灼熱の犬飼さんその4 01 ~ハル、がんばれ、鬼のお姉さんも応援しているぞ~
「……日の光が眩しいな」
「……こんがり焼けてますよミユキさん」
「……元からだ」
お互い何を言っているのか判らないまま、陽子と鬼越の二人は寮の玄関を出た。
鬼の家系に生まれし鬼女が最悪の相手と称した相手、クッキー作り。
女子高生二人して日曜の朝っぱらからこんなにもズタボロなのは、その相手と死に物狂いの激闘を繰り広げた結果である。
夕食の片付けの終わった厨房を頼み込んで借りての作業だったが、とりあえず何度も何度も失敗して、どうにか食べられそうなものができたのが深夜三時過ぎであるのは覚えているのだが、滅茶クチャになってしまった厨房を片付け終った時には果たして今が何時かわからなぬまま二人とも泥のように眠りにつき、ついさっき起きて洗顔と入浴をマッハで済ませ寮を出て来たところである。その激闘の成果が入った包みを陽子が抱えている。
そんなになるなら買ってきて済ませればいいのではないのかと思うが、二人の頭の中からその考えは戦いの最中に抜け落ちていた。負けられない戦いだったのだ。
「……?」
と言うわけで同部屋だというのに、お互いが何を着ているのかすら今気づいたような状態なので、鬼越の着ている私服を陽子はようやく今の時点で改めて見た。
鬼越は軽くプリントが施されたシャツの上に昨日と同じパーカーで、頭からフードを被っているのも同じ。下半身は身体の線にぴったりな七分丈のスキニーパンツを穿いている。足元は素足にサンダルである。
「へー、意外におしゃれー」
さっぱりとしたおしゃれ着。そんな印象。
「……そうか?」
「目の保養ですなぁ~」
スラリと背の高い鬼越には良く似合う組み合わせだ。見ていて気持ちいい。まぁ人によっては顔と手足首の赤い地肌をどう判断するかによりけりだが。
「……女同士で目の保養も無かろう」
「そう?」
「目の保養がしたければお前が同じ格好をして鏡でも見れば良いだろう。手足の長さはお互い変わらん」
「冬場とかだったら着れるけどね。それに毛の生えた手足は見飽きてしまって保養にならんよ」
片や陽子はノースリーブのシャツに短パンと言う、ある意味開放的なおしゃれ着であるが、ある意味このままマラソンにも出れそうな格好ではある。履いているスニーカーサンダルがそれを増長している。鬼越と同じく素足。
彼女の上着を横から見ると腕の通り穴から見せブラ的な物が覗いているので、一応ブラジャーはしている様子なのだが、良く見れば肩紐の無いタイプである。紐ですら暑いのか。ブラジャーの役目よりも汗取りとしての役目の方が重要な気がする。
「お前の方は地元の小学生のような姿だな、男子の」
「うわははは、ボクも自分で身だしなみチェックする時はいつもそう思ってるよ」
鬼越の感想に陽子は笑って答えた。暑いのが苦手な自分にとってはこの時期はこれが一番楽な格好なのだから、そんな風に言われても自分も笑うしかない。
「さぁ急ご急ご、お遊戯会始まっちゃう」
「そうだな」
鬼越もここへ来て幾らかは乗り気になっている様子。
保育園へと到着した陽子と鬼越が会場となる部屋(昨日ハルがこらしめられたあの部屋である)に入ると、部屋の中は二つに区切られており、手前の客席スペースには大人たちが既にひしめき合っていた。早朝には場所取り合戦があったのか、舞台前の良い席にはハンディカムを構えた数人の男性が、プロカメラマンのような厳しい顔をして陣取っている。部屋奥の半分である舞台スペースには、書き割りで作られた簡易的な舞台袖が両サイドに立てられて舞台作りが済まされていた。
陽子と鬼越は邪魔にならないように最後列に静かに座った。客席とは言っても椅子は無く直接床へのベタ座りである。
「それではお遊戯会を開始しまーす」
しばらくして、保育士の一人の言葉と共に部屋の電気の半分が消された。奥の舞台スペースとして空けられた場所だけ明るく残される。舞台の方にはダンボール製と思しき壁面だけの家が移動してきて中央で止まった。隣には木や岩も一緒に着いてきていて、それらは園児が扮しており丸くくり貫かれた部分から顔を覗かせていた。
『泣いた赤鬼』
保育士が立てられたスタンドマイクに向かってタイトルを告げ、物語が始まった。
(……)
鬼越は保育士が朗読するモノローグを聞きながら考えていた。
『とある山の中に、一人の赤鬼が住んでいました。赤鬼はずっと人間と仲良くなりたいと思っていました』
自分たちが登場する昔話にはあまり興味が湧かないので、その物語もタイトルだけを知っていたようなものだった。しかも自分自身が赤鬼であるので「アタシが泣くか!」と反骨精神が震えるのもあって、内容などは全く知らないでいた。
『そこで「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます」という立て札を書き、家の前に立てておきました』
保育士の朗読に合わせてダンボールの扉を開いて、赤い全身タイツに虎縞のパンツ、顔も赤く塗って角付き金髪カツラを被った園児の一人が立て札(に扮した園児)を持って出てきた。
主役登場であり、その可愛らしい姿に小さく歓声が上がる。陽子もその姿が隣の鬼越をそのまま小さくしたような感じだったので「ぷっ」と小さく吹き出してしまっていた。大きな違いといえば園児の方は伝説どおり髪質をアフロにしているくらいか。
『しかし、人間たちは疑い、誰一人として赤鬼の家に遊びに来ることはありませんでした。赤鬼は非常に悲しみ、信用してもらえないことを悔しがり、終いには腹を立て、せっかく立てた立て札を引き抜いてしまいました』
赤鬼の園児が腕組みをして家の前をうろうろし、しばらくすると足を踏み鳴らし癇癪を起こし、先ほど置いた立て札(に扮した園児)を再び掴んで家の中に放り込む。子供であるのでつたない部分はあるが、それなりにしっかりとした演技力だ。将来は役者志望の子供なのかもしれない。
『そんな一人悲しみに暮れていた頃、友達の青鬼が赤鬼の元を訪れます』
そして朗読と共にもう一人の主人公である青鬼が現れるが
(小僧?)
鬼の立場からしたらそれはあまりにも在り来たりな話なので眠くなってきていた鬼越が、そのブルーに彩られた姿を見て一気に目が覚めた。
昨日保育士からの要請で指導を行った一人の園児が、先ほど登場した赤鬼と全く色違いの格好で登場している。
(え? ハル君が青鬼役だったの!?)
陽子もその事実は知らなかったらしく小声で驚きを表している。
『赤鬼の話を聞いた青鬼はあることを考えた。それは――』
保育士の朗読が途切れたタイミングで青鬼――ハルの台詞が入るのだろう。
「……」
しかしハルの口からは何も出てこない。
「……」
彼はそれでもなんとか声を出そうとして口をあけるのだが、昨日までは何も見ないでも全部暗唱できていた台詞が全く出てこない。
確かに狼女と鬼女との遭遇は彼から邪気を全て取り去った。彼はごく普通の素直な園児に戻った。しかしあまりにも普通に戻りすぎてしまったため、これだけの大舞台での大役を果たせるだけの度胸までも取り去ってしまったらしい。
突然停止してしまった舞台に客がざわつき始めた。多くの人の目が止まってしまった理由であろう青鬼役の子供を見る。これぐらいの年齢の子であれば人の目など気にしないで行動できるが、昨日の接触が彼を変えてしまっている。
彼はその青い化粧の上からでも分るほどに青ざめていた。目も少しうつろで小さく震えていた。
昨日までの自信に溢れた彼の姿はそこにはない。
(まさかハルくんが青鬼役だったなんて……第二の主役っていうか真の主役みたいなもんじゃない。こんなことならこらしめるのは先送りにしておいた方が良かったね)
少しやりすぎてしまったように思う昨日のことを思い出して、隣の鬼越だけに聞こえる声で陽子が囁く。
(いや、それでは小僧のためにならん。他の小僧と小娘たちのためにもならん)
鬼越も陽子にだけ聞こえる声で言う。
(増長したままでは調和の取れた舞台にはなりえない)
事実、ハル以外の園児たちは100パーセントに近い演技を全員が発揮しているのだろう。主役の赤鬼も木や岩に扮した者も大道具を動かす者も、自分にまかされた最高の演技をしているように思う。
これがハルの悪戯が続いていれば、もう少し暗い雰囲気の舞台となっていただろう。そしてハル一人だけが自信たっぷりに青鬼を演じているのを他の子たちは嫌味に感じていたはず。
しかし今はそれは無い。ただ一人を除けば舞台はスムーズに進行している。だからその一人が頑張れれば。
(これは、鬼のお姉さんの出番かな、もう一度)
陽子はそう言うとなにごとかを鬼越に耳打ちした。
(……そんなことをして逆に迷惑がかからんか?)
(だいじょぶだいじょぶ。それにたまには)
陽子は悪戯たっぷりな笑顔を見せてこう言った。
(悪役がイイモノをやるのもいいでしょ?)
「……」
ハルはまだ震えが止まらなかった。
昨日はとんでもない一日だった。
悔しいという気持ちを露ほどに思わないほどに、怖かった。
バチが当たったのだ。園児の年齢でしかない彼は素直にそう思った。
嘘をついてはいけませんと保育士の先生にも言われていた。
嘘をついたらバチが当たります。そうとも言っていた。
そして自分はバチを当てられた。
あの時倒れてから再び目が覚めた時、狼と鬼の二人は消えていた。
でも体の震えは止まらなかった。
昨日行われた劇の最終練習の時も、今日の本番前に顔を青く塗られている時も、自分がどこにいて一体何をやるのかすら忘れるほどに震えていた。そして保育士の朗読から劇が始まり、自分の出番に来た時、体だけは本能的に反応した。書き割りから一歩前に出て舞台に出る。
「……」
そしてハルの頭の中からは本当に何も無くなった。
なぜ自分がここにいるのか。なぜ自分はこんな格好をしているのか。なぜ自分を多くの大人たちが見ているのか。全く分らない。
それほどの衝撃だった。ハルの脳からこれだけの記憶を取り去るほどの力があった。
「……」
どうしたんだ? あの子台詞忘れちゃったのかしら? 様々な声が聞こえてくる。しかしハルにはその言葉の意味することは分らない。自分自身がここにいる意味すら分らなくなっているのだから。
「……」
しかしその時、観客のざわめきを全て吹き払うように一人の女性の声が部屋の中に響き渡った。
「ハル、がんばれ、鬼のお姉さんも応援しているぞ」
囁き声ではない堂々とした女性――いや、女の子の声。
「――!?」
急に名前を呼ばれて驚いたハルが声のした方を見ると、あの赤き鬼娘が観客席の一番後ろに座ってこっちを見ていた。
「……」
ハルは驚きで目を丸くしてしまった。
鬼が、応援してくれている。
昨日自分のことをこらしめに現れた鬼が、今日は自分のことを応援しにきてくれている。
「狼のお姉ちゃんも応援するぞ! がんばれ!」
そして隣には陽子もいる。園の仲間であるヒトミを助けてくれた優しいお姉さんだったけれど、やっぱり怖かった狼の女。そして鬼を連れてきたのもこの狼女だ。でも今は、彼女も自分のことを応援してくれている。彼女は最初の接触の時と同じように自分の味方に戻ってくれている。
なんだろう……急に元気が出てきた。
二人の応援の声を聞いたハルの頭の中に、一瞬にして現状を把握するための力が湧いてきた。今は劇の途中、そして自分は青鬼。この舞台のもう一人の主役。
彼の記憶を奪うほどに影響を及ぼした力ならば、正の力として還元されれば同じだけの強い力を呼び起こせるはず。言霊に込められた強い力。それが、彼を元に戻す。
(……出来るな、ハル)
鬼越はハルのその青い化粧の下の青いモノがスッと消えたのが見えたような気がした。
「……」
もちろん、最後尾に座っていた人間が急に声を上げれば客席の者が気付かないわけがないので、他の観客がいっせいに二人の方へ振り向いた。
赤鬼が座っていた。綺麗な金髪の赤銅色の肌をした女の子。鬼越はハルに声をかける際にフードを取っていた。これは鬼からの応援であると良く見せるためである。つまり鬼丸出しである。その角はヘアアクセで肌も焼いているのかも知れないが、これを赤鬼と言わなくて何が赤鬼なのだと言わんばかりの赤鬼である。唯一の違いと言えば髪質がストレートなことだが、それをすっ飛ばしても赤鬼である。
もちろん観客はその姿に度肝を抜かれたのだが、隣に以前からこの園の子達と仲良くしている狼娘を発見すると「あの女の子にはあんな感じの友達ができるのだろう」と、多くの観客はこの状況に納得した。「泣いた赤鬼」の劇をやるからせっかくなので赤鬼の友達を連れてきたのだろうと。
そして陽子(狼女)という緩衝材が既にあったので、大騒ぎには発展することはなくそれも含めて「ハルくんを応援しよう」と陽子自身も提案したのだろう。
「みなさん、主役はボクたちじゃないですよ、舞台を見て!」
その陽子に促され観客全員が再び舞台の方に目を向けると
「……」
先程までとは全く違う雰囲気の青鬼がそこに立っていた。
震えも止まり、化粧の下からも分った青ざめた表情も消えていた。そこはかとない自身も漂っている。
「……」
ハルは大きく息を吸い込んだ。
今まで敵だと思っていた存在が、急に味方になってくれた時、なんだか妙な安心感が沸いてくるものである。そしてそれはそのまま力へと変換されて――
「ぼくがにんげんのむらへでかけておおあばれをする! そこへきみがでてきてぼくをこらしめる! そうすればにんげんたちにもきみがやさしいおにだということがわかるだろう!」
ハルは一気にそこまで言い切った。
その長朗読の成功にどこからともなく拍手が上がる。劇の進行はストップするがそれもお遊戯会の醍醐味だ。それに元々ハルが黙ってしまって停止してしまった舞台だったのだ。それを取り戻すように拍手が打ち鳴らされ、鬼越も陽子も一緒になって手を叩く。
『――という策でした。これでは青鬼に申し訳ないと思う赤鬼でしたが、青鬼は強引に赤鬼を連れ、人間たちが住む村へと向かうのでした』
ある程度拍手が収まったと判断すると、保育士は朗読を再開した。
その後ようやくにして場面は転換し、人間の村の描写となる。赤鬼の家の扉に「村の家」と表札を貼って再利用するお遊戯会らしい展開に笑い声が漏れ、そうやって徐々に暖まってきた舞台の上を、逃げ惑う村人役の園児たちが走り回り、それを青鬼のハルが追いかける。
そして赤鬼の登場。定められた空手の演舞のような戦いを赤鬼と青鬼は繰り広げ、急所に最後の一撃を食らった演技を見せた青鬼が膝をつき、そんまま仰向けに倒れる。真に迫った良い演技だ。
『作戦は成功し、おかげで赤鬼は人間と仲良くなり、村人達は赤鬼の家に遊びに来るようになりました。人間の友達が出来た赤鬼は毎日毎日遊び続け、充実した毎日を送ります』
保育士の朗読の後ろで再び舞台転換が行われる。ボール遊びをしている赤鬼と村人役の園児の後ろで、仰向けに倒れたままの青鬼が二人の園児によってそのままずるずる引っ張られて下手側の舞台袖に回収される姿が再び笑いを誘った。
『だけど、赤鬼には一つ気になることがありました。それは、親友である青鬼があれから一度も遊びに来ないことでした。いま村人と仲良く暮らせているのは青鬼のおかげなので、赤鬼は近況報告もかねて青鬼の家を訪ねることにしました。しかし、青鬼の家の戸は固く締まっていて、戸の脇に貼り紙が貼ってありました』
そして最後の舞台転換が行われ、家の表札が「村の家」から「青鬼の家」に取り替えられ、その隣に新しく貼られた手紙に主人公の赤鬼がそれを見入るシーンになる。
舞台の下手の方の電気が落とされその舞台袖脇に青鬼が姿を見せた。彼にスポットライト代わりの大型ランプの光が当てられる。彼はもうここにはいない、それは赤鬼の記憶の中の姿。
『「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。ぼくはどこまでも君の友達です」という青鬼からの置手紙でした』
朗読が終わると同時に青鬼は静かに後ろに下がって舞台袖へと消えた。彼を照らしていた光も消える。もうそれだけで何人もの女性客が涙を見せていた。
『赤鬼は黙ってそれを2度も3度も読み上げ、涙を流しました。その後、赤鬼が青鬼と再会することはありませんでした』
最後の朗読が終了すると赤鬼は振り向き舞台中央に来ると、客席に向かって叫んだ。
「あおおにー!!!」
そこで舞台の照明が全て消え
『おしまい』
という保育士の最後の言葉で締めくくられた。
その瞬間、会場内が万雷の拍手と歓声に包まれた。女性客の嗚咽も複数混じる。
再び舞台に電気が点り舞台袖や通路の奥に隠れていた園児たちが集まってくる。中央には主役である赤鬼と青鬼。
そして全員揃って「ありがとうございました!」の挨拶で、更に大きな拍手に包まれた。
「……」
しかし生まれてこの方ずっと鬼をやっている鬼本人はとても冷静な瞳で、その舞台の終わりを見ていた。
「一人の鬼を生かしたければ、もう一人の鬼が犠牲にならなければならないのだな」
拍手と歓声に包まれる中を辛うじて聞こえてきた彼女の心からの言葉を、陽子は聞いた。
「……」




