第六十二話:母です。レイラです。
はじめはルナの慟哭を背中で受け流したまま、炭化した地面の一点に、鋭い視線を固定していた。周囲は、耳が痛くなるほどの静寂に包まれている。
「おい!泣き言を吐く前に、……これを見ろ!」
はじめが指差した先。
灰が雪のように積もった地面に、一点の曇りもなく、あまりに「鮮明すぎる」足跡が刻まれていた。
サイズこそ細い女性のものに見えるが、土を抉るような沈み込み方は、あまりに異常だった。
「……は? ……何よ、これ。……ただの足跡じゃない……こんなの、何の慰めにも!」
「女性の足跡があること自体、不自然だ!」
(それに……この足跡の……沈み込み………まあ、いい。……誰かが生きてる…………それだけだ……)
「……は? なに言ってんの? 時間の無駄よ。お母さんは、もう……!」
「お前の母親の可能性もある。確かめなくていいのか?」
「ぅ!!」
「……ついてこい。……行くぞ。」
はじめは、聞き耳を立てながら、周りの焼けた家の影、奥の岩の影。警戒しながら、進みだした。
いつトールのハンマーが飛んできてもおかしくないホットゾーンだ。音ひとつしないことが、逆にあいつが近くにいることを示唆している。
「……わかった。……わかったから……」
はじめはルナの手首を掴むと、彼女を自分の背後に隠すようにして歩き出した。
足跡は、迷いなく森の奥にある、岩が剥き出しになった「洞窟」へと続いていた。
ただ泥を蹴り、滑り、踏ん張った跡。ところどころに、躓いた跡。
なりふり構わず進む、そんな足跡に見えた。
洞窟の中からは、湿った岩の匂いと、押し殺したような、重い、重い沈黙が漂ってくる。
(……奥から、とてつもない殺気がでてる…………バグがでるか、納品完了か……)
その時、暗闇の奥で、カチリと硬質な金属音が響いた。
「……何者だい!」
暗闇を切り裂いたのは、鋭利な刃物のような、凛とした女の声だった。
その後ろには、けがをした、老婆がいた。
「……そこから一歩でも動いてみな。……その汚いお前の喉笛、今すぐ掻き切ってやるよ!」
「お母さん……? お母さんなの!?」
はじめの背後から、ルナが震える声を上げた。
だが、その再会の呼びかけに、女の殺気は消えるどころか、さらに跳ね上がった。
「ルナ!? ……あんた、なんでそんな人間と一緒にいるんだい! まさか、人質に……っ!」
女の誤解は、ダークエルフとしての本能的な種族嫌悪と重なり、爆発的な敵意へと変わる。
「……その子に触るんじゃないよ、ドブネズミ! 娘を返せ!!」
一触即発。女が老婆を隠しながら、死なばもろともと特攻を仕掛けようとしたその時。
はじめの服の裾をぎゅっと掴み、小さな影が前に出た。
「……待って! その人は、悪い人じゃないの……っ!」
琥珀だった。
震える足で女の正面に立ち、泥だらけの小さな手を広げてはじめを庇う。
「はじめは、ルナを助けてくれたんだよ! 琥珀も、りりも……みんな、はじめに救ってもらったの! お願い、はじめを傷つけないで……っ!」
暗闇の中で、女の短剣がわずかに揺れた。
(……獣人の、子供? ……なんで……)
女の鋭い瞳に、困惑のログが走る。
はじめは、その「拒絶」に僅かな隙間ができたのを、静かに見守っていた。
(……あー。……。……助かるぜ、琥珀……俺じゃあ、一生アクセス拒否……。されるところだった……!!)
女は鋭い瞳で琥珀を見つめ、次にはじめを、そしてその背後のルナを凝視した。
「……チッ、…………そういうこと、なのかい」
女は短剣を鞘に叩き込む。奥にいた老婆を庇うように広げていた肩の力を、ふっと抜いた。
その瞬間、ルナが弾かれたように駆け出す。
「おかあさーーんっ!!」
泥と涙でぐちゃぐちゃになった顔で、ルナは女の胸に思い切り飛び込んだ。
勢い余って二人して後ろの岩壁にぶつかりそうになりながらも、女は大きな腕で、折れそうなほど細い娘の体を力いっぱい抱きしめた。
「……バカ! ……急に飛びつくんじゃないよ…………あんた、生きてたんだねぇ……ッ!!」
少し低くて力強い声が、ルナの背中を叩く。
ルナは女の服を掴み、堰を切ったように泣きじゃくった。
家が燃えたこと、お母さんが死んだと思ってたこと、トールへの恐怖。そのすべてが、母親の温もりという「安心」に上書きされていく。
はじめは、その光景から目を逸らすように、少し離れた洞窟の入り口付近に腰を下ろした。
(……とりあえず『納品成功』……ってところか……)
「りり!」
「はぃ!」
「うしろのばあさん。けがしてる。直してやってくれ!」
「はじめ様。わかったよぉ!」
りりが老婆のそばへ駆け寄り、柔らかな光を放ちながら治療を始める。
その光に照らされて、洞窟の奥で娘を抱きしめていた女が、ゆっくりと顔を上げた。
汗と煤に汚れながらも、その瞳にはまだ鋭い戦士の光が宿っている。
「……おい。……あんた」
「……あー。……なんだ」
はじめは入り口を向いたまま、視線だけを女に向けた。
「悪かったね……人質だなんて疑っちまって……」
女はルナの頭を一度だけ力強く撫でると、立ち上がり、はじめに向き直った。
不器用だが、真っ直ぐな謝罪。芯のある声が洞窟に響く。
「……あたしは……『レイラ』だ。……この森の不器用な……ダークエルフの……。……生き残りだよ……!!」
はじめは少しだけ目を見開き、それから面倒そうに頭を掻いた。
「あー。……レイラ、か。覚えたよ……。俺は、はじめ。……ただの巻き込まれ屋だ……」
「ぷっ!巻き込まれ屋って、どんな職業なんだよ!」
「まあ、いいさ。あんたが娘を救ってくれた。『恩人』だってことは信じてやるよ……!!」
レイラが不敵に笑う。
その笑顔には、死線を越えてきた者だけが持つ、がさつで清々しい「強さ」があった。




