灼熱の犬飼さんその3 01 ~アタシはお前にコロされるのか?~
気付くと、ボクは地面に座り込んでいた。
「……」
ボクの視線の先には人が一人倒れていた。倒れている周りは赤い。倒れている人自体も赤い。
濡れている。赤く濡れている。そしてボクも赤く濡れていた。
倒れている男から少し離れた場所に白く輝くものが落ちていた。銀色のナイフ。その銀色に輝く刃物を手が掴んでいる。でもその手は肘から先が無い。銀色のナイフを掴んだ腕だけがそこに落ちている。……なに、これ?
「駆け出しの異端審問官か」
ボクの隣に男の人が一人現れて、乾いた声でそう言った。
「普通に生きようと願っても、向こうから普通を壊しにやってくる。困ったものだ」
「……わたし、なにをしちゃったの?」
ボクが自分のことをわたしと言っている。
「お前が自分の身を守った。それだけだ」
わたしと名乗るボクに隣の男はそう答えた。
「じゃあなんであのひとはちだらけでたおれてるの?」
「お前が身を守る代償となった。それだけだ」
「だいしょう……っ!?」
ボクは急に口の中に鉄の味を感じて気分が悪くなった。
口の中の物、そして胃の中の物を全部吐き出した。酸っぱい胃液のような液体だけが吐き出されてくる。自分の口から出たその液体には赤が混じっていた。……なんだこれ。
「……なんで、くちからでたものがあかいの?」
ボクは赤い食べ物なんて食べてない――食べてない。
「それは、あそこで倒れている男の血だ。それだけだ」
隣の男が簡潔に事実だけを告げる。
「わたし……あのひとのことたべちゃったの?」
「食べてはいないだろう。だが多少は歯を立てる時に血を飲んでしまった。それだけだ」
それだけ。隣に立つ男の人が繰り返す、それだけ。
「……ぅ、ぁ」
何度目かのそれだけを言った時、今まで全く動かなかった倒れた男が、ゆっくりと頭を動かした。回転して位置が変わったその目が、ボクのことを見た。
「……異、端の……者……め、ぇ……」
そう口にした瞬間、隣に立っていた男が倒れた男の方へと向かい、足を振り上げ、それを――
「――!」
ぱちんっという擬音が聞こえてきそうな勢いで陽子は瞼を開いた。
「……夢」
ぼやけた視界が正常になってくると、見慣れたといってもいい近い位置にある部屋の天上が見えた。ここに入寮してからずっと見てる二段ベッドの上からの光景。そして自分の下には新しい同居人が寝ている。
「……二日連続で変な夢見た」
しかも今朝見たのは昨日のような全くの幻想ではない。過去の記憶だ。
「……」
家族以外の他人と一緒の部屋で寝るなんて殆ど無い経験。しかも二人っきりは始めてだ。そして今後はそれがずっと続くのである。そんな想いが幼少時の夢を見させたのか。
それはまだ陽子が小学校に上がった直後ぐらいの年齢の時だったと思う。
陽子が家への帰り道を歩いている時、それを塞ぐように男が一人立っていた。服装は良く分からないけど、牧師が着る服に似たものを着ていたように覚えている。陽子が一人になるのを待ち伏せしていたのだろう。
その男は呪詛のようなものを呟きながら陽子の方へと近づいてきた。今から考えたらその呪詛は『異端の者め……異端の者め……』と、自分自身に言い聞かせる言葉だったように思う。
男が右手に持っていた物を振りかざした。その白銀に輝く刃を見た瞬間、陽子の中の本能が爆発した。
あれは銀だ。銀は猛毒。銀でできたものにほんの少しだけ傷つけられただけで死ぬことになる。親から教えられたその言葉、そして狼人として持って生まれた防衛本能。それに従って陽子は銀のナイフを持っている男の右腕に噛み付いた。
それからのことを陽子は覚えていない。
男と銀のナイフを掴んでいた右腕が離れた場所に落ちていた。男は全身真っ赤に濡れていた。そして陽子自身も真っ赤に濡れていた。口の中に血の味を感じた。
呆然としている陽子の隣に新しい男が現れて、この状況を説明してくれた。このような光景を見ても平然としていられるのだから、それは多分父親だったのだろうと思う。
右腕を失い血まみれで倒れている男は、異端審問官という職のものらしい。しかもその職に就いたばかりの素人同然の者。
彼は駆け出しの異端の討伐者。手っ取り早く手柄を上げて上の位へと昇進したい。だから子供の亜人類に目をつけたらしい。そうして目標とされてしまったのが幼い時代の陽子だった。
もちろん異端審問官の中でも、例え敵対する相手だとしても子供に手をかけるのは忌避することだと教えられているが、憧れの職に就いたばかりの彼からはそのタガが外れてしまったらしい。
手柄を上げればタブーなど関係ない――新人らしい思い上がりに従って目標を探した結果、幼少時の陽子を見つけることになる。
子供相手なら簡単だろうと、銀のナイフ一振りだけの装備で彼はやってきた。
だが彼は、相手をあまりにも過小に見すぎていた。たとえ子供といえども、相手が本能のまま全力で動き回ったら、駆け出しの異端審問官など敵うべき相手ではないという事実から目を背けていた。
そして陽子も悟った。自分が全力で暴れれば人間の大人――それが特殊な職の為の訓練を多少積んでいたとしても――であっても、殺す寸前まで追い込むことは簡単なのだと。しかも相手が狼人に対して致命傷となる武器を持っていたとしてもだ。
更には殺す寸前まで追い込めるなら、そこから先の選択肢を選ぶのも陽子の自由。
『……こんなの、ふつうじゃない……』
幼少時の陽子が思わず呟く。
隣の男が語った、普通に生きようと願っても向こうから普通を壊しにやってくる、という言葉。それが強く耳に残っていた。
普通を壊しにやってくる者を血まみれにしなければ普通が守れない。そんなの、普通じゃない。
『わたし……――ボク、あしたがっこうでともだちとあそぶやくそくしてるの。だから、あしたも、ふつうに、がっこう……いきたい』
普通に暮らしたい、普通に学校に行きたい、普通に友達と遊びたい。普通に生きたいと願う陽子は、いつの間にか自分のことをボクと呼んでいた。
『そうか』
隣に立つ男性はただ一言そう答え、それ以上は何も言わなかった。
「……ボクはあの時『わたし』という本能のまま動く獣人の少女を捨て去り『ボク』という普通の中で生きたいと願う狼人の女の子を迎え入れたんだったね」
近くにある天井を見つめたまま、陽子が述懐する。
あの異端審問官という男がその後どうなったのかを陽子は知らない。隣にいた男――多分父親であろう男が止めを刺したのか、それともそのまま死んでしまったのか、あるいは一命は取り留めてまだどこかで生きているのか。
陽子自身はその件で何らかの罪に囚われることはなかった。両親が何とかしてくれたのかも知れないし、異端審問協会の方から何らかの譲歩があったのかも知れない。
それ以来陽子は異端を討ちし者とは遭遇していない。
体が大きくなるにつれて自分の容姿をなじられてそれが喧嘩に発展することは数多く経験したが、異端審問官が討ちに来るというそのものズバリな命の危険は無くなった。子供の時点であれだけの強さが知れたのだから下手に手を出せなくなったのだろうとは思う。
しかし陽子自身は、もうあの時発揮した獣の本能の力を使いたいとは思わなくなった。そんなことをしたら自分の周りの普通が壊れてしまう。もちろん子供同士の喧嘩程度では陽子も獣の本能に従った全力を発揮することも無く、多少腕っ節が強い女の子の範囲で収まっていた。だから自分自身も怪我は沢山してきた。先日はヒトミを助けるために多少の無茶をしたが、それでも普通を壊してしまうほどの無謀はしていない筈。
「普通に生きるって、むずかしいね」
陽子は溜め息混じりにそう言いながら勢い良く布団を跳ね除け、二段ベッドの上から飛び出して床の上に音も無く着地した。
「アタシはお前にコロされるのか?」
犬飼陽子という狼娘と鬼越魅幸という鬼娘が一緒の部屋で寝泊りすることとなった翌朝。
「だって、そうしなければ……これは定められた運命なんだよ!」
二段ベッドの下段から起きてきた鬼越を見た瞬間、先に起きていた陽子は壁際に置いてあった一つの道具を掴むと、いきなり相手のことを押し倒した。そして覆いかぶさるようにして鬼娘へと迫る。
「……」
鬼越の方は既に観念したのか目をつぶって覚悟を決めるようにしている。
「……」
そして陽子も右手で振りかざした道具を、相手へと振り下ろすようにし――
「痛い痛い! 接着面が肌に当たると痛い!」
未知なる感触に苛まれた鬼越が悲鳴を上げる。
「がまんしてがまんしてっ」
陽子はそう言いながら右手で持った道具――コロコロ(正式名称粘着カーペットクリーナー)を鬼越の服といい肌といい所構わずコロしまくる。
「いたたた……もうちょっと加減しろ」
コロコロで直接肌をころころされた部分がヒリヒリする鬼越が抗議の声を上げる。
「だってぐりぐりしないと、毛ちゃんと取れないし」
昨日ルームメイトになったばかりの相手を良いようにころころしまくった陽子が言う。
「いやホントごめんなさいこの部屋、毛ばっかで」
一応は謝っているが、自分がしたことなどなんでもないことのように、鬼越の体から離れて部屋の他の場所をコロコロでころころし始めた陽子が言う。
「……アタシはそんなには気にならないがな」
良い様に陵辱されてしまった鬼越は痛みの残る肌をさすりながらそんな風に言うが、やはり陽子の方が気になるのだろう。陽子にしても同じ部屋に誰かと住むというのも始めての経験なので、鬼越の体に付着していた十数本の毛を見てびっくりしてしまったと思われる。
「まぁ強引なことはさておき、それにしても裁縫も得意で掃除も得意ならば、お前は良い嫁になれるな」
昨日の夜に自分の衣服に尻尾用の穴を開けて縫い直す話は聞いていたので、そういう部分は鬼越も認めている様子。
「……そんなこと言ってくれるのアナタだけよ」
ころころを続けながら陽子が悲しげに言う。普通の人間には陽子の魅力は殆ど伝わっていないのは実証済みだ。
「最後の最後に本当に困ったらミユキがボクのことをお嫁にもらってくれる?」
「……むぅ?」
「そこは冗談でも良いからうんって言いやがれこんちくしょーっ! 鬼越お前もかーっ!」
キーンコーンカーンコーン……
土曜日四時間目授業の終業のチャイム。
これが鳴ったならば本日の授業は終了である。
今から15年前、この国は鉄車帝国と呼ばれる組織に侵攻され、それを迎え撃つ形で現れたチャリオットスコードロンとの戦いに巻き込まれていた。その際に戦いの舞台となってしまったこの国の政府は、教育機関における完全週休二日制という法律を廃止していた。
その時期はある程度の騒乱が週に一回は起こる事態にこの国はあったので、年若い少年少女を一箇所にまとめておく方が避難させるにも管理するにも都合がよかろうという判断である。何しろ金曜日授業終了後から月曜日早朝の授業開始まで60時間以上もの連続した自由時間が小中高の子供たちにはあったのである。ならば土曜の午前中だけでも学校と言う保護者が目の届く場所に一まとめでいさせた方が効率が良かったのだ。
と言うわけで教室内は土曜授業の半ドン終了後のわくわく感に包まれている訳である。完全週休二日制はこのわくわく感をも取り上げていたのだから、鉄車帝国とチャリオットスコードロンの戦いが終わった後も法が復活することはないだろうと言われているし、現にそのままである。
「ミユキはこのあとどうするの?」
授業終了を告げた教師もいなくなり、自由な空気となった教室の中で陽子が隣の席の鬼越に訊いた。いつもだったらことあるごとに陽子に話しかけてくる前席の女の子も、家の手伝いがあるとかで授業終了と共に姿を消していた。
「所用がある」
鬼越女史からはそんなお答え。
「しょよう? もしかしてトーマスホガラさんの手がかりを探しに行くとか?」
所用とは用事の意味であり、鬼越の用事と言えば蒸気侍の探索くらいしかないと思った陽子はそんな風に訊いてみるが
「……お前に黙っていても仕方ないとは思うので言うが、その通りだ」
正解だったらしい。
陽子の家系が蒸気侍一派とは全くの無関係とは言えなくなったが、陽子自身がトーマスホガラとの関係を全く知らないのも分ったので、探索としては振り出しのような状態である。だから鬼越としても一から捜索再開となったわけだ。
「だったらボクも着いていって良いかな?」
鞄に授業道具を詰めながら陽子がそう提案する。
「なに?」
そんな風にどこか遊びに行くなら一緒に連れてってよ的に言われたら、鬼越の立場であったら「なに?」と返すしかないだろう。
「お前を討つことになるかも知れぬ情報を求めに行くのだぞ? 気は確かか?」
「気は確かって訊かれちゃうとちょっと困るね、だって楽しそうだからって言うのが理由だからだし、着いていく理由はね」
そう言う意味では気は確かではないだろう。
だが、ミユキという新しい友人がどこかへ行こうとするのなら、自分もそれに着いて行きたいと思ったのは本心だ。
「不思議なヤツだな」
「不思議な生き物だよ、お互いに」
いつの日か自分を倒しに来るのかもしれないけど、でも友人。不思議な生き物同士の不思議な関係。
「そうだったな」
苦笑する鬼越。




