります」
生徒全員が所定位置に揃ったところで教師の号令で授業開始。
余程校則が厳しくて偏差値が激高の学校でもない限り、この年頃の子供たちに授業内作業で複雑なことをさせても害はあっても利は全く無いので、作るものはオーソドックスにクッキーである。少し複雑なところといえば中に入れる果物を切るくらいだろうか。しかしそんな簡単な作業ですら高校生と言う生き物は失敗をするわけで
「あいた!」
さっそく一つのテーブルから悲鳴が。
「だいじょうぶ!?」
救急箱を持って家庭科教師がすっ飛んでいくと、そこには銀色の後ろ髪の女子生徒が。よりによって陽子が失敗していた。
「だいじょうぶ犬飼さん?」
「あーだいじょうぶです。すぐに血も止まります。傷ももうすぐふさがりますね」
陽子はそう言いながら切った方の左手の手袋を脱いだ。もう既に血の流れは止まっており、調理実習用テーブル脇の水道で指を洗うと、傷口もどこにあったのか分らなくなっていた。
「すごいわね」
「一応狼女ですし、これぐらいは」
家庭科教師はそれを見て安心すると、何事もなかったかのように教卓に戻っていった。
「同じ家庭科なのに裁縫は得意なのに料理は下手って不思議なもんだね」
陽子と同じ実習班の女子生徒が、左手を予備の新しい手袋にはめなおしている陽子に言う。
「まぁ練習あるのみだからねぇこればっかりは」
陽子の裁縫の腕もそれだけ量をこなしているからこそのものなのでそればかりは仕方ない。それに一流と呼ばれる調理人でも指を切る時は切る。
「でもいっくら切ってもすぐに治っちゃうのは羨ましいなぁ。包丁の練習し放題じゃない?」
「そう? でもやっぱり狼人の血が流れているから、銀製の刃物とかで切ったらエライことになるよ」
「え? そうなの?」
「銀製の食器とかでナイフあるでしょ、もしあんなので指とか切ったら全然血が止まらなくなるんだよ、ボクらの家系ってば」
陽子の血筋である狼人は傷の再生速度など驚異的身体能力との引き換えに、弱点が非常に多い。銀製の武器で大ダメージを覆うというのもその中でも典型的なものだろう。元々が血を分けてもらった神狼から能力を受け継いでいる犬飼家の血筋なので、やはりその弱点も継承されてしまっている。
「大変じゃない!?」
「まぁ元々が月見たらヤバイことになる本物の狼男と同じような血が入ってるんだからその辺は仕方ないよ。それに自分の家に銀製の食器とか置いておかなければ良いだけだし」
「じゃあ銀の弾丸とか入った拳銃を持った人がヨーコの家に押し入ったらもう大変なことに」
「銀の弾丸とか入った拳銃を持った人自体が普通はいないっての」
なにを言っているんだこの子はと言う感じのジト目で陽子が答える。銀の弾丸など漫画みたいな話だが、自分自身も漫画の登場人物のようなものなのでそこまでは突っ込まない。
「それに銀を弾にして撃つにしてもね、火薬の熱で銀が溶けちゃったりして駄目なことも多いよ? 今の時代でも溶けない特殊銀弾を作れる職人さんってまだいるのかどうか」
「ヨーコってばすっごいくわしいね?」
「命懸かってるからね、自分ファンタジーな生き物ですし」
漫画の登場人物のような彼女であるので漫画に出てくるような物も良く知っている。その気になれば町中で普通に売っているシルバーリングをはめた指で殴りかかったりすれば、陽子にはかなりのダメージを与えられるわけなのだ。日常にも意外に危険は多いので、知識を高めておくのは確かな安全予防策である。
「さって、続き続き」
陽子がフルーツを切るのを再開すると、班の他のみんなも各々の作業に戻った。
その日の放課後。
「ほんとヨーコってば陸上やってる時って楽しそうだよね」
「だって、もぐ、この格好のままで、もが……ずっと過ごせるからね……普段着にしたい、むぐ、くらいだ、よ、春、夏、秋、は」
本日の授業が終了して部活動の時間帯になって、陸上女子用のビキニタイプユニフォーム姿となった陽子が、校庭に向かいながら同じ部員にそう答える。最近のユニフォームは体にぴったりでも通気性に優れるものが多いので陽子は非常に気に入っている。本当は普通の下着が一番楽なのだが「中に着ていればどこでも脱げる」と言うのが、お気に入りポイントらしい。痴女? そう指摘されると返答に窮する。
ちなみに台詞がなんだか途切れ途切れなのは、家庭科の授業で作ったフルーツクッキーを、その自慢の犬歯で噛み砕きながら歩いているからである。はしたないですね。と言うかこれから走ろうって人間がそんな乾き物をボリボリ食べまくってて大丈夫なのか?
「冬でもそれの上にポンチョでも羽織れば十分なんじゃないのヨーコなら?」
「むぐ、ん……正解!」
ちなみに彼女は小学校で部活動が始まる四年生からずっと陸上部である。陽子は胸とお尻しか隠れていないこの露出度高めなユニフォームでいつでも過ごしたいがために、小学校からずっと陸上部に入っていた。他の部員は練習中は夏でもジャージでいる者が多いが、陽子は年がら年中これである。
陽子自身は小さい頃から背が高かったので(現在174cm)バレーやバスケへの勧誘は耐えないが「あんな蒸し暑い体育館の中であんな暑苦しいユニフォーム着て動き回れっかーっ!?」と毎回ぶち切れる。小中高の体育館施設に冷房など期待してはいけないのだ。ちなみにビーチバレーに誘われた時には「殺す気か!」と手がつけられないほど癇癪を起こしたと言う。確かに直射日光降り注ぐ砂地に毛の生えた生き物を放置するのは「死んで♪」と言っているようなものだ。
「じゃ、アップ行ってくるね」
クッキーを全部腹に収め終えた陽子はそう言うと、校庭のトラックへとランニングに出た。ストレッチ代わりの軽いものだが、それでも6年に及ぶ走り込みで築いた見事なフォームで足を運ぶ。彼女の走る姿は本当に美しい。
が、しかし、ユニフォームを上から押し上げる胸や、筋肉がたっぷり詰っていそうな綺麗に張り出したお尻と言い、彼女は陸上選手としても女性としてもほぼパーフェクトなプロポーションをしているのだが、その手足(今はお腹も見えているが)を彩る美しい毛並みの所為で、さっぱり目の保養になっていないところがガッカリポイントである。こんなに露出の激しい健康的美人が走っているというのに、男子生徒の一人も気に留めない。
ちなみにお尻の少し上からは尻尾が生えているので、走るたびにポニーテイルのように揺れている。それは髪の毛で人間の後頭部に再現された小型馬の尻尾ではなく、腰から垂れ下がる本物のウルフテイルである。
陽子の家系は――遠い先祖の話であるが、とある理由により長命であることが必要となった。何かを未来に伝えるための力が必要となったのだろう。それも極力世代を変えないで時を越えられる血の長さが。
常識を超えた長寿の必要性をかられた当時の犬飼家の人々は、当時近くに住んでいた神狼と呼ばれる巨大な狼の血を借りることにした。この種は人間から動物へと体を変態させることが可能な変身型亜人間の祖と呼ばれるものであり、人語を解し人のように動ける狼である。
その神狼から血を分けてもらえることになり、犬飼家の先祖はその血を取り込むこととなった――が
(まんま狼人間誕生ってオチはあんまりだよねぇ……)
走る陽子が心の中で不平を漏らす。
彼女の祖先は神狼の血を受け入れることには成功した。目的である長期間を生きられる命を手にもした。
それにも関わらず、満月の夜に力が溜まり過ぎて凶暴になりその果てに変身して自我が消失してしまうようなこともなく、日中の時間帯が苦手ということもなかったのだが、その容姿が狼男(狼女)に固定ということになってしまった。それも全て寿命を延ばすことに体質を極限まで変化させた結果であるという。
狼の容姿を持った人間体――変身をしない狼人間というのも西洋地域とされる場所の伝承や民話には出てくるので、その種族と同系統なのだろうと陽子も思うのだが、なんだか微妙に納得がいかないのもある。変身型亜人間のように日光が苦手ということはないのはありがたいのではあるが。
(いや、今でもうちの家系は昼間は苦手だな……夏は)
日光を浴びたらいきなり灰になることはないが、夏場はその暑熱で死ぬる思いはする。何しろ全身に毛が生えており、他の動物のように裸で生活をするのは許されないわけだ、基本的には。
ちなみに陽子も亜人類の血が流れているとは言っても、倒れてまで走ることができるわけでもないので、夏場のあんまり酷いカンカン照りの日は陸上部は休みにしたりするし、八月はほぼ全休である。その時期は水泳部に入れば良いのではと思われがちだが、犬猫の類が泳ぐのが不得意であるのと同じで、その体毛が邪魔して彼女もまた泳ぎは苦手である。
「おーい、いぬかいー、アップ終わったら道具持ってくるの手伝えよーっ」
記録用のファイルやボードを抱えた陸上部顧問の体育教師がトラックを走る陽子に声をかけた。
「――あ、はーい、あと一週終わったら、すぐいきまーすっ」
練習道具を用意するのは後輩である一年生の仕事なのである。陽子は遅いと怒られる(走るのも用意も)のもなんなので、ピッチを上げると最後の一周を早々に終わらせた。




