第三話:それ水ですか?違うんですか
アリ車に揺られて到着した「ミツバチ子爵」の屋敷。 そこは六角形のテラスが並ぶ、いかにも高貴で洗練されたデザインの建物だった。はじめはアラクネのダボダボズボンを握りしめ、門衛の蜂兵士に詰め寄った。
「あー、すみません。ちょっとここの息子さんに、うちの村の女の子が拉致された件について、ログの確認(苦情)に来たんですけど」
「……あ? 何だ、この不審な人間は。帰れ。さもなくば刺すぞ」
門衛の槍が、はじめの喉元に突きつけられる。 普通の58歳ならここで腰を抜かす。だが、はじめは数々の「謝罪会見」や「無理難題を言うクライアント」を相手にしてきた歴戦の勇士(社畜)だ。
(……まともなアクセス権限じゃ通してくれない。なら、これしかないな)
はじめは思い切り息を吸い込み、屋敷全体に響き渡る声で叫んだ。
「みなさーん! 聞いてくださーい! ここの領主の息子さんが、村の女の子を誘拐しましたよー! 無理やり連れ去ってまーす! これ、コンプライアンス的にどうなんですかー!!」
「なっ……貴様、何を!!」
「誘拐だー! 現場の横暴だー! 責任者出せー!!」
はじめの捨て身の叫びに、門衛たちが真っ青になった。 このミツバチ領は、代々「村人想い」で知られる名門。領主の評判が落ちることは、何よりも避けなければならない。
「ちょ、ちょっと待て! 騒ぐな! わかった、話を聞くから中に入れ!」
門衛たちは、はじめの口を封じるようにして無理やり屋敷の中へ引きずり込んだ。
「ふふ、交渉成立(コネクト成功)ですね……」
ニヤリと笑ったはじめだったが、次の瞬間。
「……よし、とりあえず地下牢に入れておけ。話はそれからだ」 「え、ちょっと? ヒアリングは?」
ドサリ。 はじめは、ひんやりとした石造りの地下牢へと放り込まれた。
「おい! 監禁は仕様外ですよ! 独占禁止法とか……あ、ないですか、この世界」
鉄格子がガチャンと閉まる。 はじめは、アラクネのズボンの尻をさすりながら、暗い牢屋の中で一人、呟いた。
「……よし。とりあえず、ログインには成功したな。……さて、どうやって脱出しよう」
地下牢は、ひんやりとした湿気に満ちていた。 はじめが暗がりに目を凝らすと、そこには先客がいた。立派な鎧を着ているが、その隙間から見える羽根は力なく垂れ下がっている。ミツバチの騎士だ。
「……あなた、そんな立派な格好をして、何かのテストプレイ(役作り)ですか?」 「…………」 騎士は重い口を開いた。その声は、絶望に掠れている。 「……領主様殺害未遂、だそうだ。私は、あのお方を守れなかったばかりか、逆賊の汚名まで着せられた」
「なんですと!?」 はじめは鉄格子を掴んで身を乗り出した。アラクネのズボンの穴から膝が飛び出しているが、今の彼は真剣だ。 「殺害未遂って……犯人は、あのスズメバチ女王なんじゃないんですか?」
騎士は驚いたように顔を上げた。 「……なぜそれを。……そうさ。謁見の際、スズメバチ女王陛下は我が領に耐え難い重税を命じられた。軍備拡張のためにな。だが、我が主は『民のパンを奪ってまで差し出す剣などない』とはねのけられたのだ」 「……かっこいい。まさに理想のプロジェクトマネージャーだ」
「だが、陛下は激昂し、一瞬で我が主に猛毒を打ち込まれた。……あまりにも一瞬だった。私は動けなかった。……その隙を突かれ、『スズメバチ女王の毒が届く距離にいたのはお前だけだ。共謀したのだろう』と……。息子であるゼノ様に、ここに放り込まれた」
はじめは、深く溜息をついた。 (なるほど。ゼノ様はパニックになっているんだな。最愛の母が倒れ、誰かを犯人にしないと精神が保てない。そして、藁をも掴む思いでリリさんを拉致した……)
「騎士さん。それ、完全に『責任転嫁(トカゲの尻尾切り)』ですよ。あなたは悪くない。システムの脆弱性を突いたスズメバチ女王が100%悪いんです。よし、決まりだ。まずはあなたの冤罪を晴らして、女王様のデバッグ(治療)に取り掛かりましょう」 「貴殿に何ができるというのだ? 装備も持たぬ、その……穴だらけの服を着た男に」
はじめが、ニヤリと笑みを浮かべた。離婚を突きつけられ、人間を信じられなくなった彼だが、目の前の「理不尽なエラー」だけは見過ごせない。それが元火消し屋の性だ。
「おーい! 誰かいないのかー! このままじゃ女王様が死ぬぞー! 仕様ミスだぞー!!」
はじめは地下牢の鉄格子をガンガンと叩きながら、再び絶叫を開始した。 「いいか、ゼノ様に伝えてくれ! 女王様に大量の水を飲ませろ! とにかく水分を流し込んで、毒の濃度を薄める(希釈する)んだ! 汗を出させてシステムから毒を排出しろー!!」
そのあまりの気迫と、具体的すぎる指示に見張りの門番たちが駆け下りてくる。 「黙れと言っただろう!」 「黙ってほしければ、今すぐゼノ様に伝えろ! 私はかつて同じバグ(アナフィラキシー)に襲われ、生還した経験がある! いわばバグ修正の唯一の経験者だ! 私の言う通りにすれば、リリさんのヒールも効果を発揮しやすくなるぞ!」
はじめの形相は、深夜三時に全サーバーがダウンし、社長が後ろで震えている時のプロジェクトリーダーそのものだった。 数分後。バタバタと騒がしい足音が響き、扉が勢いよく開いた。そこに立っていたのは、憔悴しきったゼノだった。
「水分なら何でもいい、とにかく流し込め!」 はじめの叫びに、ゼノは絶句した。母は水すら受け付けない。だが、この男の目は嘘を言っていない。
「……わかった。ならば、水よりも確実な、我が一族に伝わる秘薬『ロイヤル・エッセンス』を飲ませてみよう。……お前も来い。もし失敗したら、その時は……」 「ええ、喜んでクビ(処刑)にしてください。退職金は要りませんから」
はじめは、穴だらけのズボンを翻し、ゼノの後に続いた。
はじめの指示通り、大量の水分を取り、汗を流した女王の顔に、わずかに赤みが戻った。
「……今だ、リリさん! ヒールを! 全リソースを投入してください!」 「はいっ!!」
リリの祈るような治癒の光が、女王を包み込む。 やがて、ミツバチ女王はゆっくりと、力なく瞼を持ち上げた。
「……母上!」 「……ゼノ。……そして、見慣れぬ服を着た、旅のお方……」
女王の声は、消え入りそうに細い。だが、その瞳には強い意志が宿っていた。
「……今から話すことは、ただの『夢の話』として聞いてください。……かつて、スズメバチの王女と、ミツバチの娘は、身分の差を超えた親友でした」
はじめは、女王の傍らで静かに耳を傾けた。 語られたのは、引き裂かれた友情と、孤独な女王の叫びだった。
「……あの子とはね、まだ羽が柔らかかった頃、よくあの花の丘で待ち合わせをしたものです」
女王の瞳に、かつての光が宿る。
「私はミツバチの子爵の娘、彼女はスズメバチの王女。本来、混じり合うはずのない身分。けれど、私たちは同じ空の色を愛し、同じ蜜の甘さを知っていた。……夜通し、語り合ったわ。いつか私たちが国を継いだら、身分の壁なんて、この薄い羽で飛び越えてしまおうって……」
はじめは、女王の震える手にそっと耳を寄せた。
「彼女は……あの子は、誰よりも責任感が強かった。だからこそ、孤独だったの。……ある日、彼女が怯えた顔で言ったわ。『見えない敵が、私の頭の中に囁きかけてくる。冷たい、鉄の味がする声がするの』って。……私はそれを、ただの公務の疲れだと思ってしまった。……笑い飛ばしてしまったのよ。あの時、私が彼女の心の叫びを正しく読み取って、信じていれば……」
「彼女……スズメバチ女王陛下は、今、孤独に震えているのです。……どこかから、見えない侵略者がこの国を蝕んでいる。……彼女はそれを必死に訴え、軍備を整えようとした。ですが、周りの貴族たちは誰も信じず、ただの暴挙だと彼女を追い詰めた。……そして、私にさえ拒絶されたと思い、彼女は……」
「わざとではないのです。……あれは、助けてという、彼女の悲鳴だった……」
女王は、再びぐったりと枕に沈んだ。 部屋を静寂が包む。ゼノは唇を噛み締め、リリは悲しげに目を伏せた。
はじめは、アラクネのぶかぶかズボンのポケット(穴)に手を突っ込み、独り言のように呟いた。
「……なるほど。これは単純な『暴行事件』じゃない。……『未知のウイルス(侵略者)』に怯えた管理者が、パニックを起こしてメインサーバー(親友)を攻撃しちゃったっていう、一番悲しいタイプのシステムダウンだ」
はじめは、ゼノを振り返った。
「ゼノ様。女王様の余命を延ばすだけでは、解決になりません。……スズメバチ女王の元へ行き、その『侵略者』の正体を突き止める必要がある。……それが、この炎上案件を鎮火させる唯一の手段です」
その時、女王は突然、苦悶の表情を浮かべ・・・




