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第五十四話:ゼロです。我慢できません

床に転がされた辺境伯と、その隣でワイングラスを揺らすミラー。はじめが言葉を失っていると、ミラーは思い出したように指をパチンと鳴らした。


「ああ、ごめんごめん。一人じゃ寂しいよね。……もう一つの『可能性』もレンダリングしてあげよう」


 ミラーが指を鳴らした瞬間、部屋の反対側の影から、全く同じ椅子、全く同じ拘束具、そして全く同じ顔をした「もう一人の辺境伯」が、スライドするように現れた。


「なっ……!?」

「おじ様が……二人……!?」


 りりが驚愕の声を上げる。はじめは目を皿のようにして二人を見比べた。右の辺境伯、ほくろは右。左の辺境伯、ほくろは……こちらも右。


「……あー、。……。……ミラーさん。……。……これ、コピペミスですか? ……どっちも同じデータなんですけどぉぉ!!」


「ははは、仕様だよ。……さあ、はじめくん。指を差して? 『偽物だ』と思う方を指差した瞬間に……彼が、そのデータを『0』にしてくれるから」


 ミラーの視線の先、壁の影からズルリと、一人の男が這い出してきた。

 ヨレヨレの外套を羽織り、カサカサと蛾の羽を乾いた音で鳴らす、少年のように美しい青年――【冷徹な零】ゼロ。


「……やれやれ……。……めんどくせぇ……。……俺、……寝てたのに……」


 ゼロは、消え入りそうな低い囁き声でボヤくと、濁った琥珀色の瞳ではじめを射抜いた。その視線が触れた瞬間、はじめの思考ルーチンが、極低温の冷気に晒されたように凍りつく。


(……あー。……。……なんだ、この人。……立ってるだけで、OSがフリーズしそうな殺気なんですけどぉぉ……!!)


「あ、そうだ。言い忘れてた」

 ミラーが、とろけるような笑顔で付け加える。


「相談は禁止だよ。アルトくんもりりくんも、一言でもアドバイスしたら……その瞬間に、二人とも消去デリートしちゃうからね。……さあ、はじめくん。一人で考えて、一人で選んで? 君が指を差すまで、この『処理停止フリーズ』は解けないよ」


 ミラーの宣告と共に、部屋の空気がピキリと凍りついた。

 はじめは、震える指先を見つめ、胃の底からせり上がる絶望感に、ボヤくことさえ許されない孤独な戦いを強いられるのだった。


はじめは、震える膝を必死に押さえつけながら、冷たい空気に支配された晩餐会の席上で、スッと右手を挙げた。


「……あー、。……。……。……ミラーさん。……。……ひとつ、提案……というか、質問させてください」


「ん? なあに、はじめくん。指を差す前に遺言でも残したいのかな?」

 ミラーがワイングラスを揺らしながら、心底楽しそうに首を傾げる。


「いえ……この『デバッグ』、……。……入力値(質問)なしで結果を出せっていうのは、……さすがににずるくないですか。……十分もいらないですよ。……。……五分(三〇〇秒)あれば、……。……追加の仕様確認をさせてください」


 はじめは、胃の中のものが逆流しそうなのを堪えながら、必死の「はったり」をかました。


「ここにいる二人の辺境伯さんへの質問、……。……それと、……仕様の管理者であるあなた、……ミラーさんへの質問。……。……これを許可してくれませんか」


「……。……あー……。はじめ……お前……。……無駄なことを……。……やれやれ……。……めんどくせぇ……」

 壁際でゼロが、カサリ、と蛾の羽を鳴らし、消え入りそうな声で呟く。はじめはその視線から逃げるように、一気にまくし立てた。


「……あ、……。……ついでに、そこのやる気ゼロのゼロさんにも……」


「――それはダメ」


 ミラーが、氷のように冷たい笑顔で言葉を遮った。


「ゼロくんは……。……あー、なんて言えばいいのかな。……あまりにも『無垢ピュア』すぎて、君みたいな狡賢い大人の質問に答えるのは向いてないんだ。……。……彼への質問は却下。……でも、……。……そうだね。……僕と、……二人の辺境伯への質問ならいいよ。……それに、時間も僕が終わりって言うまでいいよ。……。……どうせ、……何を聴いたところで、……正解データは変わらないからね。……ふふふ」


 ミラーは、自分が作り上げた「二人の同一データ」に絶対の自信があるのか、優雅に座り直して許可を出した。


(……あー、。……。……。勝った。……。……。……。

いや、……負けてるけど、……。……突破口の……バグの一つくらいは、……。……見つけてやりますよぉぉぉ!!)


 はじめは、内心で冷や汗を滝のように流しながら、まずは椅子に拘束された「二人の辺境伯」へと向き直った。


「相談は禁止」という非情なルールの下、はじめは孤独なデバッグ作業――という名のはったり合戦に打って出た。


「……あー、。ええと、では。まずは右の辺境伯さん。……質問です。昨日の……そう、夕食に出たスープ。……スプーンですくった回数は何回ですか?」

「……な、何を言っているんだ、はじめ! そんなことより早く助け――」

「はい、回答拒否。……。じゃあ、左の辺境伯さん。今の右の人の回答を聞いて、心拍数はいくつ上がりましたか?」

「ふざけるな! 私は本物だと言って――」


 はじめは、震える手でメモを取るフリをしながら、ミラーをチラリと見た。ミラーは脚を組み、はじめが追い詰められていく様を、まるで極上の喜劇でも観るかのように楽しんでいる。


「……あー、。ミラーさん。今、右の人が一ミリだけ左眉を動かしましたけど。……これ、エミュレートの誤差ですか? それとも仕様ですか?」

「ふふふ。どうかな? 君が自分で確かめるのが、このゲームの醍醐味だよ」


「……あー、。そうですか。……じゃあ、右の辺境伯さん。……。……。……一番好きな素数は何ですか?……。……。あ、左の辺境伯さん、それを逆から数えると何になりますか?……。……」


 はじめは、あえて「正解」とは一ミリも関係のない、演算リソースを無駄に食うだけのクソ質問を、弾幕のように浴びせ続けた。

 はじめの顔は脂汗でベトベトになり、膝は生まれたての小鹿のようにガクガクと震えている。


(……あー。……。耐えろ、僕。……。……ミラーは喜んでる。……。でも、……。……あの『やる気ゼロ』の人は、……。……そろそろ限界のはずだ……!!)


 その時。

 壁際で、カサリ……と、蛾の羽が苛立たしげに鳴った。

 ゼロが、濁った琥珀色の瞳で、天を仰いでいた。


「……あー……はじめ……お前……。……いつまで……やってんだよ……。……。……聞いてるだけで……神経が……摩痺する………。……どっちでも同じなんだから……早く指差せよ……。……めんどくせぇ……」


「――ゼロくん……質問はここまでだ。さあ、答えて」

 ミラーの声が、一瞬で温度を失った。


 その凍りついた静寂を、はじめの乾いた声が切り裂いた。


「……あー、。……。ミラーさん。……。……指、差さなくていいですよね。……。だってこれ、……。……。……両方、偽物ゴミデータなんですからぁぁぁ!!」


 はじめが絶叫に近い声で言い放つ。ミラーの眉が、ピクリと動いた。


「……ほう。……。根拠は?」


「……根拠もクソも……。……。さっき、そこのやる気ゼロの人が言ったじゃないですか。……。……『どっちでも同じだ』って。……。……もし片方が本物なら、……『どっちでもいい』なんて、執行人が口にするはずがないんですよ。……。……面倒くさがりの彼が、……。……『どっちを消しても結果(ミラーの目的)は変わらない』って白状したようなもんです。……アンタの作った『完璧なコピー』は、……。……隣にいた『やる気のない部下』のせいで、……。……致命的な情報漏洩バグを起こしてたんですよぉぉ!!」


「……。……あー……。はじめ……お前……。……余計な……。……。……めんどくせぇ……」

 ゼロが心底嫌そうに顔を背ける。


「……はい、そこまで。……。……。……。……あーあ。……。……。……。……。全部台無しだ」


 ミラーが溜息をつき、指をパチンと鳴らす。すると、二人の辺境伯がノイズを立てて霧のように消散した。

 ミラーは立ち上がり、心底興ざめしたという顔ではじめを一瞥した。


「ゼロくんがそんなにやる気ないんじゃ、これ以上ゲームを維持するコストが無駄だね。……。……。……。あとは任せたよ、ゼロくん」


 光の中に溶けるように、ミラーが消える。

 後に残されたのは、はじめたちと、やる気の欠片もないゼロだけだった。


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