第八話:リリなんです。大掃除です
「……不敬であるぞ! 下がれ、無礼者共!!」
謁見の間を揺るがす近衛兵たちの咆哮。
抜き放たれた剣の列が、銀色の波となってはじめたちに押し寄せる。軍事会議に出席していた貴族たちは、椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、ある者は魔法の杖を構え、ある者は「暗殺者か!」と悲鳴を上げた。
だが、その混沌のど真ん中で、はじめだけは平然と足を止めた。
背後からは、猛烈な速度で追いかけてきた執事ハバチが、その細身の短剣を突き出そうと肉薄している。
「皆様、落ち着いてください。これは単なる『緊急の仕様変更』の相談です」
「黙れ! 陛下を前にして何たる言い草……ハバチ、その者たちを即座に排除せよ!」
貴族の一人が叫ぶ。ハバチの目が、無機質な殺気を孕んで光った。
その瞬間、はじめは隣で震えているリリの肩を、力強く叩いた。
「リリさん、今です! 追いついてきた執事さんに、最大出力で『ヒール』を!」
「えっ……!? で、でも、はじめさん! さっきダメだって……!」
「いいからやれ! 攻撃じゃない、ただの『回復』だ。健康診断ですよ。……いいですね、いけぇ!」
「わ、わかりましたぁ! 『ピカピカ・ナオール』!!」
リリがヤケクソ気味に杖を振りかざした。
瞬間、謁見の間が、直視できないほどの純白の光に包まれる。
それは慈愛に満ちた、生命を育むはずの光。
だが――「中身がバグ(死体)」であるハバチにとって、それはこの世で最も冷酷な消去キーだった。
「――ッ!?」
ハバチの動きが、空中で凍りつく。
彼を操作していた「何者か」の意識が、端末(ハバチの体)との接続を強制的に断たれる。
ハバチの複眼から光が消え、その端正な執事の顔が、まるで行き場を失ったデータのように激しくノイズを走らせた。
「ガ……ギ……ギギ…………」
ドサリ、と。
女王陛下付きの完璧な執事が、糸の切れた人形のように床に崩れ落ちた。
静寂。
あまりに鮮やかな「無力化」に、近衛兵も、貴族も、そして玉座のヴェスパ女王までもが、言葉を失ってその光景を凝視していた。
「……ハバチ? お、おい、貴様、我が執事に何をした……!?」
女王の震える声。
はじめは、床に転がって動かなくなったハバチを一瞥もしないまま、懐から「獣国の巻物」を取り出した。
「何って……疲れてるみたいだったから、ちょっとリフレッシュ(初期化)してあげただけですよ。……さあ、陛下。邪魔者は消えた。本題に入りましょうか。――この世界が今、どれだけ致命的なエラーを吐き出してるかについて」
「皆様、顔色が悪い。連日のオーバーワークで、思考回路にノイズが走っているようですね」
はじめは、倒れたハバチを跨ぎ越しながら、涼しい顔で言い放った。
「安心してください。我々ミツバチの使いは、福利厚生にうるさいんでね。――リリさん、大盤振る舞いだ。この部屋にいる全員に『一斉パッチ(全回復)』を配布して」
「はい! 皆さん、お疲れ様ですっ! 『ピカピカ・ナオール・ギガ盛り』!!」
リリが杖を高く掲げると、謁見の間を濁流のような聖なる光が埋め尽くした。
「な、何をする、やめろ……ぐあああああ!?」
真っ先に飛びかかってきた近衛兵たちが、光に触れた瞬間、悲鳴を上げる暇もなく「霧」となって霧散した。鎧だけがガチャン、ガチャンと空しく床に転がる。彼らは既に修一の手によって「中身」を書き換えられたアンデッド兵だったのだ。
「ひっ、兵士たちが消えた!?」「殺されたのか!? いや、今の魔法は……」
貴族たちが腰を抜かす中、はじめは冷静に解説(実況)を続ける。
「おや、消えちゃいましたね。よっぽど『毒』が回っていたんだ。……ほら、そっちの大臣さんも肩が凝ってるんじゃないですか?」
「ま、待て! 来るな、私は健康だ、非常に健……ぎゃあああああ!!」
リリの放つ「慈愛の波動」が部屋中を跳ね回り、不健康な(死霊術が混じった)者たちを次々とログアウトさせていく。
一方で、生きている普通の人間たちは、光を浴びて「あ、あれ……? 腰痛が治った?」「お肌がツヤツヤに……」と、困惑しながら自分の手を眺めている。
「な、何なんだ……この地獄のような癒やしの空間は……」
ゼノが引きつった顔で呟く。
「はじめさん! 兵隊さんたちが、みんな恥ずかしがって隠れちゃいました(消滅)! でも、お部屋の空気がとってもクリーンになりましたよ!」
リリは、鎧の山(元・兵士)を背景に、満面の笑みでVサインを作った。
玉座の上。
ヴェスパ女王は、あまりの光景に立ち上がることも忘れ、唖然としてそれを見ていた。
守るべき近衛兵の半分が消え、残った貴族たちは血色良く、ピンピンして震えている。
「貴様……我が軍の精鋭を、跡形もなく『治療』したというのか……?」
「治療ですからね。副作用で消去されたなら、それは元々の仕様に問題があったってことです」
はじめは、誰もいなくなった玉座までの道を、悠然と歩み出した。
「……あ、そこのテーブルを囲んでいるお偉方の皆様。全員、非常に顔色が悪い。……というか、システムに致命的なエラーログがびっしり張り付いているように見えますね」
はじめが指差したのは、女王を半円状に囲んで座っていた十人の最高幹部たちだ。
「な、何を……よせ、控えよ! 我ら大公爵領を束ねる選ばれし十の柱に向かって――」
「リリさん、重鎮の皆様に『一斉フル・メンテナンス』を。10人同時接続、全リソースを注ぎ込んでください」
「はいっ! おじいちゃんたち、みんなまとめて元気になぁれ! 『ピカピカ・ナオール・ギガMAX・フルバースト』!!」
ドォォォォォン!!
謁見の間の天井が抜けるかと思うほどの、純白の閃光。
それは慈愛の奔流であり、死霊術を焼き尽くす、非情なアンインストール・コマンドだった。
「ア……アガガガガガ……ッ!?」
断末魔のような叫びが重なり合う。
十人のうち、実に七人の体が激しく発光し、その皮膚の端からデジタルノイズのような黒いモヤが噴き出した。次の瞬間、彼らの肉体は光に溶けるように消失し、重厚な椅子の上には空っぽの豪華な礼服と、カチャリと音を立てて転がる爵位の勲章だけが残された。
「……う、嘘だろ……?」
ゼノが震える指で、もぬけの殻になった七つの席を指差す。
「十人の重鎮のうち……七人が『中身のない死人』だったっていうのか……!? スズメバチ国の中枢は、とっくにアンデットに支配されてたってことかよ!」
一方で、生き残った三人の生身の重鎮たちは――。
「……あ、足が、軽い。……心臓が、ドラムのように力強い。……怖い、若返りすぎて、自分の力が制御できない……ッ!」
あまりの健康さに、全身の筋肉がはち切れんばかりに膨張。瞳からはビームでも出そうなほどの生命力が溢れ出し、過剰なエネルギー(全快)に脳がついていけず、そのまま白目を剥いて生まれたての小鹿のようにガクガクと震えて崩れ落ちた。
「はじめ! お前、本当に何やってるかわかってんのか!?」
ゼノが頭を抱えて、残された「服の山」と「筋肉の山」を交互に見て叫ぶ。
「国の最高決定機関を、七人は消去、三人は『超・健康』にして戦闘不能。これは国家転覆罪なんてレベルじゃない、歴史に残る大量殺人だぞ!」
「ゼノ様、静かに。……見てください。陛下が、一番ショックを受けてるんだから」
はじめの言葉に、場が凍りつく。
玉座の上。
女王ヴェスパは、さっきまで自分に忠誠を誓っていたはずの臣下たちが「服の山」に変わった光景を、蒼白な顔で見つめていた。
「……ハバチも。我が十の柱も。……みな、最初から、偽物だったのか……?」
「そのようですね。陛下、お一人で随分と過酷な『デスマーチ』を強いられていたみたいだ。……周り全員がボット(アンデッド)じゃ、まともな進捗報告も上がってこないわけですよ」
はじめは、もはや護衛も、助言者も、政治機能も(物理的に)消え去った、広すぎる謁見の間のセンターを悠然と歩く。
「さて、陛下の周囲は綺麗に開放されました。――これでやっと、本音で『仕様変更』の話ができそうですね」




