第七話:不敬ってなんですか?私です
「いいか、二人とも。これから『強行突破』のデバッグ……いや、お芝居をしてもらう」
控室に戻された直後、はじめは小声でゼノとリリに告げた。
はじめの確信通り、この部屋の壁は薄い。あるいは執事の「聞き耳」の感度が異常に高い。隣の部屋から、微かな紙の擦れる音が聞こえていた。
「ゼノ様は激昂した使者を。リリさんはそれに怯えて泣き叫ぶふりを。……いきますよ、せーの!」
「ええい、もう我慢ならん!」
はじめの合図とともに、ゼノが全力で壁を蹴った。ドォン、という重い衝撃音が部屋に響き渡る。
「母上が、ミツバチ領が幽霊国に狙われているのだぞ! ここで大人しく茶を啜っていろというのか!」
「えーん、怖いよぉ! 女王様に会わせて! 会わせてくれないなら、リリ、魔法でこの壁を壊しちゃうよぉ!」
リリの迫真の叫びに合わせ、はじめもわざとらしく声を張り上げる。
「落ち着いてください二人とも! ……くそ、こうなったら強行突破だ! 謁見の間へ向かいましょう!」
その直後だった。
隣の部屋でガタリと椅子が引かれる音がし、急ぎ足で廊下を去っていく足音が聞こえた。
執事ハバチが「使者たちの暴走」を報告するために席を外したのだ。
「……今だ。二人とも、そのまま騒ぎ続けて。注意を逸らすんだ」
はじめは部屋の隅にある小さな通気口――ハチの城特有の、複雑な空気循環システムのために作られた隙間――に身を滑り込ませた。社畜生活で痩せ細った体躯が、ここでは幸いした。
暗い隙間を抜け、隣の**『執事室』**へと着地する。
室内は、不気味なほどに整然としていた。
机の上には塵一つなく、書類はミリ単位のズレもなく積み上げられている。
(……なんだ。この、背筋が寒くなるような既視感は)
はじめは震える手を抑え、棚の奥に隠されていた古い巻物を掴み取った。
そこに記されていたのは、獣国からの絶望的な報告だった。
『――アンデッドの軍勢、既に王都を蹂躙。奴らは死なず、疲れず、かつての隣人の皮を被って襲いくる。これは戦争ではない。世界の「更新」である……』
(……ひどいな。女王が必死になるわけだ。このままじゃ、この世界そのものが「全消去」される)
情報の重さに眩暈を覚えながら、はじめは巻物を戻そうとした。
その時。
ペントレイの影に、不自然な光を放つ小さな破片が落ちているのが目に入った。
「……あ?」
はじめが執事室の机の隅で見つけたのは、この世界の鈍い輝きとは一線を画す、無機質な銀色の光だった。
(……なんだ、これ?)
指先でつまみ上げると、パキリ、と硬質な感触が指に伝わる。
それは、薄いアルミニウムのような金属と、透明な樹脂が組み合わされた「何か」の破片だった。
この世界の技術では不可能な、あまりにも精密なプレスの跡。そして、そこには現代の工場で印字されたような、極小の、それでいて鮮明なフォントの数字が刻まれていた。
(……ありえない。これは、こっち(ファンタジー)の仕様じゃない。……俺がいた『向こう側』の工業製品だぞ)
はじめの背筋を、冷たい戦慄が走り抜ける。
自分がこの世界に「ログイン」した際、持っていたものは社畜のスーツとスマホだけ。だとすれば、この破片は――。
(誰か、他にもいるのか? 俺より先にこの世界に来て、この執事室に『私物』を紛れ込ませた奴が……)
その時、廊下の奥からカツン、カツンと冷徹な足音が近づいてきた。執事の帰還だ。
「……っ!」
はじめは反射的にその銀色の破片をポケットに押し込み、本来の目的だった「獣国の巻物」の情報を脳内のメモリに焼き付ける。
「はじめ、早く! 来ちゃうよ!」
壁の向こうで騒いでいたリリの、演技ではない本気の焦り声が聞こえる。
はじめは通気口に飛び込み、這うようにして控室へと戻った。
ドサリ、と床に着地したのと同時に、控室の重い扉が外から開かれた。
入ってきたのは、一寸の乱れもない礼装に身を包んだ執事ハバチだ。
「……お騒がせしております。陛下への報告を終えました。皆様、随分と……血気盛んなご様子で」
ハバチの冷ややかな視線が、息を切らしているゼノ、泣き真似で顔を赤くしているリリ、そして——床に這いつくばったままの「はじめ」に注がれる。
「……ああ、すみません。あまりに待たされるんで、床の『建材の強度』をチェック(デバッグ)してたところですよ」
はじめは、ポケットの中にある「銀色の破片」の重みを指先で感じながら、精一杯の社畜スマイルを浮かべた。
「……建材の強度チェック、ですか。随分と熱心なことで」
ハバチの声には、冷ややかな殺気が混じっていた。
だが、はじめはその視線を正面から受け流し、強引に立ち上がると、ゼノとリリに目配せを送った。
「ええ。あまりに脆弱なシステムだったんでね。――行くぞ、二人とも。予定を前倒し(アップデート)する」
「なっ……はじめ!? どこへ行くつもりだ!」
驚くゼノを置き去りにして、はじめはハバチの横をすり抜け、廊下へと踏み出した。
「陛下に『真のバグレポート』を届けに行くんだ。ハバチさん、悪いが道を開けてくれ。俺たちは今、最高権限(緊急事態)を行使中だ」
「……お待ちください。陛下は今、軍事会議の最中。不敬ですよ」
ハバチが音もなくはじめの前に立ちふさがる。その手には、いつの間にか細身の短剣が握られていた。
だが、はじめは止まらない。
「不敬? そんな言葉でこの『致命的なエラー』が隠せると思ってるのか?」
はじめはポケットの中の「獣国の巻物」の写しを叩いた。
「獣国はもう落ちている。世界は『更新』という名の全削除を始めているんだ。それを黙って見過ごすのが、執事としての仕様か? ――どけ。俺には、やるべき仕事がある」
ハバチの複眼が、一瞬だけ揺らいだ。
その「ノイズ」を見逃さず、はじめはハバチを強引に突き飛ばすようにして、謁見の間へと続く大扉へ走り出す。
「ゼノ様、扉を! リリさん、いつでも『除菌』できるように構えて!」
「お、おう! 正気か、はじめ……! だが、こうなったらヤケだ!」
「はいっ! はじめさんのためなら、リリ、お城ごとピカピカにしちゃいます!」
「……っ、待ちなさい……!」
ハバチの制止を背中に受けながら、はじめたちは豪華な回廊を駆け抜ける。
そして、重厚な装飾が施された「謁見の間」の扉の前に、三人は並び立った。
「行くぞ……。強制再起動だ!」
はじめが扉の取っ手に手をかけ、渾身の力で引き絞る。
光の差し込む玉座の間では、ヴェスパ女王と居並ぶ貴族たちが、驚愕の表情でこちらを振り返った。




