前編
イルミネーションが眩しい小さな街の小さな駅前。
今日は12月24日、世界中が幸せな雰囲気に包まれるクリスマスイブだ。
小さな駅の前にある小さな噴水の前には、寒空の下でイルミネーションを楽しむ恋人達が等間隔で並んで座っている。
海に近いこの駅はいつもは強風に煽られてのんびり歩くどころではない。
なのに、今夜は不思議と風のない穏やかな夜だった。
「神様が応援してくれてんのかな?」
噴水の前で一人イルミネーションを眺めながら、私は誰に言うともなく呟いた。
そう。
今夜はあたしにとっては決戦の日。
長年付き合ってきたマンネリ彼氏、大野圭吾にキッパリ引導を渡すのだ。
「もう付き合いきれません」って。
◇◇◇
ヤツとの出会いは17年前に遡る。
中学校で入部した陸上部で同じ長距離種目だったのが付き合い始めたきっかけだ。
ヤツは別の中学校だったけど、定期的に行われる陸上競技大会では必ず顔を合わしていたのだ。
長距離って、花形の100mやリレーに比べて地味な競技だ。
冬の駅伝ならまだしも、真夏の陸上競技場を何周もグルグル回っている内に、最初は応援してくれてた仲間達も飽きてお喋りに花を咲かす。
満身創痍で完走して戻ってきたら片づけが始まっている始末。
そういう華のない競技が男子3000mだった。
中学一年の時の夏のデビュー戦、圭吾は一人陸上競技場のトラックを見据えてストレッチをしていた。
邪魔にならないように柵の中から高みの見物をしていたあたし達女子部員は、応援する気があるんだか、ないんだか、スタートラインにズラリと並んだ各校の男子選手の品定めに興じていた。
「ねえ、見て!南部中のゼッケン3。レベル高くない?」
「あー!あの人、人気らしいよ。でも、頭悪いんだって」
「えー・・・ガッカリ。じゃあさ、あれは?北陽中のゼッケン5」
「やだあ、ちっちゃいじゃん!」
「でも、顔イケてない?」
中学一年という思春期真っ盛りの女子の会話は止まる事を知らず、気が付けばスタートのピストルが鳴ってレースが始まっていた。
20人程の団体の中で一人飛び出してきた選手。
さっきまで全くノーマークだったその選手の走りに、あたしは目を奪われた。
最初っからすごい飛ばしっぷりだ。
あんなペースじゃ最後までもつ筈がない。
誰もがそう思って冷ややかに見守る中、圭吾はグングン飛ばして行く。
一年生だった彼にとってそれが最初のお披露目試合だったので、誰も彼の事は知らなかった。
お喋りに興じていたあたし達も、あまりの独走っぷりに目を見張って、やがて誰からとなく応援し始めた。
「ねえ、あの子すごいじゃん?どこの子?」
「東郷中だって!あたし達と同じ一年だってよ」
「何て子?」
「名前までは分かんない。でも、がんばれ!」
周りの友達はキャアキャア黄色い歓声を上げ始めたが、あたしだけは電気に打たれたようにその場で硬直していたんだ。
走る彼があんまり綺麗で・・・。
こんなに美しい獣をあたしは見たことがなかった。
最終トラックを走り始めた時、彼は更にスピードを上げた。
今までの疲れを全く感じさせないすごいラストスパート。
規則的に振られていた彼の細い腕が力強く宙を切り、長い足は飛ぶように地を蹴っていく。
ダントツ一位でテープを切った時、あたしの目から涙がツーっと零れ落ちた。
スポーツタオルを頭から被り、フラフラしながらトラックを出て行った圭吾に、あたしは思わずついて行った。
彼が男子トイレに入った所を外で待ち伏せして、出てきた所で告白したのだ。
「好きです!」って。
その時の彼の顔は今でも思い出せる。
3000mも炎天下を走り回った直後に、トイレから出てきた所を全く見知らぬ女の子が告白したのだ。
嬉しいとか困ったとか、そういう感情の前に彼は状況が把握できずに「え!?」と言った。
なり初めはそんな感じ。
まだ若過ぎたあたしからの強引なアプローチによって、あたし達は始まったんだ。
そんな大昔の思い出が走馬灯のようにあたしの脳裏に流れていく。
イブのロマンティックな雰囲気が、美しい思い出ばかりを蘇らせているのかもしれない。
駅前の百貨店に施された電飾がチカチカ点滅するのを眺めながら、あたしは溜息をついて時計を見た。
時刻は8時15分。
待ち合わせ時間から15分も過ぎている。
まあ、いつもの事だから別にいいんだけど。
鮮烈な印象を残した中学一年のデビュー戦。
思えば、あの時が彼の一生で一番輝いていた時期かもしれない。
大野圭吾に、走るのが速い事以外で特記する長所はなかった。
顔は極めて普通。
あの試合の日、品定めをしていた女子達のお眼鏡に敵うレベルではない事は間違いない。
性格は極めて大人しく、無口。
デートしてても黙っているので、何を考えてるのか分からない。
まさに草食系、言うなればカモシカだ。
圭吾が就職してからも、あたし達の付き合いは続いた。
ヤツがそれなりに名のある企業に就職できたのは、その企業に駅伝部があったからだ。
結婚も視野に入れていたあたしにとっては、どんな手段であれ、彼が就職できた事に安堵した。
それなのに、だ。
彼が就職してから「そろそろプロポーズもアリじゃない?」なんて期待したのはあたしだけ。
彼が『結婚』の文字をチラつかせた事は未だかつてない。
初めはあたしからの強引なアプローチだったけど、プロポーズは男である圭吾からして欲しい。
恋の終点に決着をつけるのは男の仕事だとあたしは思っていた。
だから、今まで「結婚したい」なんて口にせずに黙って待ってたのに・・・。
結果的に圭吾は決着をつける素振りをまるで見せないまま、あたし達が30才になる今年のクリスマスまで付き合いは続いている。
長過ぎる春もいいとこだ。
圭吾は浮気するタイプでもなかったし、あたしも他に出会いもなかったから惰性の付き合いはズルズルと続いた。
いや、付き合いと言うより、もはや週末エッチするだけのセフレと変わらないレベルまでいっちゃってる。
最近流行りの草食系男子だからと言って、女を30になるまで待たせておくなんて責任がなさ過ぎる。
だから、あたしは決めたのだ。
このズルズルの関係を終わらせる。
このクリスマスイブに決着をつけて、人生をリセットするのだ!
・・・そう思った矢先に聞き慣れた声が後ろから響いた。
「アユミ!悪い、遅くなった!」
駅から駆け足でやってくる背の高いシルエット。
予定時間より30分遅れて、大野圭吾がようやく到着した。