第五話:正直者ですか?うそなんです
月明かりの下、街道沿いで火を囲む三人。 はじめは、アラクネの服の穴から入る夜風に身を震わせながら、震える声でリリに尋ねた。
「……リリさん。さっきのヒール、すごかったですね。あれ、どこで教わったんですか?」
リリは六本の脚をモゾモゾさせながら、俯いた。 「……教わってないんです。小さい頃、お母様が重い病気になった時、とにかく治したくて、神様にずっとずっとお願いしたんです。……そしたら、いつの間にか使えるようになってて」
「……独学(自己流)のパッチ、ですか」
「でも、本当のヒーラーさんみたいに怪我をピカピカに治すのは苦手で……。ババ様には『お前のはただの思い込みの力だ』って言われちゃうんです。えへへ」
はじめは、火を見つめるリリの横顔を見て、胸が少し痛んだ。 正規の手順を踏まず、ただ「助けたい」という情熱だけで、本来のアラクネには備わっていないはずの「ヒール」というコードを無理やり書き換えたのだ。
「……いや。十分ですよ。さっきの『対アンデッド無双』、あれはあなたにしかできなかった。素晴らしいデバッグでした」
「……お、おじさんに褒められたぁ……」 リリの顔が、火の光よりも赤くなる。 (なんだろう、胸がドキドキする……。これって、強敵と戦ってアドレナリンが出てるだけだよね? そうだよね、私!)
そんな二人を余所に、ゼノは焚き火の端っこで膝を抱えていた。
「……クソッ。俺は何もできなかった。ミツバチ領の誇りも、母上の教えも、あんなバグった連中には通用しなかった……」
「ゼノ様。落ち込むのは後回しにしましょう。まずはこの『リリ・無双・システム』を主軸に、どうやってスズメバチ王都まで辿り着くか、再構築(プラン立て)が必要です」
「……誰がリリ無双だ! 貴様、俺を差し置いて作戦を立てるな!」
焚き火のそばで、ゼノは剣の柄を力なく弄っていた。
「……はじめと言ったな。貴様は不思議そうな顔をしているが、私はこの領を継ぐことはない。この国は女王の国。……私は、妹が女王になるための『繋ぎ』、あるいは『道具』に過ぎないのだ」
「……仕様(社会構造)の問題ですか」
「そうだ。幼い頃は、自分が王になれると信じて武芸の真似事もしたが……。理論を学べば学ぶほど、この世界の理が私を拒絶していることがわかった。……だから私は、剣を捨て、理論で母上を支えようと決めたのだ。……妹が、安心して女王になれる世界を作るためにな」
ゼノは少しだけ目を細め、遠い空を見つめた。
「……だからこそ、母上をあんな目に遭わせたスズメバチ女王を、そして背後にいる侵略者を許せない。……俺の『理論』が間違っていないことを、証明してやる」
はじめは、アラクネの服の裾を直しながら、ゼノの横顔を見た。
「……いいんじゃないですか。現場(武力)が苦手なら、私と一緒に仕様策定(作戦立案)に徹しましょう。実装は、あそこにいる『超高火力』がやってくれますから」
「……誰が貴様と組むか! ……だが、まあ。その……効率の問題として、相談くらいはしてやってもいい」
スズメバチ王都の城下町、その巨大な門をくぐった瞬間、はじめは思わず目を見開いた。
そこには、ハニカム村の絶望が嘘のような、眩いばかりの「活気」が溢れていた。
色とりどりの屋台から漂うスパイスの香り。談笑しながら歩く昆虫人たちの穏やかな顔。子供たちの笑い声。
どこを見渡しても、ネットワークの遅延もなければ、データの破損(アンデッド化)も見当たらない。
「……なんだ、これ。さっきの村とは、OSのバージョンが違うのか?」
「フン、驚くこともあるまい。ここがこの国の心臓部、スズメバチ女王陛下が統治する絶対安全圏だ」
ゼノは誇らしげに胸を張るが、はじめの背筋には、ハニカム村とはまた別の「冷たい違和感」が走っていた。あまりにもライティングが完璧すぎる。出来の良すぎるレンダリング(CG)を見せられているような、落ち着かない感覚だ。
「わぁぁ……! おじさん、見てください! お店がいっぱいです!」
だが、そんな空気をお構いなしにぶち破ったのは、隣で六本の脚を跳ねさせているリリだった。
彼女は頬を赤らめ、はじめのボロボロの袖をぎゅっと掴んで上目遣いに見上げてくる。
「あの……おじさん。これから三人でお店を回るんですよね? これって……いわゆる、その、『でーと』っていうやつですか!? 私、甘露の村から出たことなかったから、こういうの、憧れてたんです!」
「いや、リリさん。これはデートじゃなくて、現状把握と……」
「いいから行きましょう! ほら、あそこに素敵なお洋服屋さんがありますよ!」
リリに引きずられるようにして入ったのは、高級そうな仕立て屋だった。
店内には、スズメバチの甲殻に似合う金糸の刺繍が入った服が並んでいる。はじめは、自分の「アラクネ服(穴だらけ)」と「痛風が治ったばかりの枯れた体」を鏡に映し、深く溜息をついた。
(……確かに、この『エラー箇所の塊』みたいな服装じゃ、城門まで辿り着く前に不審者ログに登録されて即BAN(逮捕)だな)
はじめは、店内で一番地味で丈夫そうなシャツとズボンを手に取り、ふと、もっとも根本的な「仕様」を思い出した。
「……あ。しまった」
「どうした、はじめ。急に突っ立って」
ゼノの冷ややかな声に、はじめは頬をひきつらせて振り返った。
「……ゼノ様。大変言い出しにくいのですが。私、この世界の『通貨』を、一リグも保持しておりません。……つまり、キャッシュがゼロです」
「はあ!? 貴様、一文無しでここまで来たのか! 脳に花でも湧いているのか?」
はじめは、58歳にして二十代の若者に「金がない」と告げる屈辱に耐えながら、うなだれた。
「……だって、**ここへ来た時はバスタオル一枚の、文字通りの全裸一貫(初期状態)でしたし。**退職金も振り込まれてないし……」
「……チッ、これだから現場育ちは。いいか、貸しにしておくからな。貴様のそのみすぼらしい格好を晒したまま歩かれるのは、私のプライドが許さん」
ゼノは忌々しげに舌打ちしながら、懐から金色の重厚なコイン――一万リグの価値を持つ金貨を取り出し、カウンターに叩きつけた。
「店主、この男に、最も目立たず、かつ『まともな人間』に見える上質な服を寄越せ。……あ、そこの浮かれている蜘蛛娘にも、何か動きやすいものを一着選べ。釣りはとっておけ」
「きゃあ! ゼノ様、ありがとうございます! おじさん、お揃いにしましょうね!」
「……お揃いというか、ユニフォーム(制服)みたいなもんだな……」
はじめは、ゼノの「嫌味なパトロン」っぷりに感謝しつつも、新しく新調した服に袖を通した。
だが、着替えたばかりの鏡の隅――店を出ていく客の一人が、一瞬だけ見せた「挙動」を、はじめの眼は見逃さなかった。
スズメバチ城の正門。そこは、巨大な針のような塔が天を突く、威圧感の塊だった。
門前に立つ二人の門番は、彫像のように動かない。だが、その複眼は冷徹に、はじめたち三人の姿をスキャンしていた。
ゼノが一歩前へ出る。その背中は、いつになく強張って見えた。
「……ミツバチ領主が子、ゼノである。ミツバチ女王陛下より、スズメバチ女王陛下へ急ぎお伝えしたき儀があり、使者として参った。門を開けよ」
凛とした声。だが、はじめの耳には、その声がわずかに震えているのが分かった。母を殺した怨敵の懐へ、あえて母の「生きた」名を使って潜り込もうとする矛盾。ゼノの胸中では今、どす黒い怒りと母の遺言が激しく衝突しているはずだ。
門番の一人が、感情の読めない声で応じた。
「ミツバチ女王の、使者……? 陛下は今、深い微睡の淵におられる。どなた様であっても、謁見は叶わぬ」
「そこをなんとか頼む。領内にて、説明のつかぬ怪異が起きておるのだ。これは我が領の……いや、この国全体の根幹に関わる事態だ」
必死に食い下がるゼノ。その時だった。
後ろに控えていたリリが、不思議そうに首を傾げ、小さな、けれど静かな場所ではよく通る声で呟いた。
「……あれ? おかしいな。女王様はもう、あんなに冷たくなって……」
はじめの心臓が跳ね上がった。
(……まずい! 致命的なシステムログの流出だ!)
「……何? 今、そこのアラクネは何と言った」
門番の視線が、鋭い針のようにリリへ向けられる。
「あ、あはははは! いやぁ、彼女、ちょっと寝不足でバグって……いや、混乱してましてね!」
はじめは反射的にリリの口を後ろからガバッと塞ぎ、これまで生きてきた中で一番の大声を出した。
「彼女が言いたいのは! 女王陛下が『冷たく』あしらわれるほど、ミツバチ領の事態は深刻だ、ということなんです! ほら、ミツバチは冬になると冷たくなって動けなくなるでしょう? それと同じくらい、領内がフリーズ……いや、冷え切って停止寸前なんです! ですからゼノ様は、一刻も早く、女王陛下の熱いご助力を仰ぎたいと……ね、ゼノ様!?」
はじめは必死にゼノに目配せを送る。脇汗が滝のように流れていた。
ゼノは一瞬、顔を引きつらせたが、すぐに冷徹な仮面を貼り直した。
「……左様。我が臣下の言う通りだ。ミツバチの民は、今や凍り付いたも同然。この危機を救えるのは、女王陛下、ただお一人なのだ」
門番たちは顔を見合わせた。長い、沈黙。
はじめは心の中で「通せ、通せ、アクセス許可をくれ……!」と、これまでの人生で一番必死な祈りを捧げた。
「……良かろう。ミツバチ領の危機とあらば、無下にはできぬ。だが、謁見が叶うかどうかは案内人の判断に委ねる。……入れ」
重厚な石の門が、地響きを立ててゆっくりと開き始めた。
「……ふぅ。……死ぬかと思った……」
はじめはリリを解放し、がっくりと膝をつきそうになった。
「むぐぐ……おじさん、苦しかったです……」
「すまん、リリさん。……だが、ここでは『真実』という名のウイルスが、俺たちを全滅させかねないんだ」
門の向こうに広がる、城内の深い闇。
はじめは、新調したばかりの服の襟を正した。ここから先は、もう引き返せない。本丸への強制ログインだ。




