灼熱の犬飼さんその1 01 ~半ケツ上等!~
「あぢーっ」
登校時間直後の高等学校の教室。
ホームルーム前の朝一の談話に包まれる教室内に、陽子の「あぢーっ」も含まれて流れた。
この高校へ新一年生として入学して一ヵ月半ほど、既に口癖として定着した感のある「あぢーっ」を言いながら、彼女が半袖の制服の上着を少しはだけさせてぱたぱた空気を入れている。
「昨日は大活躍だったらしいねヨーコ?」
そんな「あぢーっ」な彼女に、前の席の女の子が訊いた。前席の子は横を向いて座って、後ろの彼女に顔を捻って喋っている。ちなみに彼女は長袖である。
「だいかつやくー? ――ああ」
ぱたぱたを続けながらの陽子の返答。
昨日、部活動を終えて下校中だった陽子は、沿岸の方の道路で騒ぎが起こっているのに気付いた。何ごとかと思い行ってみると鉄車怪人の出現、しかもその手には幼い女の子が捕らえられていた。
周りには住民がいたが、普通の人間には敵う相手ではないのは分かっているので遠巻きに静観するのみ。もうすぐ陸保か水保の戦車はやってくるだろうけど、人質がいる場合はうかつに発砲できず、増援を呼んでの長期戦になる。
だから誰かがあの子を助け出さなければ。そう思った陽子はいても立ってもいられずに飛び出した――というのが昨日の顛末。
「やっぱり怪人って強いね。ボクみたいな普通の女の子じゃ全然敵わないよ」
その際に痛めた右足首を上から擦りながら陽子が言う。
「ふつうの、おんなのこ?」
「そこ強調しない」
前席の女の子の突っ込みに、陽子が更に突っ込みの上書き。
「普通の女の子は、まず怪人に突撃をかけるようなことはしないと思うけど?」
「そういわれるとなにもいいかえせないねーっ!」
陽子にしても狼人としては普通の女の子のつもりなのだが、狼人として持って生まれた高い身体能力を信じての昨日の展開ではあったので、そう言われると何も言えない。
「ヨーコってさ、普段から普通の女の子として暮らしたいっていってるような気がするけど本人自らそれをぶち破ってない?」
「……そういわれるとめんぼくない」
何をして面目ないのか分からないが、とにかく陽子は面目ない表情になっている。
「そんだけ大活躍してりゃ噂を聞きつけて、そのうちモモタローとかやってくるんじゃないの、俺と一緒に来てくれ的な勧誘に?」
そんな狼人の少女に、前席の彼女は花の女子高生の話題としては少し渋すぎる題材を持ち出してきた。
「いきなりファンタジーな話だね? ……っていうかさ、ボクいちおう狼なんだけど」
「でも熊とか亀とか連れてくワケにはいかないじゃない? モモタローなんだし?」
「そうだけどさ……でもモモタローが来るぐらいなら、そこには犬女とか犬男とかいるんじゃないの、設定的に?」
ファンタジーな質問にファンタジーな答え。設定ってなんだ?
「じゃあ何でヨーコんちの苗字は最初の一字に『犬』って付いてんのさ? ボクを連れてけと言わんばかりに」
「それはうちのオヤジに聞いてくれこんちくしょーっ!」
陽子――犬飼陽子は犬歯を剥き出しにしながら叫んだ。
(しかも犬を飼うってどんだけ犬飼ってたんだろううちの先祖は……)
綺麗な銀髪を揺らしながら陽子が溜め息交じりに思う。
髪以外にも制服の裾から伸びる手足を覆う綺麗な銀の毛も特徴的だが、それ以上に印象深いのは彼女の顔だ。
人間の骨格と犬科の骨格を足して二で割ったような顔で、口の辺りが少し出っ張っている。そして頭頂部には耳がお約束のように生える。ワイルドな容姿とさらさらとした毛並みの愛らしい容姿を併せ持つそんな彼女。
その容姿――特に顔の造作は狼人の中では超美少女なのではないかと思われるが、彼女は普通の人間に囲まれての生活なので真価は全く発揮されていない。
「でもさぁ、それが人助けであるならちゃんと行くよ? 犬の代わりとかじゃなくてさ」
昨日の大立ち回りを見ても分かるように、 こう見えても町中で困っているご老人でもいれば、普通に手を貸す彼女である。大体は彼女の顔を見た瞬間、老体の身体能力以上の力を発揮して逃げ去ってしまうのだが。
「それに鬼って、昔は悪の象徴みたいな描かれ方だったけどさ、今ではそう言うのとか無くなって、逆に鬼の子供が自分の父さんはモモタローに殺されたとかそんな話があるような時代になってるじゃない」
裾のぱたぱたを再開しながら陽子が言う。たまに開きすぎて胸が大きく見える時があるが、そこにも毛はびっしりと生えているので、やはり暑い。昨日は陽子に抱かれていたヒトミが暑さで目を回していたが、実は本人が一番暑いのである。あの時は陽子自身は緊迫感が先行して自身の暑さを忘れるほどだったのだろう。
ちなみに本日の制服の下は上半身は肌着の類などなんにもなく、ノーブラにパンツ一丁である。入学したての頃はさすがにきっちり下着もちゃんと上下着込んで登校していたが、徐々に夏に近づくにつれ「暑くてやってられるかーっ!?」と、ブラは脱ぎ捨てショーツもローライズな「半ケツ上等!」の物を中に穿いてくるようになった。まがりなりにも女子高生がそんな格好では公序良俗の問題もあるが、いまだに教師陣からはなんのお咎めも無い。まぁ彼女の小中での生活ぶりは高校教師達も聞いているだろうから、今更言ってもしょうがないのは最初から理解しているのだろう。
本来なら陸上の練習日(といってもほぼ毎日だが)であるならば中に陸上女子用ビキニウェアのユニフォームを着てくるのだが、本日は遅刻ギリギリだったのか未着用である。起きてそのまま制服だけ引っ掛けて出てきたのだろう。
ちなみに衣替えにはまだ早い季節だが、彼女はゴールデンウィーク明けには自主的衣替えを済ませていた。他の生徒は前席の彼女も含め長袖だ。
「今じゃそんなことになっているのに、それでも仲間を集めて鬼退治に行こうっていうなら相当な理由があるんだろうし、それが快楽的殺傷とか強奪とかじゃなくて、ちゃんとした正しい理由があるんだったら代わりについていっても良いかなとは思う、そこに犬女がいないんであれば」
「報酬がきび団子でも?」
「う~ん?」
それはさすがにちょっと困るなーと、陽子が腕組みして考え込む。
「ヨーコも中々ファンタジーだよね、考え方」
「だって自分自身の存在がファンタジーだもん既に」
ヨーコが諦め気味に答えた。
受け答えの前に、自分自身がそのカテゴリーに属してしまっている。なんでこんな血筋に生まれてしまったのか。それよりも、なんでこんな血筋が存在するのか?
「ねぇ」
「うん? なに、ヨーコ?」
「ボク、汗臭くない、すでに?」
前席の女の子は陽子にそう言われると彼女の体に顔を近づけて、スンスンと軽く鼻を鳴らした。
「汗……というか水っぽい匂いはするけど、そんなに酷くないよ、まだ」
「そうか、ありがと。今日は急いでて朝シャンできなかったからなー」
陽子も自分で腕を鼻の前に持ってきて、改めて匂いをかいでみた。自分自身の匂いは良く分からないものだが、とりあえず酷いレベルでは無い様子。基本的には早起きな彼女だが、昨日のこともあったので緊張感が解けた後は、疲れが出て寝すぎてしまったのだろう。
「お昼休みに部室のシャワーでも浴びてくるかな。ついでに服の中ユニフォームにもなっておきたいし……って今日は調理実習あるんだっけ、じゃあシャワー浴びてもこのままか」
「難儀な体だねぇ」
「まぁファンタジーを地で生きるってことはこういうことだから」
暑そうに服のぱたぱたを続けながら陽子が言う。
彼女の周りには常に熱気が満ちている。それはヤル気に満ちた覚悟の気持ちとかそんなのではなく――いや、彼女自身にも人一倍のヤル気はあるのだろうけども――ただ単に彼女の周りだけ気温が上昇しているのである、その体熱で。
だから人は彼女のことをこう呼ぶ。
灼熱の犬飼さんと。
「あぢーっ」
「お、ボタンが取れそうだねぇ、ボクが縫ってあげようか?」
授業間の休憩時間の教室内。
学ランのボタンの一つをぶらぶらさせながら前を歩いていた男子生徒を、席に座って次の授業の準備をしていた陽子が呼び止めた。
「え? 犬飼そんなんできんの?」
指摘された男子が驚いたように振り向く。犬飼陽子にそんな風に言われたらその容姿とは別に、年がら年中走ってばかりの陸上女がそんなことできるのかと普通は思う。
「裁縫は結構得意なんだよボク」
陽子はそう言いながら教科書を取り出していた通学鞄の中から今度はソーイングセットを出した。この針やら糸やら詰められた道具は女子が必ず携帯している物の一つとも言われているが、それは伝説上の話なので実際に持ち歩いている女子は極端に少ない。
陽子は「ほら、貸して貸して」と半ば強引に相手の上着を脱がせると、それを膝の上において繕いを始めた。
「……犬飼って結構上手いんだなそう言うの」
裁縫用小型はさみでボタンを一端切り離すところから、針に糸を通して縫い始めるまでのあまりにも無駄の無い動きを見て、男子生徒が思わず口にする。
「へへへ、意外でしょ? でもまぁ必要性にかられての上達なんだけどね」
銀色の毛の生えた指でちくちく針を回しながら陽子が答える。
「うちの家系って尻尾が生えてるじゃない? それをパンツやらズボンやらに通す穴を開けなきゃいけないわけでさ、それがまた面倒くさいんだよ」
腰の後ろに尻尾が生えている人間なんて彼女の家系の者しかいないので(他にもいるのかもしれないが陽子は今のところ知らない)自分たちが穿ける下着や下半身用の衣服は売っているはずもないので、必然的に自ら用意しなければならなくなる。
と言うわけで陽子はそれこそ小学校で家庭科の授業が始まる前の年齢から、自分のショーツやスカートに穴を開けて尻尾に合わせて縫い直すということをやっていたので、裁縫に関してはかなりの腕前である。ボタン付けなど朝飯前だろう。
「まぁ高校に上がってからはローライズ系のパンツばっかり穿くようになったから下着の穴あけもあんまりなくなったけど」
「今もそんなの穿いてんのか?」
話の流れでなんとなく自然に男子生徒はそう訊いてしまったが
「ん? 見る?」
陽子の方もあまりにも自然な流れでそう答えた。裁縫の手を一端止めて、スカートの裾を軽く掴む。彼女の場合、教室内の気温に耐えられない時は男子が居ない方角(一応)に向かってスカートをぱたぱたさせているのも、あまりにも日常の光景になってしまっているので、そんな流れで言っているのだろう。
「お、おまえ……女が男にそう言うのもセクハラなんだぞ……」
それでも男子生徒は自制心を全開フルパワーで回転させると、なんとかそれだけ口にできた。陽子は普通の女の子とは少し違うが、だがしかし女の子にそんな風に言われてしまったら素直に頷いてしまうのも年頃の男の子の選択肢の一つになってしまうのは仕方ないが、彼はなんとか踏み止まった。将来になって「あの時見ておけば……」と悔いた述懐をすることになるだろうが、今はそれが正しい選択肢だ、少年。
「あはははは、そうだねごめんごめん――と、はいできた」
一端止めた動きを陽子は再開させるといくらもしないうちにボタン付けを完成させた。本当に鮮やかな手捌きだ。
陽子は立ち上がると男子生徒に少し横を向いてもらって彼の背中に出来上がった学ランを被せた。なんでそんな位置関係でそんなことが簡単に出来るかと言うと、陽子の方が彼よりも背が高く腕も長いからだ。
それから陽子は折りたたみ式の毛取りクリーナーを取り出すと、自分の毛が付いてしまった部分を軽く払った。なんだか非常に丁寧な仕草に見えるが、毛の取り扱いに日々悩まされている彼女にとっては普通の行動なのだろう。黒い生地に銀色の毛は非常に目立つ。もしかしたら彼に学ランを被せてあげたのは彼を毛取り作業時のトルソー代わりにしたかったからだけなのかもしれない。
しかし当該の男子生徒はそんなことをされたのは始めてなので少し顔が赤くなってしまった。
「『犬飼は良いお嫁さんになれるな』とか思ったりした?」
男子生徒の頬の色を目ざとく発見した陽子が訊く。
「……」
男子生徒は上着の袖に腕を通しながら真剣に考えた。普通の人間からしたら彼女の顔の造作がどれほど優れているか分らないのだがそれでも可愛いとは思うし、プロポーションも陸上をやっているだけあって抜群である。そして今見せてくれた裁縫の腕が女性としての細やかさもあることを示している。性格にしても気さくで明るく優しい。
しかし、犬飼陽子と言う少し普通から外れている女子生徒が嫁にしたい理想の女性像なのかと問われると――それは物凄く難しい領域の質問のような気がする。
「……う~ん?」
「そこはお世辞でも良いからうんって言いやがれこんちくしょーっ!」