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第五十三話:ミラーです。性格最悪です

崖を降り、影を縫うようにして城壁の死角へ。アルトを先頭に、はじめたちはムカデ辺境伯城の西側に位置する、古びた通用口へとたどり着いた。


「……いいですか。ここからは一切の音を立てないでください。私の歩幅に完璧に同期シンクロするのです。……1ミリのノイズも許されません」


 アルトが極低温の声で指示を出す。はじめは、心臓の鼓動が相手に漏れるんじゃないかという恐怖で息を止め、抜き足差し足で通用口の重い鉄扉に手をかけた。


(……あー。……胃が痛い。……吐きそう。

なんで五十八歳の定年間際のSEが、……深夜のオフィスに無断侵入する泥棒みたいな真似を、……異世界で味わわなきゃいけないんですかぁぁ……!!)


 はじめが震える指先で、扉を数ミリ、音を立てずに開けようとした、その時。

 どこからともなく、耳の奥を撫でるような、透き通るほどに甘く、人を食ったような声が降ってきた。


「――はははは。はじめくん、……だったっけ? ようこそ、僕の城へ。歓迎するよ」


 その声が響いた瞬間、はじめの動きが物理的にフリーズした。


「…………。…………。……アルトさん。……。……。……ばれてる。……ばれてるじゃないですかぁぁ!!」


 はじめは、開けかけた扉に頭を押し付け、情けない声を漏らした。


「……何が『同期』ですか! 何が『一ミリのノイズも許さない』ですか!! 向こう、……スピーカー全開で僕らの名前、呼んでますよ!! 招待状どころか、ウェルカムドリンクまで用意してそうな勢いですよ!! 僕らの今の『抜き足差し足』、……ただの不審者ダンスだったってことですかぁぁ!!」


 はじめの全力のボヤきが響き渡る中、ベアトがこれ以上ないほど「ふんっ」と鼻を鳴らし、堂々と一歩前に出た。


「ちょっと! ばれてるなら、こそこそするだけ時間の無駄じゃない! こうなったら堂々と進むべきですわぁ~!!」


 ベアトは腰の剣に手をかけ、まるでレッドカーペットでも歩くかのような不遜な態度で、半開きの鉄扉を蹴破らんばかりの勢いで開け放った。


「そうよ、はじめ様! 迎えに来てくれるっていうなら、おもてなしの一つでも用意させなさいよ! りりだって、お腹が空いて戦えないわ!」


「……。……ベアト様、開き直りすぎです。……。……りりさんも、……これ、ピクニックに来たわけじゃないんですよぉ……」


 はじめが天を仰ぐ横で、アルトは眼鏡をクイと指で押し上げ、感情をデリートした声で呟いた。


「……なるほど。……。……『ほくろ』の違和感を敢えて残し、我々をここへ誘導した。……私の論理を逆手に取った、悪趣味なトラップというわけですか。……仕方ありませんね。これ以上の『隠密ごっこ』は非効率です。……行きましょう。正面から、バグの根源を叩き潰します」


「……あー、。……。……。……。

これ、……完全に『詰んで』ない……?

……逃げ道、……完全に消去デリートされてない……?」


 はじめは、不気味に輝く城の深淵へと続く廊下を見つめながら、これから始まるであろう「地獄の残業」を予感して、深い、深い溜息を吐くのだった。


ベアトが蹴破るようにして開けた扉の先には、おどろおどろしい伏兵も、降り注ぐ矢の雨もなかった。

 ただ、不自然なほどに磨き上げられた廊下が、不気味な静寂を湛えて奥へと続いている。


「……あー、。……。……。……なにこれ。……誰もいない。……。……逆に怖いんですけどぉぉ!!」


 はじめが腰を引かせながら一歩踏み出すと、足元の床に、場違いなほどポップな筆致で書かれたプレートが設置されていた。


『はじめご一行様。矢印に沿ってお進みください。ショートカットやデバッグ作業はご遠慮願います♪』


 その横には、デカデカと「城の奥」を指し示す、これまた親切すぎるほどに明るい配色の矢印。


「……。……。……アルトさん。……。……見てくださいよ、あの看板。……『デバッグ作業はご遠慮願います』って、……。……完全に僕に対する嫌がらせですよね!? ピンポイントで僕の職能スキルを封じに来てますよね!! 案内付きの潜入なんて、……。……そんなの潜入とは言わないんですよ! これ、ただの『強制イベント』のレールに乗せられてるだけですよぉぉ!!」


「……。……無駄口を叩く余裕があるなら、進みましょう。……相手の用意したパス(道)に乗るのは癪ですが、……ここで立ち止まっていてもログは進みません」


 アルトが冷淡に言い放ち、堂々とした足取りで矢印の方向へ歩き出す。ベアトもりりも、もはや警戒心よりも「早くあの声の主をブチのめしたい」という勢いで後に続く。


「……あー、。……。……ちょっと、……。……みんな、……。……不用心すぎませんかぁ!? 罠だったらどうするんですか! 落とし穴とか、……。……上からたらいが落ちてくるとか、……。……そういう古典的な嫌がらせを……。……。……あ、あああああ!! 待って!! 一人にしないでぇぇ!!」


 はじめは、取り残される恐怖に負けて、半泣きで千鳥足のまま一行を追いかけた。


 案内板に従い、不気味なほど清潔な廊下を曲がるたびに、新たな矢印が現れる。

 それは、まるではじめたちを嘲笑うかのように、城の最も深い場所へと誘導していた。

 やがて、一行は突き当たりにある、一際重厚な装飾が施された両開きの扉の前にたどり着いた。


 そこには、トドメと言わんばかりの看板がぶら下がっていた。


『こちらにお入りください。本日のメインディッシュをご用意してお待ちしております』


「……。……。……あー、。……。……。……。

メインディッシュって……。……。……。

……。……。……。……食われるのは、……僕らですか? ……。……。……僕の肉なんて、……五十八年分のストレスが凝縮されて、……。……。……めちゃくちゃ苦いですよ!? ……。……エンジニアの脂身なんて、……。……不健康すぎて、……。……ミラーさんの胃にも悪いですよぉぉ!!」


「……。……はじめ様、静かに。……。……。

……。……ここから、……バグの本質が……顔を出します」


 アルトが冷たくそう告げ、扉に手をかけた。

 はじめは、胃を雑巾のように絞り上げられるような緊張感の中、りりの肩をぎゅっと掴んで、震える足で扉が開くのを見守った。


 ギィ、と。

 重厚な音が響き、扉がゆっくりと内側へ吸い込まれていく。

 その先、部屋の中に一同が足を踏み入れると――。


扉の向こう側、贅を尽くした晩餐会の主賓席。

 真っ白なコートを羽織った青年――ミラーは、まるで旧友を招き入れたかのような、心底楽しそうな笑顔を浮かべた。


「やあ、改めて、ようこそ。……僕の用意した、スペシャルな『ゲーム会場』へ。……はじめくん、それに、可愛らしいお連れの皆さんも」


(……あー。……出たよ。……。

……なんですか、その『運営からの大事なお知らせ』みたいな、透き通った声は。……。

……『ゲーム会場』って、……。……僕、今日はもう、コントローラー握る指の力も、残ってないんですけどぉぉ……!!)


 はじめが心の中で膝から崩れ落ちていると、ミラーは優雅に椅子から立ち上がり、胸に手を当てて一礼した。


「自己紹介が遅れたね。僕はミラー。……【終末の八柱オクタ・エラー】の一人。……【歪んだ鏡】のミラーさ。……この世界を、より『美しく、正しく』整理整頓するために派遣された、いわば『新仕様の管理者』かな」


「……オクタ・エラー……。……。……新仕様、だと……?」

 アルトが低く呟き、一歩前に出る。だが、それを遮るように、テーブルに拘束されていた辺境伯の、重厚でどこか聞き覚えのある声が部屋中に響き渡った。


「――来るな! はじめ! 逃げろ……っ! これは、君をおびき寄せるための……!!」


「……あ、辺境伯さん! 無事……!? 無事なんですか、その、不自然なくらい渋くて格好いい声はぁぁ!!」


 はじめが思わず駆け寄ろうとした、その時。


「――うるさいなぁ。……僕が、楽しく自己紹介してるんだから、邪魔しないでよ」


 ドゴッ、と。

 鈍い音と共に、ミラーの脚が、辺境伯の腹部を無造作に蹴り上げた。


「……ぐ、はっ……!!」


 椅子ごと床に転がる辺境伯。ミラーは、まるで汚れた靴を気にするかのように、ズボンの裾をパッパと払った。


(……あー。……。……。

……最低だ。……。……今の声、……『バグを強制終了させる時の、非情なシステム音』にそっくりですよ、ミラーさん。……。

……人の腹を、……リセットボタンみたいに蹴らないでくださいよぉぉぉ!!)


 はじめの頭の中では、真っ赤なエラーログが画面を埋め尽くしていた。

 ミラーは再び、とろけるような笑みをはじめに向けた。


「さぁ、ゲームを始めようか。……はじめくん。……君はエンジニアなんだろう? だったら、……『どちらが本物のデータか』、命懸けでデバッグして見せてよ」


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