第二十七話:鯛ですか?関西人です
獣王の城を後にしたはじめたちの視界に飛び込んできたのは、活気に満ちた「再生」の風景だった。
アンデッドの襲撃で傷ついた建物には足場が組まれ、獣人たちが汗を流しながら槌音を響かせている。かつての絶望が嘘のように、人々の表情には希望の光が宿っていた。
「……なんだか、皆、いい顔をしていますね」
りりがポツリと呟く。はじめは、その復興の端々に、自分が提案した効率的な作業工程や、システム的な管理術が活かされているのを見つけ、少しだけ照れくさそうに鼻を擦った。
「俺たちがやったことは、きっかけに過ぎませんよ。この国の人たちが、もともと持っていた底力です」
そんな会話を交わしながら進むこと数刻。一行の前に、天を突くほど巨大な石造りの門が現れた。
それは獣王領から東の地、青龍国へと通じる**『四聖門(青龍)』**。門柱には精巧な龍の彫刻が施され、その瞳には海の色を凝縮したような蒼い魔石が埋め込まれている。
「……ここが、四聖門。すごい迫力ですね」
はじめが圧倒されていると、門を守護していた二人の大蛇の獣人が、音もなく歩み寄ってきた。
彼らははじめの姿を認めるなり、手に持った槍を地面に立て、直角に近い角度で深く頭を下げた。
「王より、しかと伺っております。我が国の、そして獣国の救世主……はじめ様。どうぞ、誇り高き青龍の地へお通りくださいませ」
恭しく開かれる巨大な扉。
その重厚な音を聞きながら、りりがクスクスと笑いながらはじめの顔を覗き込んだ。
「ふふっ。はじめさん、なんだか最初に来た時とは随分扱いが違いますね? 以前はもっと……こう、不審者を見るような目で見られてませんでしたっけ?」
「たしかにな……。あの時は、門をくぐるだけで一苦労だったよ」
はじめは苦笑いしながら、光り輝く門の向こう側へと足を踏み出した。
背後でゆっくりと閉まっていく門の音。それは、慣れ親しんだ獣王領との別れと、未知なる水の領、青龍領への旅の始まりを告げる合図だった。
門を抜けた瞬間に、空気の質が変わった。
乾燥した森の匂いから、どこか湿り気を帯びた、清涼な花の香りが混じる風。
「……わあ、綺麗……!」
琥珀が声を上げた。目の前に広がっていたのは、深い碧の森と、その間を縫うように流れる幾筋もの清流だった。
四聖門を抜けた先には、はじめの予想を遥かに超える、美しい光景が広がっていた。
そこは、深く湿ったジャングルではなく、木漏れ日が柔らかく差し込む、まさに「森林浴」という言葉が相応しい清々しい森だった。
「ふあぁ……。空気が、美味しいです……!」
琥珀が小さな鼻をひくひくさせながら、弾むように歩く。
足元には、透き通った水をたたえる小さな湖がいくつも点在し、陽光を反射して宝石のようにキラキラと輝いている。
街道ですれ違う獣人たちも、どこか穏やかだ。
リスのようなふさふさした尻尾を持つ子供たちが湖畔で水遊びをしていたり、首の長いヘビ型の獣人が、のんびりと木陰で昼寝をしていたり……。
「ここには、アンデッドは来なかったんですね……」
はじめが安堵混じりに呟くと、りりが小さく頷いた。
「ええ。ここは四神の加護が特に厚いと言われていますから。でも、その分……海の異変が、この平和な場所を脅かしているなんて、まだ誰も信じられないのかもしれませんね」
確かに、こののどかな風景を見ていると、すぐ先にある海で「猛毒」が広がっているなどとは想像もつかない。
「……だからこそ、俺たちが早く突き止めないといけないってことですね」
はじめは、腰に下げた剣をそっと確かめ、真っ直ぐに伸びる街道を見据えた。
この清らかな水を汚すものは、システムのバグと同じだ。エンジニアとして、そしてこの地を救った者として、見過ごすわけにはいかない。
「さあ、行きましょう。まずは貿易の町『蒼凪』へ。そこへ行けば、もっと詳しいことが分かるはずです」
青龍領の東端、貿易の町『蒼凪』。
潮の香りと、穏やかな波の音が心地よいこの港町に到着したはじめたちは、まずは森羅万象が手配してくれたという船を探すことにした。
「……船を用意させておく、とは言っていたけれど……。どの船だろう」
はじめは、港に停泊している大小様々な船を、バグの原因を探すような目つきで眺めていた。
そんな中、背後から驚くほど陽気で、どこか懐かしさすら感じるイントネーションの声が響いた。
「――ちょおっ! あんたはん、もしや『はじめはん』かいな!?」
振り返ると、そこには目が眩むほど鮮やかな、赤みがかった鱗をまとう女性が立っていた。
30代ほどの落ち着いた色気を漂わせる魚人の女性……だが、その口から飛び出したのは、はじめの常識を根底から揺るがす「コテコテ」の響きだった。
「いやぁ〜、しんさんから『すんごいセクシーな格好の、シュッとした男はんが行くさかい、よろしゅう頼むわ』って聞いとったんやけど……。実際会うてみたら、なんやえらい地味ぃな服着てはりますなぁ! 迷彩か何かかと思いましたわ! ギャハハ!」
(……ここ、異世界だよな? なんで関西弁? ……いや、それより)
はじめは、タイラの言葉の中にある聞き慣れない名前に首を傾げた。
「あの、すみません。……その『しんさん』というのは、どなたのことでしょうか? 俺たちは森羅万象陛下――上様からの依頼でここに来たのですが」
するとタイラは、不思議そうな顔をして首をひねった。
「なんや、はじめはん。水臭いなぁ! しんさん言うたら、しんさんや。あの、いつも派手な羽織引っ掛けて、酒と女子が大好きで、口癖が『余が……』とかいう、あの豪快な浪人風の旦那のことやんか。うちら商人の間じゃ有名人やで?」
「……酒と女子が好きで、一人称が『余』……?」
はじめの脳内で、システムログを辿るような高速検索が始まる。
荘厳な玉座に座り、「余が最高の寝所を用意させた」と豪語し、ヴェスパに悪魔の酒を飲ませて笑っていた、あの暴れん坊な王の姿が、「しんさん」という名前とガッチリ連結した。
(……間違いない。しんさんって、あの『森羅万象』……上様のことか! あの人、そんな名前で街を徘徊してるのかよ!?)
自分の依頼主が「浪人風の遊び人」として商人と付き合っているという事実に、はじめは頭を抱えた。
「……あ、ああ。なるほど。……しん……さんの旦那、ですね。はい、よく知っています。……余計な情報を吹き込みすぎだろ、あの人……」
「なんや、やっぱり知り合いやないの! 仲良うしなはれや!」
はじめが絶望的な溜息をつくのもお構いなしに、タイラはパンッ!と威勢よく手を叩いた。
「あ、自己紹介が遅れましたな! 魚人国は『海宝市』で商売させてもろてます、タイラと言います。よろしゅう! 旦那はんのことは、しんさんから『わが国の救世主や! 』って聞いてますけど、今のところは『なんか優しそうな、迷子のお兄ちゃん』にしか見えまへんなぁ!」
「あ、あの……はじめです。こちらは仲間のりりさんと、琥珀。……ええと、よろしくお願いします」
はじめが圧倒されながら紹介すると、タイラはりりと琥珀を舐めるように見て、パンッ!と威勢よく手を叩いた。
「ほおぉ〜! こちらの娘さんはまた、お上品で。……おっ、そっちのちっこいお嬢ちゃん! えらい派手で可愛い服着てますなぁ! アイドル? アイドルなんですな!? ええわぁ、うちの店で売り出したら、銀貨がザクザク湧いてきそうですわ! オチはないけど夢はある! どやっ!」
「あ、アイドルです! 琥珀です!」
琥珀が嬉しそうにポーズを決めると、はじめは深いため息をついた。
「タイラさん。……とにかく、魚人国まで案内をお願いしたいんです。上様から、船を用意してあると聞いたんですが……」
「わかってます、わかってますって! 船ならあそこに、最高にイケてるやつを用意してありますわ。……ただなぁ、はじめはん。最近の海、なんや知らんけど『魚がみんなダイエット中』みたいで、元気がおまへんのや。商売あがったりですわぁ。ま、うちの船に乗れば、そんなんばばぁーんと吹き飛ばしたるさかい、安心しなはれ!」
タイラはそう言って、自慢げに港の一角を指差した。
海の異変が「毒」によるものだとは露知らず、あくまで景気の心配をするタイラの明るさに、はじめたちは顔を見合わせ、苦笑いするしかなかった。
「さあさあ、はじめはん! 立ち話もなんですわ。うちの自慢の船、見せたるさかい、ついてきなはれ!」
タイラが景気よく腰を振って歩き出す。その後を追って、はじめたちは港の奥へと進んだ。
そこに停泊していたのは、魚の鱗のような美しい装飾が施された、中華風の快速船だった。
「わあ……! 綺麗な船!」
琥珀が目を輝かせる。りりも、その独特な造形に感心した様子だ。
「これなら、海宝市までもすぐ着きそうですね。タイラさん、ここからどれくらい時間がかかるんですか?」
はじめが、移動時間を計算しようと問いかけると、タイラは人差し指を立てて、自信満々に言い放った。
「そんなん、はじめはん! ここをグワーッと出て、ドーンと波を越えたら、あとはバーッと進んでシュッですよ! シュッ!」
「…………はい?」
はじめの脳内CPUがフリーズした。
「グワーッ」は加速か? 「ドーン」は外洋に出る際の衝撃か? 「バーッ」は巡航速度で……最後の「シュッ」は一体何を指しているんだ……!?
「あの、タイラさん。……できれば、時間とか、ノット数とか、もう少し具体的な数値で教えていただけると助かるのですが」
「数値ぃ? そんな細かいこと気にしとったら、あきんどは務まりまへんで! 要は**『シュシュッのパッ!』**で着く言うてるんですわ! ギャハハ!」
(……ダメだ。この人の言語、コンパイルできない……)
はじめがガックリと肩を落とす中、タイラは威勢よく船のタラップを叩いた。
「さあ、乗りなはれ! 魚人国の『海宝市』へ向けて、出航や!!」
青い海を背に、赤い鱗を輝かせるタイラ。
不穏な「毒」の噂など微塵も感じさせない彼女の明るさに、はじめたちは半ば強引に船へと押し込まれるのだった。




