7 嵐の後の真実
「……アイン」
何度か名前を呼ばれた。
でも、まだ寝ていたい。
それにしても、「名前」というものに、随分僕も慣れてきたものだ……。
「アイン」
ぐい、と頬を引っ張られる感覚。
嫌そうな顔になるのを自覚しながら、僕は目を開けた。
「……まだ眠いんだけど」
「あれからどれだけ経ったと思っているんだい? 食事をつくったから食べよう」
「……ダーも少しは休んだら?」
「休んださ」
それなのに起きないなんて君の脳みそはもう溶けているんじゃないか、とダアトは笑った。
眠気はあったけど、美味しそうな匂いが確かにしていて、僕はむくりと起き上がる。
ダアトは僕を抱き上げて車椅子に乗せた。
顔だけ洗って、食卓につく。
テーブルにはパンやスープ、サラダやパスタがずらりと並んでいた。
「やけに豪華だ」
「端末に向かっている間コーヒーしか口にしていなかったから、その反動かな」
確かに、ダアトと顔を合わせるのは二日ぶりくらいかと思うけど、それだけで随分憔悴しているように見えた。
二人で食事を終えて、紅茶を飲みながら、少しくつろぐ。
「……やっぱり、あのメールの送り主は、君だったんだね」
ぼんやりと僕が紅茶を啜っていると、おもむろにダアトは切り出した。
「……ティファレトは?」
すぐには頷かずに、確認する。
「彼女なら仕事だよ。兵たちが戻ってから、ずっと整備にかかりきり」
ティファレトは、普段はひらひらふわふわした服を着ているのに、実は整備士のトップなのだった。
ダアトはどちらかというとソフト面で、ティファレトはハード面において人より秀でた才能を持っていて、それでこの若さで「生命の樹」の幹部になったという。
「詮索は後で、と言ってた」
「大体の説明は僕からもしておくよ。明日にでも幹部にはちゃんとした報告をしないといけないしね」
二度同じことを言うのはめんどくさい。
言外に告げた僕にダアトは言った。
それでもティファレトには色々後で聞かれそうだ。めんどくさいな……。
今からうんざりしていると、ダアトは話を戻した。
「それで、どこであんな技術を身につけたんだい」
「義肢装具士のおじさんに教わった。義足にコンピュータを組み込んでもらって、足りない知識はインターネットで補った」
インターネットに初めて接した時の驚きを思い出す。
世界がこんなに広いなんて、ちっとも知らなかった。
世界には僕の知らないものがたくさん溢れていた。
皆が皆、仲間や指揮官や装具士や敵に分かれているんじゃないんだと知った。
家族に友達、豊かな食事、きれいな衣服、戦わなくてもいい生活。
めんどくさそうで、でも多分それだけじゃない日々……。
インターネットは素晴らしい情報の集合で、とても残酷だった。
「……それじゃ、君はほとんど独学であれだけのことを……?」
まあそうだ。おじさんに習ったのは基礎の部分だけで、後は何となく自分でやっていたから。
「……何てことだ」
がっくり、とダアトは額に手を当てて項垂れた。
「全く、君は殺意を覚えるくらい天才だ。僕だってかなり勉強してきたし今でもしているつもりだけど、それでもあんなに苦戦していたっていうのに、君はあんなに容易く相手を潰してしまって……」
「だから危険だ、と書いた」
僕は平然と紅茶を飲み干した。
僕は自分がどれだけ異端か、危険か自覚している。
「僕はいつでも世界中のシステムを掌握できる」
当然――ここも。
「……面倒臭いからわざわざやらないだけで?」
「そう」
口だけでダアトが笑うのに頷く。
「ダーはいつから気付いてた?」
「まず、他の子どもたちと態度が違いすぎるのが最初から気になっていた。もともとの性格もあるんだろうけど、馴染みすぎてた。この部屋だけでも驚くことは随分あったと思うのに平然としているし、ほとんど説明を求めようとしなかったから。君が今読んでいる本だって、他の子だったらまず読めないよ。やけに死にたがるのも、符号が一致するように感じていたし。君、ここに来たばかりの頃にここのパソコンを使っただろう。巧妙に隠してあったけど痕跡はあった。監視カメラの映像まで上手く誤魔化してあって……、全く敬服するよ。とはいえ、確信したのは昨日だけど」
さすがダアト。やっぱりパソコンをいじったのには気付いてたのか。
監視カメラ誤魔化すの、結構大変だったんだけどな。最初に触る時、知らないものに興味を持ってるふり、みたいな演技をしたり。僕にしては頑張った。
「それにしても大層な手間をかけて自殺しようとしたものだね。他にもやりようはいくらでもあったんじゃない?」
「自殺封じの暗示が巧妙すぎた」
僕も色々試してはみたのだ。
仲間に殺してもらおうとしたことさえあったけれど、相手を仲間だと認識していると攻撃できないように暗示がかけられていて無理だった。
心であまり考えないようにして身体を死ぬように動かそうとしてみたけどどこかでストッパーがかかる。
だから、仲間ではない誰かに殺してもらう必要があった。
僕はインターネットでその「誰か」を探して、「生命の樹」という団体を知ったのだ。
ここならば、と僕は思った。
「……それに、仲間たちも助けたかった?」
ダアトは試すように僕を見ていた。
「どうして商品を保護もしくは全滅、と記したんだい。全滅、で良かったじゃないか。それなら君が死ぬのは簡単だった。ミサイル一発撃ち込ませればそれで済む。それ以前に、他人に頼まなくとも君なら攻撃衛星だって簡単に操れただろう……暗示がそれにどこまで反応するかは分からないけど」
全くだ。
僕は溜め息を吐いた。
人の情など僕たちにはないはずだった。
面倒だから皆いっしょに死んでしまえばよかった。
皆だってめんどくさいことから解放される。
死ぬのが一番楽だと分かっていたのだけれど。
……でもそれを選ぶのは、僕じゃない。
何より僕は、そんなにたくさんの物を背負うのはめんどくさくて嫌だ。
「自分勝手な理由だよ」
呟くと、ダアトはまるで見透かすように微笑んだ。
「最初パソコンに触った時、仲間のことを確認していたんだろう」
そこまで露見している。
仲間のことは多分大丈夫だと思っていたけど、一応。
一番気になっていたのはおじさんのこと。どちらかというと指揮官の立場に近いおじさんが、あの後殺されたのではないかと気がかりだった。
おじさんは仲間とは違う。生きてコンピュータを触ることを楽しんでいたから。
僕がめんどくさくないように最高の義足をくれたから。
「……僕は優しくなんかないよ」
ダアトが言いそうなことを先に否定した。
彼は苦笑する。
「アイン、」
「僕は危険だ」
早く殺せという意味を込めて言った。
「……幹部でもそのことには皆同意するだろうね。でも、君を生かすかどうかに関しては意見が割れるだろうな」
それは、あの時パソコンの電源を入れる時に考えていた。
いつ「生命の樹」のシステムを僕がのっとり、「生命の樹」の情報をどこかに売ったり、「生命の樹」を潰そうとしても、おかしくはない。
その一方で、敵のシステムを「生命の樹」のコントロール下に置くことも難しくない。
その選択。
「ダーが殺すと言えば幹部はそれに同意する」
ダアトの称号を持つダーが――「生命の樹」の最高責任者だから。
僕はそれを、ダーに出会う前から知っていた。
まだ僕がここに来る前、「生命の樹」に初めてアクセスした時に。
「……そうだね。でも、残念だけど、僕は君を殺したくないと思ってる。手放すには惜しい才能だ。それに、僕は君が結構気に入ってる」
「……僕は君の『ダアト様』じゃない」
そう言うとダーは苦笑した。
「分かってるよ。君はあの方とは全く違う。僕はあの方がただ笑って生きてくれれば良かった。幸せでいてくれればそれだけで良かった。……今となっては叶わないことだけどね」
そして、僕を見つめて、告げる。
「君は……そうだな、目が離せない。怠惰にずっとベッドに寝そべっていそうで、それなのに目を離したらすぐにどこかへ行って消えてしまいそうだ。そうさせたくない。ずっと側にいて、一緒にごはんを食べて、僕が出かける時は帰りを待っていればいい、と思ってる」
「……僕は君にとってのペット?」
「違うよ」
首を振るダーの目は、分からないのかと詰るような呆れるような、そのどちらでもないような、僕にはよく分からない色を浮かべていた。
「違う」
ダーは確信を持つように、はっきりと口にする。
僕は何故かぼんやりとでも、ダーを見ていられなくて、飲み干した紅茶のカップを見下ろした。
誰かの側にずっといる、というのはどういうことなんだろう。
仲間たちは次々と死んでいった。
指揮官はめまぐるしく変わっていった。
ずっと、というのがどれくらいなのか、その定義がまず曖昧だ。
出会ってから一番長く顔を合わせ続けているのは装具士のおじさんだけど、ダーが言っているのとはなんだか違う気がする。
ダーは僕の仲間じゃないし、指揮官でもないし、だからと言って敵というわけでもなく、彼と「ずっといる」というのは、どういうことになるのだろう。
インターネットで調べてみたら分かるのだろうか。
いや――。
そんなめんどくさいことを調べるのも考えるのも止めよう。
僕はダーに、めんどくさいことから解放してもらうため、殺してもらうために今ここにいるのだから。
僕は無言で空のカップを差し出した。
ダーは何事もなかったかのように、
「お代わりいる?」
と聞いてきたので、僕は首を横に振る。
そう、とダーは立ち上がった。
「事情は全て把握した。とにかく、君の処遇については明日の会議で決定するから、それまではいつもどおりでよろしく」
僕は頷く。
ダーは二人分のカップを台所の流し場に持っていった。
「僕は皿を洗ってるけど、君はお風呂に入るかい?」
「……そうする」
「着替えはいつものところに用意してあるから」
軽く頷いて、僕は車椅子のブレーキを外した。
スポンジに洗剤を出して、彼は洗い物を始める。
いつものように。
そう思って、いつの間にかこの平穏な日々が日常となっていることに改めて気づかされる。
明日には、この日々も、何もかも、消えてなくなることになるのだろうか。
ダーは、僕を殺してくれるだろうか。
僕を殺したくないなんて言わないでほしい。
僕は「生きる」というとてもめんどくさいことから、もう解放されたいんだ。