並行線
21時を過ぎてもファミレスの店内は未だ騒がしい。家族連れで賑わっている中、男二人がドリンクバーと軽食一つで居座ってることに劣等感があるせいかもしれない。BGMは喧騒に掻き消されるようなチルアウト・ジャズ。
向かいに座る実沢がストローをくるくる回しながら急に言った。
「ウミガメのスープやろうぜ」
さっきから黙ってたと思ったら問題でも考えていたのだろうか。
正直、水平思考パズルと言ってほしい。飯を食う場でウミガメのスープを連想するのはなんとなく嫌だ。特にあの一番有名なウミガメのスープの問題は不穏な結末だし。
空になりつつあるコップを見て実沢が店員に水を頼んだ。ああいう問題ならいいんだけど。「男が水を注文すると店主は銃を向けた。男は『ありがとう』と言って店を去った。なぜか?」……水平思考の性質上、始まりが不穏だとオチはむしろほのぼのしやすい。とはいえ「ウミガメのスープ」みたいに設問から解答まで重たいものもある。
「……質問。俺に『やだ』っていう権利はありますか」
「いいえ」
にこにこと笑って実沢は運ばれてきた水を飲んだ。
目の前には「まだ食べてます」のアピールのために置いてあるサンドウィッチ。トマトの赤、ツナのペースト、挟まれる、圧死、毒殺。なんだってあり得る。それが水平思考ってものだ。
「いいけど、軽いやつにしてくれよ。前みたいに寝れなくなるやつは勘弁な」
「大丈夫、大丈夫。今回のテーマは『線』だ」
その時点で俺は少しだけ嫌な予感がした。道路の白線、生死の境界線、黄色い線の内側までお下がりください。頭の中で水平線上を思考が走っていく。
「問題です。ある男は『一本の線』を見て絶望しました。一体なぜ?」
ほら絶望のおでましだ。実沢は不穏な展開が好きなんだよな。こんな賑やかなファミレスなのに。
「お前のその言い方がもう怖いんだよ。絶望って。……質問。命に関わりますか?」
「いい質問です」
池上彰か、お前は。
「命は、そうだな。イエス。ただし直接は関係ありません」
直接は。嫌な言い回しだ。なら間接的には命に関わってくるのか。
「その線は紙に書かれているなどの物理的な線ですか?」
「イエス」
「長さは関係ある?」
「ノー」
「特定の場所は関係ありますか?」
「関係あるとも言えるし、ないとも言える」
急に曖昧になったな。線そのものより、絶望した男の側を特定していったほうがいいかもしれない。
俺はドリンクバーのコーラを一口飲んだ。氷が溶けて味は薄く、炭酸も死んでいる。
「その男は犯罪に関わっていますか?」
「ノー、たぶんね」
「病気ですか?」
「それは確実にノー。少なくとも、この問題には関係ない」
少し安心したが、逆に不気味さが増した気もする。死でも病でもないのに絶望する線。もっと何か、運命の糸のようなものだろうか。しかし物理的に存在する線ではあるのだ。
「その線は誰かが意図的に引きましたか?」
「イエス」
「男のために引いたものですか?」
「あー……まあ、イエスかな~」
かな~ってなんだよ。質問の解答はちゃんと水平思考を収束させてくれよ。
俺の頭の中にはいくつかの嫌な想像が浮かんでいた。有刺鉄線、立ち入り禁止の黄色いテープ。ここから先に足を踏み入れたら――みたいな話。
「その線を越えると何か起きますか?」
「ノー」
「その線を越えることはできない?」
「ノー」
あれ、越えられるのか。越えてもなお絶望する? あるいは、越えたからこそ絶望するとか。
「男は、その線の意味を知っていましたか?」
「イエス」
実沢はストローをぐにぐにしながらにやついている。俺が困ってるのを楽しんでいる顔だ。
「もしかして、誰かとの関係とか? 別れを示す線とか。除籍による斜線ですか?」
「お、ロマンチックな飛躍だね。だけど、いいえ」
「じゃあ……社会的な何か? 合格とか不合格とか」
実沢の手が止まった。
「いいセンいってる」
俺の嫌な予感が別の方向に形を変えた。
「その線は……何かを区切るものですか?」
「イエス」
「男がその線の“どっち側”にいるかが重要?」
「イエス!」
眉間の辺りがちくっと痛む。俺が不機嫌になったのを見て、実沢はますます楽しそうになった。
「……先週のテストに関係はありますか?」
「はっはっは、続けたまえ」
「その線は点数のライン……合格ラインですか?」
「イエス!」
「で、その男は……武田は、その線の下だった?」
「イエース! このたびはご愁傷さまでした、武田くん!」
俺は黙ってストローの紙袋を指で弾いて実沢にぶつけた。
実沢は満足そうにほとんど水と化しているコーラを飲み干した。
「武田優紀くんは、廊下に貼り出された『模試の合格基準線』を見て、自分が志望校の判定に届いてないことを知り、絶望しました。はい、おしまい」
ファミレスのBGMが軽快でダークな曲調に一変する。ビリー・アイリッシュだ。22時を過ぎていた。
「俺たちそろそろ退店させられるぜ、bad guy武田」
「売れないコメディアンみたいに言うな」
ぱさぱさに乾いたサンドウィッチを薄いコーラで流し込んで、会計に立つとレジの店員の笑顔の裏には「長居しやがってクソガキども」という罵倒が刻まれていた。
駅までの帰り道、実沢と並んで殊更にだらだらと歩く。
「さっきの、命は直接関係ないって何だよ。ミスリードだろ」
「生死を左右しなくても、お前という命には関係あるじゃん?」
「すげえ屁理屈」
「もう一問やろう。次はお前が出題側な」
俺は少し考えてから、わざとらしく咳払いをした。
では問題です。男はいつも彼に困惑させられている。彼は不愉快な性格である。だが、男は彼と同じ進学先を志望している。何のためか?
これだけなら可能性は水平にどこまでも広がっている。さあ、イエスもしくはノーで答えられる質問をどうぞ。




