灼熱の犬飼さんその3 05 ~おにのおねえちゃんありがとう~
それから数十分後の保育園。
園内の一番広い一室。学校校舎の授業教室ひとつ分くらいの面積のある、通常は園児たちの遊び場となっている部屋。現に多くの園児たちが様々な道具を使って遊んでいた。
「うつせみのじゅつっ!」
一人の園児がそう言いながら、壁に園児服のようなものを立て掛けるとその場から走り去って、ロッカーの陰に隠れた。
「わはー、にんじゅつにんじゅつ」
その場にいた園児の数人が、その園児服のようなもの――昼寝用のクッションに園児服を被せたもの――をふざけて軽く蹴ったり殴ったりする。多分映像で流れていたのを見たのだろう。忍者が敵の目をごまかすために衣服を脱いで木の枝に着せる術法だ。
当園では、それを自分が着ている園児服を脱いでクッションに被せて再現するのが流行っているらしい。園児たちを識別するための園児服を脱ぐのはあまり宜しくない行為だが、室内でのことなので保育士たちも咎めたりはしていない。
そこへフラリと現れる一人の人物。
「……」
彼はまたしても、昨日見つけてしまった快楽へと本日も進もうとしていた。彼は忍者の真似事よりも余程面白いものを発見してしまったのだ。
「……」
その人物は息を大きく吸い込むと、その言葉を大声で叫んだ。
「かいじんがでたぞーっ!」
その言葉を聞いて今まで楽しげに遊んでいた園児たちが一斉にビクリと肩を震わせた。そして
「きゃーっ!」
「わーっ!?」
その場にいた全員がほぼ一斉に立ち上がり、逃げ場を求めて走り出した。腰を抜かして立ち上がれない者はその場で泣き叫ぶ。もう何度もその言葉は聞いているはずだがそれでも逃げ出さずにはいられない。体の芯に染み込んでいる消えない恐怖。実体験してしまった恐ろしさは中々消えることは無い。
「……」
その光景を見て彼はほくそえむ。
おもしろい。おもしろすぎる。
自分がたった一言叫ぶだけで、この場が混乱に包まれる。逃げ惑うその姿を見ているだけで楽しくてしょうがない。しかも自分だけが怪人なんかやって来ないのを知っている。だから自分だけが安全。
怪人なんかそう何度も現れないのを、彼は両親から聞かされていた。それは直接怪人と遭遇してしまった彼を安心させる為に語った親からの計らいだったのだが、彼はそれを違う方向に使ってしまっていた。
そうして手に入れたこの遊び。こんなに面白い遊びはないと、彼は楽しさの絶頂に浸っているところだろう。更に彼は翌日行われる舞台では主人公に匹敵する重要な役をやることになっている。そういった大役を負かされて心が大きくなっている部分も増長の一端なのだろう。自分は他人と違う、だから何をしても構わないと。
「――ハルくん、そういう時は『おおかみがでたぞーっ』って言うもんなんだよ、様式美としてね」
そんな絶好調の彼の背中に、一つの言葉が投げ掛けられた。
「!?」
ハルが驚いて振り向くと、そこには全身に銀色の毛の生えた顔見知りの女子高生が立っていた。
「よ、よーこちゃん?」
「というわけで怪人じゃないけど狼出ました」
嘘つき少年の下に狼が現れる。
狼少年の話はハルも、陽子という存在と出会う前に園内での本を読む時間に聞かせてもらっているのでもちろん知っていた。しかも今のこの状況は童話の世界ではなく現実である。更には現れた彼女は狼と人の掛け合わせなのだから、その存在感たるや本来の四足獣より強烈かもしれない。
「よ、よーこちゃんなんかこわくないやい!」
しかしそうは言っても相手は最近仲良くなった相手の顔を知るお姉さんでもあるので、ハルも予想通りの台詞でなんとか持ちこたえる。
「そういうだろうと思って、今日は助っ人を呼んであります」
「……すけっと?」
「姐さん、よろしくお願いします」
陽子がそう促すと、開かれたままの扉の奥に何か黒い影のようなものが蠢いた。その蠢きの上の方でギラリと光る一対の輝き。それは徐々に姿を現すと、一人の人間の姿となった。
しかし赤黒い皮膚に金色の髪、そして頭部に生えた一対の角を見て、それを普通の人間と思う者は殆どいないだろう。
だからハルも、その見た目に相応しい名を叫んだ。
「お、お、お……おにーっ!?」
思わず尻餅をつくハル。
嘘つき少年の下に狼が現れ、そして鬼まで現れた。この状況を鑑みるに、本当に怪人が現れた方が気持ちとしてはまだ楽だったかも知れない。
「――お前か、人を悲しませる悪戯をするという小僧は?」
静かに影が染み出すような低い声で鬼が問う。滅茶クチャ怖い。もちろん鬼越女史はパーカーは脱ぎ去っているので鬼丸出しである。怖すぎる。
輝くような鋭い眼光でハルを見下ろすように腕組みして立つ鬼越の隣に、陽子も同じようなポーズで並んだ。少し牙を出すようにして笑ってみせる。
陽子も顔見知りになった仲の良い年上のお姉さんとはいえ、その顔であるから犬歯を見せながらの凄みを見せた笑顔は相当に怖いだろう。食べられる――人間の深層心理に根付く狼という生き物への根源的恐怖が、彼の中では呼び起こされているに違いない。
更には、陽子も鬼越も同じ服を着ている(半袖と長袖の違いはあるが)というのも怖さを増長させるのに一役買っていると思われる。恐怖を撒き散らす集団の制服――そんな印象が付いてしまったかも知れない。
しかも二人とも長身なので、こんな見た目も怖けりゃ背もデカイ二人に見下ろされて保育園児が意識を保っていられるわけも無く
「ハルくん、もう嘘なんかついちゃダメだぞ。今度嘘をついたらその時はお姉さんたちが――」
「ぎゃーっっっ!?」
陽子の台詞を最後まで聞けず、ハルは早々に目を回した。
「うぉっと、ちょっとやりすぎたーっ」
ぱたりと倒れたハルを陽子が慌てて抱きかかえる。
「だいじょうぶハルくん?」
陽子の問いかけには答えないので失神はしているが、胸に耳を当ててみると心臓は動いているのでいきなり心肺停止とかそんな緊急事態にはなっていない様子。
「やりすぎだよミユキ女史」
ハルを大事そうに横抱きにしながら、まだ腕を組んだままの鬼越に言う。腕を組んだだけでこれだけ怖くなるのだから相当なものだ。
「やりすぎ? 軽く睨んだだけだが?」
「それで十分以上やりすぎだよアンタ鬼なんだから、生の」
「それならばお前が牙を出して笑うのも中々壮絶だぞ?」
陽子も陽子でやっぱり犬歯を出して笑うと怖い。
「う~ん……お互い反省だね」
「ヨーコちゃーん」
成り行きを柱の影から見守っていた陽子にお願いをした保育士の女性が二人の下に駆けてきた。
「ごめんなさい、ちょっとやりすぎちゃった」
「いいのいいの、これぐらい強くこらしめてあげた方がハルくんの将来のためでもあるから」
気を失ってしまったハルを陽子から受け取りながら保育士が言う。
「……そうですね」
そう言いながら(また狼女のことを怖がる子が増えちゃったな……)と少し悲しく思う陽子でもある。彼の心がこれ以上捻じ曲がるのが防げるのならその程度の憎まれ役――怖がられ役をやるのは良いとは思ってはいるのだが。
その辺りのことも事前に鬼越にもちゃんと確かめて(鬼越が嫌がったら自分一人でなんとかするつもりだった)みたのだが「鬼が憎まれ役を辞退するなど身体に流れる血の矜持に反する」と、物凄く頼もしいお言葉をいただいてしまっていた。
しかしてそれを聞いても、生まれながらにして悪役を演じるのが義務付けられているような鬼越のように、陽子がさっぱりと割り切ることはまだ少し難しい。鬼であるならば「自分たちは悪役であって悪人ではない」と言う生まれながらの矜持を持っているが、基本ニュートラルな狼人である犬飼家の者にはそれはない。
「おにのおねえちゃんありがとう」
そんな一緒に悪役を演じてくれた素で悪役な鬼越の下に一人の女の子――ヒトミが恐る恐る近づいてきて、彼女のことを見上げながら言った。自分のことを助けてくれた陽子と一緒にいるんだから、鬼の容姿をしているが悪い人じゃないんだろうと思って近づいてきた様子。
「ありがとう?」
組んだ腕を解きながら鬼越が言う。そういえばこの女の子が怪人に捕まえられていた娘だったなと鬼越も思い出した。
「アタシはなにか礼を言われるようなことをしたのか?」
キョトンとした顔で鬼越がヒトミのことを見下ろす。悪役にありがとうとはなんのことやら。
「ハルくんってばすんごいうそついていじわるしてたから、それをこらしめてくれたんだもんっ」
ヒトミはそう言うと、精一杯の勇気を振り絞るように鬼越の足へと抱きついた。
そしてそれを合図にするように周りにいた園児たちが鬼娘と狼娘の方に集まってきた。
「よーこちゃん、このおにのおねえちゃんはどこからつれてきたのー?」
「えへへ、この鬼のお姉ちゃんとは友達なんだよー……って、誰だまた尻尾にさわる悪い子は!」
陽子はいきなり尻尾を抱えるようにしてきた園児を引き剥がすと姿勢を落としてしゃがみ、みんなと顔の高さを合わせた。
「ハルくんはこの狼のお姉ちゃんとこっちの鬼のお姉ちゃんでこらしめてあげたから、明日……は日曜日か、来週の月曜になったらハルくんは『ごめんなさい』ってみんなに謝りに来ると思うよ。だからそのあとはまたみんなで仲良くして遊ぶんだよ、ハルくんも入れてね」
「はーい!」
みんなが声を合わせて素直に返事をする。この辺りはまだまだ遺恨が残る年齢でないのがありがたい。
「あ、でもハルくんともあしたあうよ」
ヒトミが翌日の予定に気付いて声を上げた。
「そうなの?」
「あしたおゆうぎかいがあるんだよ!」
「お遊戯会?」
「そうだよ、おにのおねえちゃんのおはなしをやるんだよ、おにのおはなしー」
「鬼の?」
足をぎゅうぎゅうと掴みながら説明するヒトミだが、鬼越は興味無さ気な顔。
鬼が出てくる話といえば、大体鬼そのものはロクな目に合わないので(陽子の部屋で読んだ話は違うが)鬼の話をやると言われても全く興味がわかない鬼越なのであるが
「よーこちゃんもおにのおねえちゃんもみにきてよ!」
園児たちがそんな風に畳み掛けた。
「明日はどうせ休みだし、お呼ばれしよっか?」
元々がいつか園に来てくれと誘われていた陽子であるので、彼女は来る気満々の様子。今日はいきなり顔を出してしまったので改めて園に来たい。
「翌日は高等学校も全休日だから遠出しての探索に充てようと思っていたのだが」
しかし鬼越の方は全くその気は無さ気。
「あれ? 近くから調べていくって言ってなかったっけ?」
「それはそうなのだが」
「じゃあ、明日はこの保育園を調べるってことで良いじゃない? この場所だって探索場所の一つだよ」
「今回の一件で必要量の情報収集は完了したと判断するが」
「えーと、よいこのみんな?」
煮え切らない鬼越をとりあえず置いて、周りにいる園児に話を振った。
「なーによーこちゃん?」
「今日大活躍してくれたこの鬼のお姉ちゃんのために、お礼に明日までに何かプレゼントを用意して欲しいんだけど良いかな?」
「ちょっ、おまっ、なにをっ!?」
いきなりの陽子のとんでもない提案に、鬼越が思わず突っ込む。そんなことをされては来ないわけにはいかないではないか。
「えー、いいよー、おにのおねえちゃんなにがほしいー?」
「えっ、いやっ、そんなっ、急にきかれてもっ」
「そこはみんなで鬼のお姉ちゃんが喜びそうなものを選んでよ」
会話が成立しそうも無い鬼越に変わって陽子がそう促す。
「じゃあ明日、また来るからね。みんなもお遊戯会がんばってね」
「はーい!」
陽子は立ち上がると周りにいる園児たち一人一人の頭を撫でた後、半分ほど固まったままの鬼越(ちゃんと脚からヒトミも剥がした)を引き摺るようにして、荷物をまとめて保育園を出た。
「お、お前、勝手に……」
しばらく歩いてようやく思考が回復してきた鬼越が隣の狼娘に文句を浴びせる。
「いいじゃんいいじゃん、地元の子供たちとは仲良くなっておくのは良いことだよファンタジー生物としては」
陽子が笑顔を見せながらそう言う。
「ミユキだってさ、何年、いや何十年この町にいるか分らないんでしょ探索のために? だったらあの子たちは未来の世界でもこの町で生きている子たちなんだから、今から印象良くしておかないとね」
意外にも聡明な判断だが、陽子も陽子で同じような経験は昔からしているのだろう。
「……今回はそう言うことにしておくか」
そして鬼越も鬼越で陽子の考えは良く分かるので素直に了承した。
「さて、ボクたちはお返しのお返しにクッキーでも焼きますかね、寮の厨房を借りて」
鬼越へのプレゼントはただ単にこの鬼女を遊戯会観覧へと向かわせるための口実でしかないので、明日がんばる園児たちへの差し入れという意味の方がメインではある。
「お前料理得意なのか?」
それは良い提案なので鬼越も文句を挟むつもりは無いのだが、それを実現させられる力があるのかどうかは別の領域の問題だ。
「この前調理実習で指切りました」
「なかなか頼もしい腕前だな」
「ミユキ女史の方は?」
「お前と同じで肉はいざとなれば生でも食える」
「それは頼もしい意見をありがとう」
「今夜は徹夜か?」
鬼越も鬼越で目前に現れた強敵を前にして銃が奉納されている神社の探索はすっかり後回しになっている様子。
「その覚悟は必要だね」
「今まで戦ってきた相手の中でも最悪の相手になりそうだ」
「というかミユキも参戦してくれるんだね」
「乗りかかった船だからな」
「泥舟だよ?」
「覚悟の上だ」




