灼熱の犬飼さん2 その1 03 ~鬼越魅幸……あんただけは許さない~
部活が終わって夕方の時間。
委員長と陽子は家路についていた。ちなみに委員長も寮生活なので帰る場所は一緒である。
陽子が「よかったら一緒に帰ろ」と言ったので――というか言ってくれたので、委員長は一も二もなく従っている。もちろん「……い、いいけど?」という変なテンションは抜けていないのだが。
委員長にしても寮生活であるから連れ立っての下校を誘うのは別に構わないのだろうけど、普段陽子には厳しく接してしまっているのもあるので、ためらわれる部分もある。どういう顔をして誘っていいのか全く分からない。
そして委員長自身も陽子から誘ってくれたのは非常に嬉しい反面、日々の行いもあるので「良く誘ってくれたな」と思う部分もある。陽子のことを普通の人間扱いしてくれているというのを快く思ってくれているのかもしれないが、委員長の気持ちとしては真逆とも言えるので非常に申し訳ない。
だがしかし、今の時間はその申し訳ない気持ち半分よりも、先ほどからの天国にいるような気持ちの延長時間が続いているのだった。
(……あ)
並んで歩いていると、二人の歩くバランスが少しずれて一瞬腕と腕が触れ合うことがある。6月1日を過ぎて全国的に衣替えが終わり、一人先んじて済ませていた陽子に委員長も追いついて半袖になった。
剥き出しの腕を銀毛が撫でるたびに、委員長のしあわせな気持ちがまた少し加算していく。
今まで生きてきて、こんなにももふもふしたものがこんなにも近くにあるなんてありえなかったのだ。
動物に接近する度にくしゃみは出るし、涙も鼻水も酷い。しかし陽子はそんな動物のような見た目をしているのに、そのアレルギーがまったく出ない。
(なんて夢のような時間なのだろう……)
委員長は陽子を力の限り抱きしめてもふもふしたいのを必死に堪えながら、クールな表情を作っていた。頭の中では思いっきり表情がにやけているのだが。
このまま後先考えずに陽子に抱きついてみたい気持ちと、この付かず離れずの関係を続けて今の状態を出来るだけ長く維持したいという二つの気持ちが、委員長の中でせめぎあっていた。
(……)
「あ! よーこちゃんだ!」
そうして委員長が悶々とした気持ちで歩いていると、隣の狼人を呼ぶ声が聞こえた。保育園の園外散歩の列が向こうから歩いてきていた。そうして陽子の姿を見るなり園児たちが一気に「わーっ」と駆けてくる。
「お、みんなひさしぶりー!」
それを迎え入れるように陽子も駆けていく。道の真ん中で合流すると陽子は一気に園児たちに囲まれてしまった。
「……なんだろ?」
「ヨーコちゃんのお友達の方ですか」
いきなりのことだったので委員長もどう対応して良いのか分からず遠巻きに見ていると、園児たちを引率してきた保育士が近づいてきた。
「え? あ……は、はい」
余りに突然だったので陽子から目を離した委員長が思わず応える。「同級生です」と言い換えても良かったが、陽子と友達と呼ばれたことがなんだか嬉しかったので、委員長は訂正はしたくなくそのままにした。
「黄鬼さんがあれからどうなったのか心配で。あなたはご存知かしら?」
「きおに?」
唐突に発せられた謎の言葉に委員長は当惑してしまった。
「ええ。ヨーコちゃんたちが連れて行った後、どうなったのか私しらなくて。陸上保安庁の方には怪人の正体が黄色い鬼だったのは伝えないでほしいって言われてたから言ってないんだけど、でもヨーコちゃんのお友達なら知ってるかと思って」
(???)
いきなり多量の情報が飛び込んできて、委員長にも何のことやら判らなくなってきてしまったが、つい最近鉄車怪人が二回連続でこの町に現れたのはもちろん知っている。しかも二回とも同じ保育園の園児と保育士が襲われている。そしてその二回とも陽子が関係していたりする。
一度目は陽子が怪人に立ち向かって人質にされていた園児を救出したのは学校でも話題になった。
そして二度目もその時に仲良くなった園児の決死の通報を聞いた陽子が、園のみんなを逃がすために怪人のいる保育園に突入したという、またしても大活躍を見せてやはり学校でも話題になった。
しかし二度目の時は、怪人を倒したのも爆発した怪人の中身も行方不明となっている。
遅ればせながら陸保の駆逐隊がやって来た時には、現場で状況を把握できた者は保育士しかおらず、彼女の証言によると「突入してきた陽子は園児を逃がす時に傷を負ってしまい、園児と共に退避、その後何者かが保育園に現れて怪人を退治した」ということになっている。
何者かについては保育士は「園児たちを守るので必死だったので分からない」と証言し、後日になって事情を聞かれた陽子も「怪我をして頭がグラグラになっていたのでまったく覚えていない」と語っている。
その時の陽子は狼人の弱点である銀製の物品で傷をつけてしまい、血が止まらなくなって大変だったそうで、急激に血を失った酷い貧血状態では何も覚えていないのは仕方ないとされた(止血の応急処置は保育士が行ったという)。
鉄車怪人に関しては元チャリオットスコードロンの隊員であった者が、偶然居合わせて倒してしまった後にそのまま姿を消してしまう場合もあるので(しかも意外に多い)怪人爆発の確認が取れれば状況終了ということにはなっている。だから今回も元隊員がフラっと現れてフラっと退治していったのだろうという意見で落ち着いた。公式記録ではそう処理されている。
今目の前にいる保育士は、その場に居た保育士本人であるらしいが、しかし彼女は怪人を倒した者から口止めされて真実は語っていないらしい。
もちろん怪人を倒したのは鬼越と陽子なのだが、鬼越自身も目立つことは避けたく、また怪人の中身であった同属の鬼貫を陸保に引き渡すのは躊躇われたため、自分たち以外で唯一事情を知る保育士には黙っていてくれと願ったのだ。陽子が助けに来たのは園児たちも知っているので、そこは秘密に出来ずそのまま証言したのだった。
そして保育士も鬼貫のその後は知らされていない。当事者である陽子本人に訊くのは躊躇われたが、陽子の友達ならば何か知っているかと尋ねてきたようだ。秘密が拡散してしまう行為だが、保育士もそれほど心配だったのだろう。
「いえ、私はなにも」
そしてそれは、陽子との接触は今日まで殆ど彼女の服装関係の指摘しかなかった委員長には、知るはずもない話しである。申し訳なさそうに答える委員長。
「あ、もしかして普通のお友達?」
「はい?」
「ご、ごめんなさい。なんだかヨーコちゃんの不思議関係の方の友達のような気がしたから、そっち方面の話も聞いているのかと思って」
どうやらこの保育士は、委員長にも狼人的な普通の人間とは少し違う能力があるのかと思って訊いてきたらしい。だからこそ内緒にすべき内容なのに尋ねてきたのだろう。
「いえ、普通というか普通でないというか」
委員長にもほんのちょっとだけそんな心当たりはあるのだが、自分とはまったく関係のないものと思っていたので少し驚いた。やはり見る人が見ると分かるものなのだろうか。何しろこの保育士は二回も怪人と遭遇している経験があるのだし。
しかし陽子と同質の者と思われたのは良いのか悪いのか――今の委員長には良く分からなかった。
「ごめんなさいね変なこと聞いて。それとごめんなさいついでに今の話黙っておいてもらえると助かるわ」
保育士が申し訳なさそうに頭を下げる。
「じゃあ今の話は聞かなかったことに」
委員長もそう答えた。
自分もクラス委員長という責任ある立場になったので、そのようなまとめ役が余りお喋りではいけないというのは少し学んだ。別にやりたくてやり始めた役ではないのだが、彼女の人生経験には少しは足しになっている様子。
「うんごめんね――って、こら、みんな! おいたしちゃダメって言ってるでしょ!」
委員長とうっかり話し込んでいた保育士が見ると、陽子は両手両足に抱きつかれて酷い有様になっていた。
「ヨーコちゃんもあんまり酷い時は引き剥がしちゃって良いですからね?」
「まぁ子供たちのすることですから尻尾と耳さえ掴まなきゃ良いですよ――って、誰だまた尻尾掴んでるスケベな子は!」
陽子は園児がしがみ付いたままの腕を後ろに回すと、尻尾を掴んできた子の頭を鷲掴みにしてグリグリする。凄い怪力だが狼人である陽子にとってはこれくらいなんでもないのだろう。ちなみに脚に男の子が抱きついてきても尻尾でなければ陽子的にはスケベではないらしい。
(羨ましい……)
委員長はそんな風にじゃれあう陽子と園児たちの姿を羨望のまなざしで見ていた。
何のためらいも無く陽子の手足に抱きつく園児たち。あまつさえ尻尾にまで。自分にそんなことが出来たらどうなってしまうだろう。
陽子の尻尾に抱きついて、陽子に鷲掴みにされて頭をぐりぐりされる……そんなことができたら鼻血を噴くぐらいでは済まないような気がする。
「さ、みんな園に帰りますよ」
保育士は手馴れた仕草で陽子の手足に抱きついている子たちを引き剥がすと、再び列にまとめた。陽子が尻尾にしがみついたまま離れない子を鷲掴みのままもぎ取るようにするとその中に加える。
「じゃあよーこちゃんまたねー」
そうして園児たちは保育士に再び引率されて帰っていくが、別れ際に手をキツネの形にして「うぃーっ」「うぃーっ」とやり始め、陽子も同じようにして「またねー、うぃーっ」と返していた。
「それはなに?」
陽子の右手のキツネを見て不思議そうに委員長が訊く。
「あの園のヨーコちゃんスタイルです、うぃーっ」
陽子があの保育園で、自分の顔真似を園児たちがするようになった経緯を説明する。
「ひとつも合ってないじゃない」
手はキツネで声は牛で陽子は狼なのである。一つも合ってない。
「あはは、お約束なツッコミありがとう」
そうやって何気ない雑談を交えながら歩くのを再開すると、しばらくして二人の住む寮が見えてきた。
(あぁ、着いちゃった……)
それは委員長にとっての天国にいる時間が終わるということでもある。
「……ふぅ」
目の前に迫ってきた寮の玄関を見て、知らずの内にため息を吐いてしまう委員長。
「どうしたのため息ついちゃって? ……あ、やっぱりボクの用事なんかにつき合わせちゃってつまんなかったよね」
「そ、そんなことないわよ!」
思わず出てしまったため息で、せっかく良い方向に進んできた時間をぶち壊しにしたくなかったのでまたしてもおかしなテンションで答える委員長。
「まぁ今度はボクが委員長の用事に付き合うからさ、なんでも言ってよ」
しかし陽子は委員長の機嫌を少し損ねたと思っているらしくそんな提案をする。
「……え?」
なんですと?
「あ、でも、服を着ろってのはダメだよ! 今の季節でこれ以上厚着したらボク死んじゃうしっ」
だからなんですと?
(……)
陽子の言葉は委員長の心を通り過ぎて行っていた。
付き合う? 私に付き合う?
委員長は陽子と一緒にいれて大満足の放課後を過ごしていたのだが、陽子の方では無理に付き合わせてしまったと思っているのだ。つまりこの天国のような時間を延長することが可能であるらしい。
しかも今は、二人の間を邪魔するあいつはいない。
今日は図らずも二人の位置が急激に縮まった。陽子も今度は委員長に付き合うと言っている。
ならばこの勢いに乗じて――。
「ね、ねぇ犬飼さん?」
「はい? どうしたの委員長、改まって?」
「さ、最近勉強とかどうしてる?」
「べ、勉強? や、やってるよ……いちおう」
委員長の指摘に今度は自分がドモってしまう陽子。基本的には走ってばかりの陸上女に「勉強やってる?」は、まぁ無駄な問答である。
「もうすぐ中間テストも近いし――」
――試験勉強するの付き合ってよわからないところがあったら私教えてあげるしだからこのまま犬飼さんのお部屋にお邪魔してもいいかな――そう委員長が続けようと思った時
「奇遇だな、こんなところで会うとは」
後ろから一人の女の子の声。
その声に反応して陽子が躊躇なく振り向く。
「というか奇遇も何も、ここはボクたちの帰る家なんだから奇遇も無いでしょ?」
「それもそうだな」
「奇遇だっていうんなら、夏休みでもないのに自由にほっつき歩いてるミユキが奇遇にしてるんでしょ自主的に」
「的確な指摘だ」
数日振りに寮へと帰ってきた赤鬼はそう言って苦笑した。
「……」
そのやり取りを聞いた委員長が、遅ればせながら振り向く。
本当は見たくないのだが、嫌なものでも見なければならない責任感を全開にして、委員長は体を回転させる。そこには見たくも無かった赤鬼――鬼越魅幸の姿。
「……」
「隣にいたのは委員長だったか。すまんな数日も教室を空けて」
鬼越もそこでようやく陽子の隣りを歩いていたのが自分のクラスのクラス委員であるのに気付いた様子。
「奇遇ね」
委員長がまったく噛み合わないことを言う。鬼越が最初に口にした言葉に対して受け答えをしている。数日どころか数年くらい居なくなっていれば良いのにと、委員長は心の中で本心を答えていた。
「今日は珍しい組み合わせの二人が揃っているがどうしたんだ?」
しかし委員長の対応に関しては鬼越は特に反応も見せずに、陽子と委員長が一緒にいる事実を訊いた。鬼越も陽子が服装関係で委員長から毎日のように注意を受けているのは知っているので、二人が揃って歩いているのは珍しく思う。
「今日は棒高跳びの道具を借りれる日でさ、どうしても人手がいるから委員長にお願いしたんだよ」
「ああ、前に言っていた横棒を引っ掛ける手伝いか。すまんな時機が合わなくて」
陽子はとりあえず事前には鬼越に引っ掛け役をお願いしていたらしい。それを知って委員長の気持ちが更に沈む。
「いいっていいって、今日は委員長が手伝ってくれて助かったから。ね、ありがと委員長」
「……うん」
陽子がそう言ってくれるが、今の委員長は言葉少なげに何とか答えるのが限度だった。
「それはそうとミユキはどこまで行ってきたのさ、学校休んでまで」
「この州――いや、この県の外縁部まで行ってきた」
「がいえんぶ? ……県境ってこと?」
「まぁそういうことだ」
「ふーん? まぁ立ち話もなんだし、ご飯でも食べながらゆっくり旅話は聞くことにするよ」
そういって二人に「早く入ろうよ」と促した。
「そう言えば委員長なにか言いかけてたけど?」
下駄箱に靴を入れながら後ろの委員長に訊く。鬼越が現れる直前に何か言っていたような気がする。
「ううん、なんでもない」
委員長も靴を納めながら、素っ気なく答える。
「そう?」
委員長がなんでもないというのならなんでもないのだろうと、陽子はそのまますたすたと廊下を歩く。相手は部屋は違えど同じ屋根の下に住んでいるのだし、食堂でも洗面所でも顔は合わせられるのだから話があればその時してくれるだろうと、陽子にしてもそれ以上深くは詮索しない。
「じゃあな委員長」
鬼越が委員長に軽く声をかけて陽子の後に続く。またすぐに会うかもしれないし、翌日の授業まで会わないかもしれないので、挨拶は軽めだ。二人はそのまま自分たちの部屋の扉を開けて中に入っていった。
「……」
鬼越が扉を閉め切るまでしっかりと見ていた委員長は、廊下を進み自分の部屋の扉を開け中に入り、閉めた。
「……じゃあなじゃないわよ赤鬼」
そのままどさりと床に座り込む。鬼越が最後に残した台詞に呪詛の如く答える。
直前までしあわせの絶頂にいた気持ちが一気に萎んでしまった。
天国から地獄へ急転直下。まさに地獄の鬼の仕業だ。
委員長には同部屋の住人はいない。寮に帰ってきても一人。
そしてあとほんの少しタイミングがずれていれば、自分は二人部屋――陽子と同部屋になっているはずだった。
そう、あの赤鬼さえやって来なければ。
「鬼越魅幸……あんただけは許さない」
その言霊だけで相手を呪殺できるのではないかというくらいに恨みを込めてその名を呼んだ。




