灼熱の犬飼さんその4 03 ~でもそう言うのが実現できる世界って、神々の世界って言うんだよね~
「……疲れた」
げっそりとした顔で保育園の玄関から鬼越が出てきた。パーカーのフードは既に被りなおしていて、脇には園児たちからのプレゼント(縞パン詰め合わせ)を抱えている。
「今日はこのまま残った時間は探索に消費しようかと考えていたのだが、そのために取っておいたはずだった体力と精神を削がれた」
「いや~、今日は楽しかったねぃ」
鬼越の密かな疲労など全く気にしていない陽子が隣に続く。
「なぁヨーコ」
玄関先で立ち止まった鬼越が軽く園の方を振り向きながら言う。
「なにかな」
「先日も思ったのだが、あの子らはなぜアタシを見ても怖がらないのだ? アタシは鬼だぞ、本物の」
先ほど園児たちが演じた泣いた赤鬼の比喩でもあるが、鬼とは生まれながらにしての悪役である。「悪役であって悪人ではない」という矜持はあるにせよ、それを見た目で判断するのは難しい。
「それは子供だからだよ」
腕を伸ばすストレッチをしながら、陽子がなんでもないことのように答えた。
「変な先入観とか全く無いから、心からの感情だけで判断してくれる。だから優しい気持ちの相手には近づいていくし、そうでない者の傍からは離れていく」
「……お前もその見た目で今まで苦労してきたクチか、流血沙汰も含めて?」
軽く考えているように見えて意外に達観しているその言葉を受けて、鬼越が訊く。
「そりゃあもう。子供同士の喧嘩も入れていけば百や二百じゃきかないんじゃ?」
肩を回しながら陽子が答える。
「こんな見た目だから、最初から悪意を持ってボクに接触してくる人間もいる訳で、いまだに相手が悪いのかボクがやり過ぎて悪いのか答えが見つからないのもあるし……」
遠くを見ながら陽子が寂しそうに言う。彼女の場合、子供同士のいざこざによる過失を大きく越えるものも多くあるのだろう。子供ではなく大人が狼人の彼女を何らかの形で求める。最初から命を求める異端審問官とはまた別の脅威として、思い込みで行動する大人の方が性質が悪い。そんな手から自分自身を守らなくてはならない場合も彼女にはあったはず。
「ミユキの方はその……里ってところからあんまり出たこと無いってことなのかな?」
基本的には自分の家族しか同じ血筋がいない(他にいるのかも知れないが陽子は現状では知らない)陽子は、鬼越がたまに口にする「里」という言葉が少し気になっていた。
「大体お前の想像通りだ」
鬼越の答えも定型通りだ。
「……ボクたちも狼人の里ってのがあれば良かったのかなと思ったりするんだよね。同じ血筋の仲間がいてくれる安心感ってのは凄いと思うし」
「しかしそのような場所に収まってしまえば恒久的な平和との引き換えに、外の世界を知る勇気を持ち得なくなる。閉鎖空間とは安全との引き換えの亡びの兆候でもある」
まとまった人数がいるのであれば異形の者同士だけでコロニーを作って暮らしてはいける。しかし数が少ない者は、数多くいる普通の人間の中に混ざっていかなければ生きて行けないという脅威に打ち勝つために、その中に飛び込んでいくと言う勇気を持つことも出来る。コロニーと言う安全な閉鎖空間を持つ者にとってはその勇気を持つのは難しいだろう。
しかし、普通の者たちの中に入っていっても向こうが受け入れてくれない場合もある。もちろんコロニー側にしても人数が少なくなってくれば消滅する危険性もある。
だが二人は、お互いの周りにあった世界で今まで生きてこれた。全く違う種類の世界を、同じような境遇の生き物が。
「アタシもトーマスホガラを討つという命が無ければそんな勇気も持ち得なかっただろうな。そういう意味では自分以外同じ血の者が誰もいない場所へ、生家を離れて出てきたお前の勇気は凄い」
「……ほめられた?」
「褒めている」
「てへへへへ」
余程嬉しかったのか、陽子がだらしなく顔を歪めて笑う。開いた口から飛び出した犬歯が中々怖いが鬼越はあえて突っ込まなかった。
「――ここの園児たちもそうなんだけどさ、悪いことをしたらちゃんと怒ってあげればもう悪いことはしない。でもそれを受け入れるには素直さというものが必要なんだよね。そして大人になるにつれてその素直さは失われる。素直なままじゃ生きていけないからね」
顔を元に戻して真面目な表情になりながら陽子が言う。
「みんながみんなお互い分かり合って、一人一人が持っている力を全員が正しい方向に使えれば、戦いなんて起こらないんだけど」
もう一度後ろに振り返りながら陽子が言う。玄関の向こうに自分たちも帰り支度をしている園児たちが見えた。
「でもそう言うのが実現できる世界って、神々の世界って言うんだよね」
陽子が溜め息交じりに正面に向き直りながら言う。
昔の人々も理想の世界を追い求めて様々なことへ手を尽くした。しかし本当の理想は伝説や神話の中にしかなかったという皮肉。
「そう言う意味じゃ、戦ったもの同士どちらか一方を根絶やしにしなければ本当の意味で争いは無くならないって考え、否定できないんだよね……」
鬼越もトーマスホガラを討てという命をおわなければ里から出てくることも無かっただろう。しかしその出てきた理由が、トーマスホガラが鬼の一部を討ちもらしたからという矛盾。トーマスホガラが最初から鬼の血を絶やしていたら、鬼越自身が生まれてくることは無かったと鬼越本人が語っている。
陽子と鬼越の出会いは、討つべき相手を根絶やしにしなかったから起こったもの。そして鬼越はその連鎖を止めるために、今度は自分が相手を根絶やしにするべく行動している。しかも討伐対象には陽子までもが含まれている可能性もあるのだ。
「……ボクはこのままランニングでもしてから帰ろうかなって思ってる」
難しい話になってしまったので、場を切り替えるように陽子が言う。
「そうか」
鬼越も空気を変えてくれたのを感謝するように、その一言だけで答えた。
「金曜土曜と部活がお休みだったからね。今のうちにちょっとはアゲておかないと明日(週明け)から続かないし」
「真面目だな」
「ミユキと違って今のところ走って跳ぶしかやることないし」
勉強は? という問いに関しては、まぁスルーだろう。
「だからそのためのそんな格好か?」
「それもあるね」
陽子がそう言いながらその場でぴょんぴょんと軽く飛び跳ねる。走る前のアップだ。
「お前のように目標があることは良いことだ」
「ミユキだって目標があるじゃない?」
すたっと着地しながら陽子が言う。
最終的な結果が何をもたらすのかは何であれ、鬼越は目標を持って生きているには違いない。
「……アタシの場合はそれが既に生きて生まれた理由だからな。お前のように自分で選んだわけではない」
「でも、目標だよ。そのおかげでボクとミユキは出会えたんだから」
「……」
陽子は「じゃあいってきまーす! またあとでーっ」と、無言になってしまった鬼越を置いて走っていってしまった。
「……」
鬼越は彼女の腰で揺れるふさふさの尻尾が遠くなっていくのを見ながら、こう呟いた。
「もし、その目標が失われたら――アタシはどうするのだろう」
「……」
人通りの無い海岸線の道を陽子は無言で走っていた。
ただ走っているだけなのに美しい躍動感を感じさせる優美な走行フォームだが、当の本人にはそんな踊るような気持ちは全く無く、陽子の頭の中には鬼越が語った一つの言葉がずっと静かに響いていた。
『一人の鬼を生かしたければ、もう一人の鬼が犠牲にならなければならないのだな』
彼女がその言葉を口にした時から陽子の片隅にはずっと残っていたのだが、一人になって走り始めたらその言葉が大きく吹き出してきて、今の彼女の気持ちをずっと支配していた。
それは何かの暗示めいていて。
「……」
自分――犬飼陽子も、彼女――鬼越魅幸も普通の人間ではない。普通の人間でない者が普通の人間たちの中に混ざり合って生きていくのを願うのなら、普通ではない者の誰かが犠牲にならなければならないのか。
「……」
陽子は胸の中のもやもやを吹き払うように、もう一段階スピードを上げた。




