中編
駅の方から駆け足でやってくる細身の男性。
8時にこの噴水の前で待ち合わせしていたあたしの彼、大野圭吾だった。
中学生だったヒョロっとした体型は30才になった今も変わることなく、同窓会に行けば皆から「変わってないね」と言われる。
普通だった顔は大人になって少し険しくなったものの、典型的アジア系の平面的な骨格に加えて、表情の少ない所は変わっていない。
性格も大人しく、自分からアクションを起こす事など滅多にない所も変わっていない。
つまり、中学生の頃から、この男は何にも変わらないのだ。
背が伸びた事以外に成長が見られないのは、如何なものか!?
そういう点も含めて、あたしは今回の決断に踏み切ったのだった。
「・・・圭吾、遅かったじゃない。イブまで仕事?」
「悪い、ちょっとヤボ用。待った?」
「ううん、たった30分だけ」
「・・・ごめん。怒ってる?」
ブスっとしているあたしを、圭吾は体を屈めて覗きこむようにして見た。
初めて会った中学生の時は、圭吾はまだ成長期にもなってなくて、あたしと同じ目線で話をしてたのに。
高校に入ってから一人だけ大きくなっちゃって、今じゃあたしを上から見下ろしている。
体だけはこんなに大きくなったというのに、精神的な成長は全く見られないんだから尚更、腹が立つ。
あたしは近づいてきた彼の胸をグイっと押し返して、距離を保った。
今日はいつもみたいにズルズルする訳にはいかないのだ。
必要以上に怒った素振りで、あたしはチクチクと嫌味を言った。
「別に怒ってなんかいませんけどね。仕事でもないのにイブの夜に遅れてくるなんてサイテーじゃない?」
「悪かった。埋め合わせするよ。何か食いに行く?」
「お腹減ってないもん」
「そっか・・・じゃ、うち来る?」
「行きません!行ったらいつもみたいにエッチして終わりになっちゃうじゃん!」
「・・・嫌?」
「嫌とかじゃなくって・・・今日、クリスマスだよ?なんか他にする事ないの!?」
「・・・? 俺は別に・・・お前、何したいの?」
「だから、あたしに聞くの止めてよ!自分の意見ってものがないわけ?」
「俺の意見?」
あたしの真意が計りかねた彼は眉間に皺を寄せて首を傾げた。
これだから嫌なんだ。
圭吾はいつも自分は黙ってて、決定するのは全部あたし任せ。
「俺はお前が好きな所でいい」なんて良い人ぶっても、そんなのは単なる責任逃れだ。
自分の意志であたしを引っ張る事を、彼は絶対にしない。
自分の言葉に自信がない臆病者なだけだ。
いつもの一連のやり取りを終えたあたしは、決意を新たにした。
この人はずっとこのまま変わらない。
もう待っても時間の無駄なんだから。
あたしは深呼吸して心を落ち着かせてから、ゆっくりと口を開いた。
「ねえ、圭吾。あたし、今日ね、大事な話があるの」
「大事な話?」
「そう。あたし、圭吾と別れたいの」
「え・・・?何で?」
あたしの突然の爆弾発言に、無表情な彼もさすがに顔色を変えた。
切れ長の一重の目を、彼にできる最大の大きさまで見開いて、あたしを見つめる。
中学校の頃から変わらないその顔を見ていると、何だか、子供を苛めているような錯覚を覚えてしまい、あたしは慌てて気を引き締めた。
ここで情に絆されちゃダメだ。
キッパリ別れるには、毅然とした態度であたしの意見を貫かなければ。
圭吾には可哀想だけど、未練を残されるよりは嫌われるくらいに手酷くフッてやった方がいい。
今、心に傷はつくかもしれないけど、その方が後々の彼の為だ。
そう考えた私は、今まで彼に対して不満に思っていた事を全部ぶちまける事にした。
これで会うのも最後になるだろうから、言いたい事は言わせてもらわなくちゃ。
今後、彼が他の女と付き合いう時にも参考になる筈だ。
「あたしね、もう待てないの。圭吾は男だし、自分の好きなマラソンを会社入ってからも続けられて、会社の寮に一人暮らしで、私生活も充実してるから気にならないのかもしれないけど、あたしは女で、30才過ぎたら結婚も考えたいし、この年になって今だに親の家に住んでて、親から急かされてるし、高齢出産になる前にそろそろケジメをつけたいのよ。
圭吾の事は好きだったけど、もう、将来を考えられない男の人と遊んでるほど、あたしは暇じゃないし、余裕もないの。はっきり言って、圭吾があたしとの将来を真剣に考えてくれないんだったら、こんな付き合い時間の無駄よ。お互い忙しくて、週末だけ男子寮にこっそり泊まって、する事だけして、朝コソコソ帰ってくるなんて、こんな惨めな付き合い方もうウンザリなのよ。将来の約束もできないくせに、週末エッチの関係だけズルズル続けようなんて、圭吾は男として無責任だと思うわ。今までずっと待ってたけど、あたし、圭吾の煮え切らない性格にもう我慢できないし、もう時間を浪費するのは嫌なのよ。
だから、もう終わりにしたいの。あたしは自分の為に生きる事に専念するわ。圭吾もあたしの代わりの都合のいい女を早く探して・・・」
そこまで一気に捲し立てたあたしは、圭吾の顔を見上げてハっとして口をつぐんだ。
あたしを上から見下ろす彼の顔は、いつもより更に表情がなくなって、まるで能面みたいに微動だにしない。
切れ長のその瞳は虚ろにあたしを眺めているが、視線は宙を泳いでいる。
「言い過ぎた・・・?」と思った時には、既に遅かった。
圭吾は、表情のない顔であたしを見たまま、抑揚のない声でポツリと言った。
「俺、お前の事、都合のいい女とか・・・そんな風に思った事ないよ」
「将来的に責任が負えないなら、それは単なる遊びじゃん?結果的に都合のいい女にされてるのよ、あたしは。違う?」
元来、無口で大人しい圭吾が、あたしに口で敵う筈がない。
挑戦的なあたしの返答に、圭吾は小さな声で「そうだね」と言った。
勝負はあった。
あたしの完全なるKO勝ち。
完膚無きまで打ちのめされた圭吾は、悲しそうな顔で少し笑った。
「分かった。悪いのは俺だよ。今までありがとうな」
17年の付き合いは、あたしの精神的ストレートパンチの連打によって心に致命傷を負った圭吾の退場で幕を閉じた。
圭吾はイルミネーションに照らされながら、元来た道を逆戻りして、やがて駅の構内に消えていった。
今までの不平不満をぶちまけてやったあたしは、さっぱりしてる筈なのに、でも、なんだか勝った気はしなくて・・・小さくなっていく圭吾の背中を消えてしまうまで見つめていた。
◇◇◇
そして、一夜明けたクリスマスの朝。
出勤しようと家の玄関でコートを着込んでいた矢先に、ドアのチャイムがピンポーンと鳴った。
「宅急便です。サインお願いします」
CMでお馴染みの爽やかユニフォームを来たお兄さんが両腕で抱えて持ってきたものを見て、あたしは驚きで目を見開いた。
それは真っ赤なバラとかすみ草を中心にアレンジされた大きな花束だったのだ。
そして、大きな花束には小さな封筒が貼り付けてあって、開いて見ると中からプラチナのシンプルな指輪とメッセージカードが出てきた。
『メリークリスマス!今年は俺と結婚して下さい。大野圭吾』