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第五十六話:報告ですか?誰も聞いてません

スズメバチ城の巨大な城門が見えた瞬間、はじめの膝はついに「運用限界」を迎えた。


「……あー。……見えた。……。……やっと、……。……帰還ログが……書き込める……。……。……。もう、……。……一歩も、……一ピクセルも、……動きたくないですよぉ……!!」


 斑猫ハンミョウから這いずるように降り、重傷の辺境伯を背負い直すはじめ。その背中で、辺境伯が掠れた福山ボイスで「すまない……はじめ……」と呟くたびに、はじめの腰には物理的なデバッグ負荷(重み)がのしかかる。


 だが、一行が城門をくぐろうとした、その時。

 本来なら執務室にいるはずの「白銀の女王」が、武装した近衛兵たちを従え、仁王立ちでそこにいた。

 白銀の羽を静かに休め、腰の細剣に手をかけたまま、微動だにせず門を見据えるその姿。近衛兵たちが息を呑むほどの静寂を纏い、彼女はそこに「君臨」していた。


「…………遅い。遅すぎるぞ、アルト。はじめ」


 低く、地を這うような、それでいて鈴を振るような透明感のある声。

 ヴェスパは一歩、踏み出した。その双眸は、鋭い針のように真っ直ぐ、帰還した一行を射抜く。


「……陛下!? なぜこのような場所に。執務室でのバックグラウンド処理に専念されるはずでは?」

 アルトが眼鏡を直し、眉をひそめて問いかける。


「……ふん。わらわの勝手だ。……。辺境伯という我が国の重要な『基幹システム』が損なわれたのだ。……その、……安否を、……。……一刻も早く、……この目で、……スキャンせねば……気が済まぬからな……!」


 ヴェスパは言葉を切り、ボロボロになった辺境伯へと視線を送る。……が、その視線はコンマ数秒、まるで読み込みエラーでも起こしたかのように素通りし、隣で脂汗を流して膝をついている「五十八歳の社畜はじめ」に、ぐい、と固定された。


「……はじめ。……。……貴様……。……。……無事か? ……どこか、……修復不可能なダメージ(怪我)は受けておらぬな……?」


 声が、わずかに震えている。

 威厳という名の防火壁ファイアウォールを突き破って漏れ出した、剥き出しの懸念。


(……あー。……。……女王様、……。……。……辺境伯さん、……今、視界から完全にデリートされてませんでした……!? ……。……優先順位、……。……絶対におかしいですよぉぉ……!!)


 はじめは、辺境伯を背負ったまま、ヴェスパの「心配30%:はじめへの執着70%」というバグ塗れの視線に晒され、胃を押さえて深く、深く溜息をつくのだった。


門前で繰り広げられたヴェスパの「はじめ専用スキャン」により、本来あるべき儀礼プロトコルは一瞬でゴミ箱へと放り込まれた。

 重傷の辺境伯が救護班の担架で医務室へと運ばれていくのを見送る間もなく、ヴェスパが翻したマントの風がはじめの頬を打つ。


「アルト! 細かい手続きなど後回しだ。……謁見の間へ向かうぞ。はじめ、貴様もだ。わらわの隣に来い」


「……あー。……。……女王様。……。……僕、今、……五十八年分の疲労が……足腰にキてまして……。……。……できれば、……控え室の……パイプ椅子で、……三時間くらい……放置してほしいんですけどぉぉ……!!」


 はじめの切実なデバッグ(休憩)申請は、女王の放つ圧倒的な威圧感ログによって無慈悲に却下された。

 ヴェスパは当然のように、はじめの右隣を陣取って歩き出す。その足取りは、まるで獲物を確保した猛禽類のような確信に満ちていた。


「ふん。……。……。……。……。……、……。

……まぁ、……死なずに戻ったことだけは、……。……評価してやらんでもないぞ……」


 正面を見据えたまま、白銀の羽を微かに震わせて囁くヴェスパ。だが、その反対側――はじめの左隣には、猛烈な勢いで割り込んできた影があった。


「ちょっと! 自然な流れで横をキープしてんじゃないわよ、この独り身年増女王! はじめ様が一番頼りにしてるのは、命懸けで一緒に戦った、このわたくしに決まってるでしょ!」


「……。……ベアトさん。……。……『独り身年増女王』って、……。……その単語、……コンプラ以前に、……。……この国の……法律(仕様)に、……消去デリートされかねない……。……超重量級の暴言ですよぉぉ……!!」


 ベアトの辛辣な嫌味とはじめの悲鳴が廊下に響き渡る中、その後ろを歩くりりは、俯き加減でボソボソと小さな声を漏らしていた。


「……なんで。……。……。……。

……あんなに、……はじめさんと、……。……一緒に、……。……頑張ったのに。……。……。……なんで……。……皆、……。……あんなに……。……近いんですか……」


(……あー。……りりちゃん。……。……その『呪いのログ』みたいな……。……小声の嫉妬、……。……一番、……。……。……心臓に……。……悪いんですけどぉぉ……!!)


 背後から漂うドロリとした空気感に、はじめが胃を押さえて千鳥足になる。

 そんな修羅場の最前線で、琥珀だけが、はじめの裾をぐいぐいと引っ張りながら、キラキラした瞳で空を仰いだ。


「はじめ様ー! 琥珀、お腹空いちゃった! あのね、お城の美味しいご飯、たくさん食べたいな! えへへ!」


「……。……。……。……琥珀ちゃん。……。……君の、……。……その、……。……圧倒的な……。……『通常運転』に、……。……。……おじいちゃん、……。涙が……。……出そうだよぉぉ……!!」


 アルトが先頭で「……非効率極まりない」と冷たく吐き捨て、その後に続く、複雑にバグった感情の行列。

 一行は、かつてないほどに「渋滞」した空気のまま、重厚な謁見の間の扉へと吸い込まれていった。


一行を引き連れたまま、ヴェスパは玉座へと続く階段を一気に駆け上がった。

 本来なら謁見の列に加わるべきはずが、ギリギリまで「はじめのパーソナルスペース」を侵害し続け、最後にようやく女王の座へと収まる。


「アルト! もったいぶるな。……事の顛末、すべて報告せよ!」


 玉座に深く腰掛け、足を組み直すヴェスパ。その鋭い眼差しはアルトに向けられている……ようでいて、その実、一ミリも動かずに隣のはじめを視界の端で「常駐監視」している。


「……。……承知いたしました。陛下、ならびに皆様、ご報告申し上げます」


 アルトが冷徹に、一分の隙もない動作で一礼した。

 彼が語り出すのは、ムカデ辺境伯城での「仕様外の事態」――ミラーの罠、そしてゼロという名の「虚無」との遭遇。


 そんな緊張感溢れる報告の最中。

 はじめの足元にちょこんと座った琥珀の前には、いつの間にか運ばれてきた「最高級の蜜菓子」が山盛りになっていた。


「わぁーい! お城のケーキ、すっごく美味しい! えへへ、はじめ様、これ、キラキラしてるよ!」


(……あー。……。琥珀ちゃん。……。……。

……今、アルトさんが……。……『全滅の危機だった』っていう、……。……。最悪なバグ報告してる最中……。……なんだけどぉぉ!! ……その、……。……『サクサクッ』っていう……。……。軽快な咀嚼音、……。……。気になって、緊張感が……。……。秒でデリート……。……。……されていくんですけどぉぉぉ!!)


 はじめは、右隣のヴェスパからの熱視線と、左隣のベアトからの「まだ女王と目が合ってるじゃない!」という無言の肘打ち、そして背後から漂うりりの「じーーっ……」という嫉妬のログに挟まれながら、琥珀の食べるお菓子の甘い匂いに、胃をキリキリと鳴らすのだった。



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