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第六十六話:トールです。再登場です

ぴゅーぃぃ……ッ!


抜けるような青空を切り裂き、一羽の鷹が獣国の天守へと舞い降りた。

勾欄の欄干へと止まり、その脚を差し出す。


「……ふん。墨花の使いか。律儀なことよ」


天守を吹き抜ける風を背負い、森羅万象がゆっくりと歩み寄る。

脚筒から取り出した紙片を広げ、彼はそこに躍る墨花の流麗な文字を追った。


『――はじめ一行は、ヴェスパ女王の命により精霊国へ。

物理と雷の化け物「トール」と混戦。

そこで一人の少女を救出し、現在は難を逃れております。

私は機を見て、彼らと合流する予定。――』


「…………」


彼は、しばし無言でその文面を見つめた。

はじめ。あの食えない男が、ついに「神の雷」とぶつかったか。


「トール、か。物理と雷の化け物を相手に、あやつは一体何を書き記そうというのだ」


静かに拳を固く握り、紙片を力任せに潰した

紙が爆ぜるような音を立て、彼の掌の中で塵へと変わる。


「頼むぞ、墨花。……あの男を、退屈な死で終わらせるな。余が認めた男だからな」


彼の視線の先、遥か彼方の空では、今も不穏な雷鳴が轟いているようであった。


ドォォォォォォォン……。


遠くで地響きが鳴るたび、焼けた樹々の隙間から灰が舞い上がる。

はじめは、右手の疼きを無視して、黒く炭化した森の入り口を見据えていた。


「行くぞ。レイラ、ルナ、りり、琥珀。……これ以上、時間を無駄にはできない」


はじめの声は低く、どこか突き放すような冷たさがあった。


「あらあらあらぁ……。はじめ様、そんなに怖いお顔をなさっては………せっかくの色男が台無しですわよぉ?」


(――……えっ?)


大気を震わせる重低音の中でも、その声だけは、はじめの鼓膜に驚くほど鮮明に届いた。

甘く、とろけるような……確かな安堵を運んでくる、あの声。


「……っ。……墨花、さん……?」


立ち込める白い煙を、扇でゆったりと払い除けながら、一人の女性が歩み寄ってくる。

背中には大きな竹籠。けれど、その身に纏う空気だけは、ここが焦土であることを忘れさせるほど穏やかで、優雅だった。


はじめの足が、無意識に一歩、彼女の方へと踏み出す。


「墨花さん。……なぜ、ここに。……お店に帰られたのでは?」


はじめは、絞り出すような声で問いかけた。その瞳には、隠しきれない動揺と、そして縋るような色が混じる。


「ええ。お店へ帰る途中で、馴染みの行商の方にお会いしまして。……『精霊国で山火事が起きて、薬草や茶葉が焼失しかけている』……なんて悲しい噂を聞いてしまったものですから」


墨花は、はじめの目の前まで来ると、そっと彼の頬を指先でなぞった。

その指は驚くほど冷たく、けれどはじめの焦燥を鎮めるように優しい。


「放っておけませんでしょう? ……お店の大事な宝物が、炭になってしまうなんてぇ」


吐息混じりの、あまったるい囁き。

はじめは、その声に突き動かされるように、深く、重いため息をついた。

張り詰めていた糸が、彼女の存在というたった一つの「救い」によって、かろうじて繋ぎ止められる。


「……助かります。……貴女がいてくれれば……」


はじめが、その場に跪くようにして墨花の裾を掴もうとした、その時。


「……何者だ。はじめ、あんたの知り合いか?」

レイラが短剣の柄を握り直し、不審げに墨花を睨みつける。


「こちらは、墨花さん。以前から、懇意にさせて頂いてます」


はじめが、墨花の紹介をしている、その後ろで、りりが小声でつぶやく。


「はじめ様……そんなに、墨花さんに、……くっつかなくても、……いいではありませんか……」


その瞳には、激しい嫉妬を塗りつぶしたような、底冷えする輝きが宿っていた。


墨花を仲間に加えた一行が、焦土の森を数キロ進んだ先で、それは待っていた。


「……あー、……空気が変わった……」


はじめが立ち止まり、喉を鳴らす。

目の前の空間が、まるで熱波で歪んだレンズのように波打って、

肌を刺すような静電気の粒がパチパチと音を立てている。


「あいつだ。いたぞっ!!」


レイラが指差した先。

巨木が飴細工のように捻じ曲げられ、広大なクレーターとなった中心に、「それ」はいた。


物理と雷の権現、トール。

それは生き物というよりは、白光する雷雲を核に、周囲の岩石や鉄を無理やり「鎧」として吸着させた、いびつな質量兵器だった。


ドォォォォォォォン……ッ!!


トールがわずかに動いただけで、物理的な衝撃波が同心円状に広がり、周囲の樹々を塵へと変える。


「これ、ただの『雷』じゃない。……雷の速度で、『物理的な質量』を、……全方位に叩きつけてるのか」


はじめが震える手で分析している中、レイラの激情が切り裂いた。


「ルナを……! 故郷を!! よくも、よくも……!!」


「待て、レイラ! 突っ込むな!!」


はじめの制止も虚しく、レイラは短剣を抜き放ち、トールの射程内へと飛び込んだ。

トールが緩慢な動作で、「槌」を振り下ろす。


「――死ねぇぇっ!!」


レイラの刃がトールの外郭を削った瞬間、雷光が爆発した。


ドォォォォン……。


「ぐ、あああああああぁぁぁっ!!」


衝撃に弾き飛ばされ、宙を舞うレイラの肩から、鮮血が噴き出す。

その赤い飛沫が、トールの白い光に触れた、その時――。


「ぐっ……、うぐぐっ……!!」


完璧な破壊の循環を繰り返していたトールが、変な声を漏らした。


「貴様らぁ!死ねぇぃ!」


トールが再び咆哮を上げ、逃げ遅れた一行に狙いを定める。

その巨躯が放つ圧に、りりも琥珀も身動きが取れない。


「あらあら……。少し、お行儀がよろしくありませんわねぇ?」


墨花が優雅に扇を翻した瞬間、彼女の口元から、**「漆黒の墨」**が噴射された。


視界が、光が、そしてトールさえも、その闇に呑み込まれていく。


「はじめ様。……今のうちに、逃げましょう」


墨花の手が、はじめの背中を優しく押した。


その闇に紛れ、はじめ達はトールの咆哮を背後に聞きながら、死地を脱した。


安全な岩陰まで退避し、はじめは荒い息をつきながらレイラの応急処置を見守っていた。

肩の傷は深いが、幸い命に別状はない。


そこへ、何食わぬ顔で服の塵を払う墨花が、扇で口元を隠しながら、とろけるような吐息混じりの声を漏らす。


「……ねぇ、はじめ様。あの化け物さん。なんだか、レイラさんの血、お嫌いそうでしたわねぇ?潔癖症なのかしら」


はじめは、先程のトールの様子と、墨花の言葉を頭の中で繋ぎ合わせた。


「……嫌った? ……。もしかしたら、不純物が……検証する価値はあるな……」


はじめの瞳に、冷徹な解析の光が戻る。


「……あー。……もしかしたら、これ。……ひっくり返せるかもしれませんよ。……巫女様……」


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