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第五十五話:脱出です。誰もいません

「……もういいや。……。……ミラーも消えたし。……。……これ以上……つきあってらんない。……。……。……お前ら……勝手に……探せば……」


 ゼロもまた、戦うどころか、はじめに「死ぬぞ」と言い残すことすら面倒になったのか、そのままズルリと闇に沈んで消えてしまった。


「……。……え。……。……行っちゃった……。……僕の……。……命がけの商談はったり、……『飽きたから解散』、……ですかぁぁ!!」


 はじめの叫びが虚しく響く。だが、アルトは既に走り出していた。

「……はじめ様、迷っている暇はありません! 本物のログを追います!」


 一行は城の地下へと駆け下りた。

最下層の、湿った冷気が漂う牢獄。その奥、鎖に繋がれた男を見つけた瞬間、りりが悲鳴のような声を上げた。


「おじ様……!!」


 そこにいたのは、本物の辺境伯だった。

 だが、その状態は凄惨だった。ゼロの拷問を受けたのか、手足の数箇所が不自然に白く凍りつき、壊疽えそを起こしかけて黒ずんでいる。


「そんな……嘘……! お願い、治って……! 【ヒール】!!」


 りりは辺境伯の足元に膝をつくと、なりふり構わず両手をかざした。

 淡い、春の木漏れ日のような光が辺境伯を包み込む。りりの必死な祈りに応えるように光は明滅するが、どす黒く変色した凍傷の箇所は、まるで頑固なバグのようにその肉体に居座り続けていた。


「……あ、あれ……? ……そんな……。……お願い、もっと……! 【ヒール】! 【ヒール】!!」


 何度も魔法を重ねるりり。額からは大粒の汗が流れ、その小さな肩が激しく上下していた。だが、光が消えた後に残ったのは、わずかに霜が溶け、痛みが和らいだ程度の、痛々しい足のままだった。


「……。……りりさん、……。……もう、十分ですよ。……。……それ以上は、……。……あなたの魔力が、……。……パンクしちゃいます……」


 はじめが横から、りりの震える手をそっと抑えた。

 はじめは、そのまま恐る恐る、辺境伯の手に触れた。


「……。……本当に、……。……ほんもの……ですよね……? ……。……また、……。……変な声で喋る、……。……偽物……じゃないですよねぇ……?」


「……。……はじめ……か。……。……すまない、……。……。情けないところを……見せたな……」


 辺境伯の、冷たくも「生きた熱」を微かに宿した手の感触。

 そこから漂う、使い込まれたオフィスのような、疲れ切った、けれど確かな「人間の匂い(加齢臭)」を感じて、はじめの目からようやく大粒の涙がこぼれ落ちた。


「……。……よかった。……。……本当に、……。……よかったぁぁぁ……!!」


 はじめが腰を抜かして泣きじゃくっていると、背後からカツン、と力強い足音が響いた。


「ちょっと、はじめ様! いつまで座り込んでるんですの! 辺境伯様を早く安全な場所へ運ばなくてはなりませんわ!」


 ベアトが、いつもの不遜な態度で、だがその瞳に隠しきれない安堵を浮かべて叱り飛ばした。彼女は腰の剣を強く握り直し、牢獄の入り口を背にして立つ。


「……ベアト様、。……。……腰、抜けてるんですから……無理言わないでくださいよぉ……」


「ふんっ! 泣くのは後ですわ。……りり、顔を上げなさい。あなたの魔法があったから、辺境伯様は今、呼吸を繋いでいられるのです。……ここからは、わたくしの剣が道を切り拓きますわ!」


 ベアトの凛とした声に、りりが涙を拭い、小さく頷く。

 すると、一行の影から、金色の毛並みを揺らして琥珀が音もなく前に出た。


「……。はじめ様、泣いてる暇はないよっ。……上から、何かの足音が聞こえるよ。……いこっ」


 琥珀がはじめの裾をぐいっと引っ張り、キラキラした瞳で上を指差す。その純粋な励ましに、はじめも「あー、。……。おじいちゃん、頑張っちゃいますよぉぉ!!」と、変なスイッチが入って辺境伯を背負い直した。


 アルトが先導し、ベアトが剣を構え、琥珀が警戒しながら、不気味なほど静まり返った城内を駆け上がる。

螺旋階段を駆け上がり、ようやく冷たい月明かりが差し込む城の外へと飛び出した一行。だが、そこで彼らを待ち受けていたのは、想定していた激戦ではなかった。


「…………え?」


 はじめが呆然と声を漏らす。

 城門の前に広がっていたのは、静寂。そして、かつてバグ兵やアンデッドの軍勢だった「物言わぬ残骸」が、幾重にも積み上げられた異様な光景だった。


 血の一滴すら流れていない。争った形跡も、魔法の残滓もない。

 ただ、そこに存在していたはずの「敵」というデータだけが、一瞬で、かつ精密に消去デリートされたかのような、完璧すぎるほどの「無」。


 夜風に乗って漂うのは、戦場の臭いではなく、ただ少しの潮の香りと、不自然なまでに清潔で無機質な空気だけ。


「……あー、。……誰も、……いない。……。……。っていうか、……何が起きたんですか、……これ……」


 ベアトが剣を構えたまま固まり、アルトが眼鏡を押し上げ、周囲のログを必死に解析しようとする。だが、そこには痕跡すら残っていない。


 はじめは、背筋を駆け上がる正体不明の悪寒に身を震わせた。

 姿も見せず、音も立てず、ただ「敵」というプロセスだけを強制終了させて消える、不可視の刃。


「……。……。……怖ぇぇよぉぉ!! ……。……何かわからないけど、……。……味方なんですよね?……。……誰かわかりませんが、味方で本当によかったと、……。……。……心から、……。……思いますよぉぉぉ!!」


 はじめの叫びは、あまりに完璧に「お掃除」された戦場の静寂に、虚しく吸い込まれていった。


(……はじめが「味方でよかったと心から思いますよぉぉ!!」と叫んだ、その直後)


 静まり返った戦場の影、一行の視線が届かない瓦礫の隙間で、十本のしなやかな「何か」が、するりと闇に吸い込まれていく。


「ふふふ……。はじめさん。先にお帰りして、お布団の準備、しておいて差し上げますねぇ。……ふふ、あんなに叫んで……本当にお疲れさまですこと」


 鈴を転がすような、慈愛に満ちた囁き。

 それは夜風に混じり、誰の耳に届くこともなく、ただ優しく闇の中に溶けて消えた。


「………。……え、今の、なに? 」

 はじめが周囲をキョロキョロと見渡すが、そこには月光に照らされた死体の山があるだけだ。


「……はじめ様、何を呆けているのですか。……一刻も早く、。……この方を搬送しなければなりません」

 アルトの厳しい声に引き戻される。

 はじめの背中には、凍傷で意識が朦朧とし、時折苦しげな吐息を漏らす辺境伯の重みがのしかかっている。


「……あー、。……。分かってますよ……! ……琥珀! ……斑猫はんみょうさん、。……呼んでくれる!?」

「うん、まかせて! ……。……おーい、。はんみょうさーん! ……。……こっちだよー!」


 琥珀が夜空に向かって力いっぱい手を振ると、雲を割って、巨大な斑猫が羽音を響かせながら降下してきた。

 一行は慎重に、だが迅速に、重症の辺境伯を斑猫の背へと運び上げる。


「……。……ベアト様、。……しっかり支えててくださいね。……。……アルトさんは、……。……脈拍のログ、……。……。……監視し続けてください……!!」


 斑猫が力強く羽ばたき、呪われた城が遠ざかっていく。

 はじめは、背中で微かに震える辺境伯の体温を感じながら、遠くに見えるスズメバチ城の灯りを見つめた。


(……あー、。……。……お布団。……。……。……。……ふかふかの、……。……。……。……お布団で、……。……。……。……。……一万年くらい、……。……寝たいです……!!)


 はじめの切実な願いを乗せて、斑猫は夜の帳を切り裂き、拠点へと急ぐのだった。



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