灼熱の犬飼さん2 その1 01 ~ボク7月になったらスクール水着で登校しようかと思ってるんだけど~
「ちょっと犬飼さん! またそんな格好でだめでしょ!」
教室内にこだまする女子生徒の声。
「う~ん、委員長ごめん」
いかにも気だるそうな声で、その注意に全身にふさふさの銀毛を生やした狼人、犬飼陽子が応える。
「胸、開きすぎ!」
陽子のセーラー服の上着の胸元が限界まで広がってしまっているのを見て、眼鏡に二股の三つ編みというスタイルの少女の更なる注意の声が飛ぶ。彼女はこのクラスのクラス委員長。
その委員長が指摘するようにかなり奥の方まで銀毛に覆われた胸が見えている。あとほんの少しズレただけでも乳首まで見えてしまいそうな勢い。
晩春から初夏へと移り変わる季節の境目。本日は中々に気温の高い夏日であった。全身に毛の生える狼人にとっては暑くてどうしようもなく身動きが取れない季候である。
朝の登校時に陽子が教室内に入って来た時に委員長が確認した時点では、多少着崩れていたがまだ平常とも言える状態だった。しかし一時間目の授業終了後に不審を感じて教室奥に行ってみると、案の定の状態になっていたのだ。
「う~ん、ごめん」
机に突っ伏しどろーんと熱で溶けたような目をしながら陽子が同じ言葉を繰り返す。一応謝罪の言葉になってはいるが、陽子の頭の中では既に何を言っているのか分からない状態の様子。
「一時的な夏日でこの状態だもんね。本格的な夏場に突入したらバターみたいに溶けちゃうんじゃないかしら?」
椅子に横向きになって座っている陽子の前席の女の子苦笑しながら言う。彼女は実家が神社で彼女自身も普段はそこで巫女をしているので「巫女さん」とか「巫女の彼女」と、他のみんなからは呼ばれている。
本日の気温は30度以上に上がっていた。もちろん高校の教室内にクーラーなんて文明の利器を期待してはいけない。家庭科室についているのは、食品を扱う教室であるから室温で食材を痛めてしまわないようにである。
「溶けちゃうのは虎だよ……」
いちおう陽子が力が抜けつつもそれには突っ込む。開け放たれた窓から入る緩い風が背中を申し訳程度に撫でていた。
「ボク7月になったらスクール水着で登校しようかと思ってるんだけど」
「だめに決まってるでしょ!」
そんな虎でもないのに溶けかかった陽子の素敵な提案は、委員長により即座に却下される。
「スクール水着で登校」という言葉に教室内のほぼ全ての男子生徒が反応したが、その声の主が灼熱の犬飼さんだと確認するとみんな何も無かったかのように元の行動に戻る。
「じゃあいつもの陸上のユニフォームで」
「更に露出度増やしてどうするの!」
スポーツウェアの方がスイムウェアよりも露出度が高いのも不思議な話だが、陽子が普段着用しているものがそのようなデザインの腹丸出しスタイルなので仕方ない。
「というかあなた、いつも制服の下はその陸上のウェアじゃなかった? 暑いからって制服脱いじゃだめだからね?」
「……下はそうなんだけど、上はあんまりあっついんでさっき取っちゃった」
「こらーっ!」
机の中から本来胸に巻かれていなければならない布を陽子が出したのを見て、委員長が間髪入れずに怒鳴る。いや、陽子の開かれすぎた胸元を見た時にある程度の予感はしていたのではあるが。
多分このインナーに着ていたユニフォームの取り外しは授業中に事を済ませたに違いない。教壇に立つ教師はもちろん陽子が何をやっていたかは見えていただろうが、見てみぬフリをして放っておいてくれたに違いない。大人の対応だ。
陽子にしてもいつでもセーラー服が脱げるようにと中がビキニ型ユニフォームであったはずなのだが、その中身の方を脱いでしまうというのも、今日は相当頭がぐるぐる回っているらしい。
「もぅ犬飼さん、あんたって人は――」
キーンコーンカーンコーン……
委員長の言葉を遮るように二時間目の授業開始のチャイムが鳴った。
「む、チャイムに助けられたわね。もうそれ以上露出増やしてはだめよ!」
委員長はそう言い残すと、自分の席へと戻っていった。
「は~い」
その背中へ力の抜けた返事を送る陽子。机に上半身を載せたままで全く身動きが取れない。多分今日はこのまま使い物にならない状態で一日が終わるのだろう。
「相変わらず手厳しいね委員長は」
まだ二限目授業の教師が来ていないので、後ろを向いたままの巫女の彼女が、自分の席で次の授業準備をしている委員長の背中を見ながら言う。
一学期始めにお約束のように行われる委員会決め。普通は誰もやりたがらないクラス委員に件の彼女は早々に立候補。対抗馬もいなかったのでクラス委員の席には彼女が納まった。
それから日に何度か、ことあるごとに陽子にちょっかいを出してくるようになったのだ。主に公序良俗の面で。
「でもあの人、小中とかクラス委員長(級長)なんてやったこと無かったらしいよ」
「そうなんだ」
巫女の彼女の生家である神社はこの高校に程近い場所になるので、必然的に学校関係の様々な情報が集まってくるのだろう。実家が同じ県内とはいえ山奥の方である陽子には知らない話だ。
「高校になってリーダー的何かに目覚めちゃったとか」
「すごい高校デビューだね」
「だからその分注意する加減ってのがまだ分かってないんじゃないのかな」
陽子に対する手厳しさを巫女の彼女がそう評する。彼女も巫女として生きてきたという側面があるので様々な人間模様を幼少時から見てきているのだろう。
「まぁしばらく経てば丸くなるだろうからそれまでの辛抱だね」
社会人の世界でも妙に熱血な新入社員というのもいるものだが、そんな常に高めだったテンションも周りの環境に収まっていくに連れて穏やかなになっていくもの。かつて熱血教師だった若者が、時を経て常に柔和な表情を浮かべる老練教諭になるように。
「でもそれってボクのことをふつーの人間扱いしてくれてるってことでしょ。狼人としては感謝しなきゃだね」
しかし今のギスギスした委員長の態度も自分には必要なのだと陽子は言う。一応このクラスにも風紀委員という役職の者もいるにはいるのだが、陽子が相手では何を言っても無駄と放置状態が続いているのだった。
「わぁー、おっとなぁっ」
「いろいろあったからねぇ」
巫女の彼女の揶揄にぐでっとした姿勢のまま陽子が答える。
陽子は元々普通の人間とは違う生活を送ってきたのでこの年代の女の子としてはある程度達観している面もあったが、先日の鬼越との大喧嘩、そしてその鬼越を一時的に失った悲しみは、陽子に更なる大人としての考え方を与えてた。
ちなみにこういった場面ではその鬼越女史から何らかの意見が飛んできそうなものだが、至って静かである。それもその筈、陽子の隣の席は空席となっている。
『気になる場所があるので少し出掛けてくる」』と、夏休みでもないのに自主的小旅行に行ってしまったのだ。
里の方から「外の世界を見聞しそれを伝えよ」とは言われて改めて鬼の里から出てきたのだが、少しアグレッシブ過ぎである。とりあえずは高校生というものを全うするという声明はどうなってしまったのだろう?
「おーい、静かにしろー」
チャイムが鳴ってから一分後、教師が入ってきた。教室内に残っていたざわつきが収まる。巫女の彼女も話をやめて前を向く。
「日直は?」
「犬飼さんです」
教材を教卓に置きながらの教師の問いに、最前列にいる委員長が即答した。後ろの方の席に目をやると、机の上に蹲ってる銀色の塊が。
「おーいいぬかいー、号令」
「……」
教師の自分を呼ぶ声を聞いた陽子は耳をピクリと動かした。一応聞こえてるはいるらしい。
「――きりーつ」
そして後ろの方から力の無い号令が届く。
「お前がまず起立して無いだろう」
その教師の指摘で教室内が爆笑に包まれる。陽子は机に突っ伏したままなんとか声だけ出していた。一応一時間目は真面目にやっていたようだが、流石に力尽きた様子。
「先生時間がもったいないです。ここは私が」
「ああ、すまんな委員長」
委員長が手早く「起立・気を付け・礼・着席」の授業開始シークエンスを済ませ、他の生徒もそれに従う。教室後方の陽子はその号令には反応できず机の上でのびたままであるが。
「犬飼さんはどうしますか? 授業を受けられる状態ではない様子ですが、なんなら委員長の私が保健室に――」
「いや、あのまま転がしとけばいいだろう。病人でもないし無駄に保健室のベッドを一つ埋めることもあるまい」
チョークを出した教師は委員長の言葉を最後まで聞かずに、黒板に板書を始めた。一学期も半ばを過ぎて犬飼陽子という狼人の生態が分かってきた教師陣も「基本的には放置しておくのが良い」という意見でまとまっているのだろう。別に悪さをするわけでもないのだし。
「……」
委員長は軽く後ろを向いて陽子のことを見たが、それは一瞬のことであとは何事もなかったかのように教科書を開いた。




