さくらのきせつ
周囲を騒がしながら幸福にする佐倉がアパレル業界にデビューするお話です。
春の花は桜と思っていた。確かにそうなのだ。でも桃と梅も春の訪れを知らせてくれるのだ。しかし卒業を想起させ、入学や入社を思い出させる花。それはやはり桜なのだ。桜はさくら。さくらは佐倉。周囲を幸せにした佐倉響子は巡る季節のように現れては去っていった。桜と違うのは前線が北上するようにやって来ない。忘れた頃に現れて桜吹雪ならぬ佐倉吹雪をまき散らして去っていくのだ。
私の部下の中で最も自由を謳歌し誰からも愛された佐倉は冬物のセール時期にやって来た。誤字だらけの履歴書には自分の似顔絵を添えていた。
「これって君?」私は履歴書を見て彼女に聞いた。
「はい。八枚履歴書を書いたんですけどそれが一番上手に描けていました」佐倉は元気に答えた。
「あのねぇ、ここには写真を貼るんだよ」
「すいません。でもその似顔絵なら誰にでも分かると思って…」佐倉は頭をかきながら答えた。確かに良く似ていた。誰にでもわかる似顔絵だった。
「まぁいいや。販売の経験ってこれ?どんな仕事だったの?」私は履歴書に書かれていた『ととちゃん』について尋ねた。
「はい、魚屋さんです。正式には『魚河岸ととちゃん』っていうお店です」佐倉は威勢よく答えた。
「魚屋さん?」私はかなり呆れた。
「はい、お陰で大きな声も出ます。お魚もさばけます」
「魚の知識もさばき方も関係ない仕事なんだけど、アパレル業界で大丈夫?」私は採用見送りを心の中で決めかけた。
「洋服なら得意です。今日着ている服も自分で作りました」佐倉は驚くようなことを言った。
「それ自分で作ったの?」
「はい、何でも自分で作るのが好きなんです」
「それはすごいね。洋服は好きなの?」
「はい、大好きです!」佐倉の威勢は更に強くなっていた。洋服が好きな女性はいくらでもいるが自分の着る服を自ら作るような女性は希だった。私は三ヶ月間の試用期間があることを伝えて採用をするかどうかは店長に任せることにした。
佐倉は三ヶ月間をそつなくこなし正式採用された。私にとって直接の部下ではなかったのだが本部勤務だったので報告だけはあがってきた。そもそも面接も私がする必要はなかったのだ。その日の都合で決まった面接要員だった。しかし佐倉は採用されたことを感謝して私の元に挨拶にやってきた。
「ありがとうございました」佐倉の威勢の良さは面接の時のままだった。
「おめでとう。がんばってね」私は無難なことを言った。
「これで人生が楽しくなりそうです」佐倉は大げさなことを言った。それは本心だったのだが楽しさの原点が異なっていた。私の人生に最も価値のある出会いをもたらした佐倉との出会いは桜の花のように淡い彩りに縁どられていた。それは散歩中に偶然見かけた桜のように無意識の中に留まり続けた。
佐倉が桜色に染めた季節はこうして始まった。
おしまい
佐倉を書き始めた記念作です。主役ではない彼女の物語を幾つか書きましたがこの作品が最初でした。