第二十二話:お着換えです。変ですか?
「……終わった、のか……?」
ゼノが、泥と血にまみれた剣を杖代わりに、その場にへたり込んだ。
空を覆っていた禍々しい「死の霧」が、琥珀の放った浄化の残り火によって、嘘のように晴れていく。朱雀の地に、久方ぶりの陽光が差し込んだ。
「上様!! 大臣!!」
琥珀が駆け寄り、はじめとりりも後に続く。
「大臣、今すぐヒールを……っ!!」
りりが、より重症に見える虚海へと駆け寄り、光を掲げようとした。
だが、ファントムに首を焼かれ、虫の息だったはずの虚海が、震える手でそれを制した。
「……待て。……陛下……だ。……陛下……を……先に……癒せ……」
「でも、大臣! 貴方の方が……っ!!」
「……構わぬ……。……王……が……倒れて……おっては……、……国……は……立ち行かぬ……。……陛下……から……だ……」
虚海の、命を削るような、けれど鋼のように固い決意の言葉。
はじめはその「忠義」という名のデータに、胸が熱くなるのを感じた。
「……虚海。……お主というやつは……」
森羅万象は、ボロボロの体を引きずりながら、苦笑してりりの前に進み出た。
「……りりよ。……この……頑固者……の……願い……、……聞いて……やって……くれぬか。……余……が……真っ先……に……癒えねば……、……この……爺……は……安心……して……眠れん……らしい……」
「……はいっ!! はじめ様、ヒール、します!!」
りりの小さな手が、森羅の大きな傷口に当たる。
「……初級ヒール、……EXECUTE……!!」
淡い光が森羅を包む。りりが使えるのは、自己流の「初級ヒール」。
致命傷を塞ぐのが精一杯で、黄金の毛並みを完全に元通りにすることはできない。だが、森羅万象はその微かな温もりに目を細めた。
「……ふむ。……これで……十分……だ。……次は……虚海……、……お主……の……番……だぞ……」
森羅万象が頷くと同時に、りりは今度こそ虚海へと光を向けた。
主君の無事を確認し、ようやく安堵の表情を見せた虚海の傷が、ゆっくりと塞がっていく。
ようやく、朱雀の地に、本当の安らぎが戻ってきた。
はじめが大きく息を吐いたとき——森羅万象が、一人の伝令を呼び寄せた。
それは、足の速さで知られる、馬の姿をした獣人の戦士だった。
「……伝令よ。……今すぐ、虫国へ走れ。……ヴェスパに伝えよ」
森羅万象は、はじめの方をチラリと見て、悪戯っぽく、……そう、かつて親友「修一」と笑い合った時のような、無邪気な笑みを浮かべた。
「……『獣国はもう大丈夫だ。——“お前の”はじめのおかげでな”』……とな」
「……は、陛下……っ!?」
はじめが真っ赤になって絶句するのを横目に、森羅はガハハと豪快に笑った。
「……ははっ!! 承知いたしました!!」
馬の獣人は、その返事と共に、風のような速さで虫国へと走り去っていった。
「——帰るぞ! 我が家になッ!!」
朱雀の地に、森羅万象の地鳴りのような咆哮が響き渡った。
傷だらけでボロボロの体、血に染まった黄金の毛並み。それなのに、その背中は誰よりも大きく、威厳に満ちている。
森羅万象は、呆然と立ち尽くすはじめの方を向き、ニカッと牙を見せて笑った。
「はじめよ、大義であった。……わが城にて、盛大な宴を用意させる。……それまで、ゆっくりと翼を休めるがよい」
「えっ? あ、はい。……ありがとうございます」
はじめが恐縮して頷く。だが、はじめは知る由もなかった。
この「宴」の提案が、馬の伝令を聞いて飛んでくるであろうヴェスパとの合流を狙った、王による周到な「時間稼ぎ」であることを……!!
「……そうそう。その、虫のデザインされた服も悪くはないが……」
森羅万象は、はじめが着ているスズメバチ城下町特製の服をジロリと眺め、わざとらしく顎に手を当てた。
「……わが国一番の仕立て屋を呼ぼう。全員分、最高の一着を新調させ、贈らせてもらうッ!」
(……これでさらに時間が稼げる。……ククク、余の読み通りよ)
その瞳の奥で、策士・森羅万象の計算機がパチパチと音を立てていた。
一行が獣王の城へと戻り、用意された豪華な客間に通されて一息ついていると——。
「メェ〜、失礼いたします」
という気の抜けた声と共に、一人の獣人が現れた。
モコモコした毛に包まれた、見るからに温厚そうな羊の獣人。
彼こそが、この国で右に出る者はいないと言われる、伝説の仕立て屋であった。
「さあさあ、皆様。寸法を測らせていただきますねぇ〜」
羊の仕立て屋は、手慣れた手つきでメジャーを操り、はじめ、ゼノ、琥珀、りりの四人を次々と計測していく。
「ふむ……。四人分、最高級の生地で、しかも王の求める意匠を凝らすとなると……。大急ぎでやりますが、三、四日はお待ちいただくことになりますねぇ〜」
三日から四日!!
それは、馬の伝令がスズメバチ城に届くのに二日、そこからヴェスパが「はじめぇぇぇ!!」と叫びながら音速で飛んでくるのに一日。……合計、約三日。
(……四日目の夜に宴を開けば、あやつも間に合う。……完璧だッ!!)
別の部屋で、包帯を巻かれながらその報告を聞いた森羅万象は、心の中でガッツポーズを決めていた。
まさに、世界のすべてを把握する「森羅万象」の名に恥じぬ、完璧なマッチメイキングの読みであった。
あれから、四日が過ぎた。
朱雀の地での激闘、そして「馬の伝令」による上様の悪巧み(マッチメイキング)を知る由もなく、はじめたちは獣王の城で、戦いの疲れを癒やす穏やかな時間を過ごしていた。
だが、運命の時計の針は、着実に「その時」を指そうとしていた。
本日十八時より、獣王主催の大宴会。
「トントン」
静かな客間に、軽やかなノックの音が響く。
ドアを開けると、そこにはピンと耳を立てた猫型のメイドが、恭しく頭を下げて立っていた。
「お寛ぎのところ失礼いたします。仕立て屋様が、皆様のお洋服を納品にいらっしゃいました。ただいまより着替えの準備をいたしますので、皆様、それぞれご自身の客室へお戻りくださいませ」
「あ、もうできたんだね」
はじめが立ち上がると、隣にいたゼノが「どんな服だろうな」と肩をすくめ、琥珀は「お肉が食べやすい服だといいですっ!」と目を輝かせ、りりは「……はじめ様に、似合う服だといいな」と頬を染めた。
四人はそれぞれ、期待と少しの緊張を胸に、各々の部屋へと散っていった。
自分の部屋に戻り、窓から暮れゆく獣国の街並みを眺めていたはじめの背後に、再びノックの音がした。
「トントン。……お待たせいたしました、はじめ様」
扉が開くと同時に、伝説の仕立て屋であるあの羊の獣人が、三人のメイドを引き連れて入ってきた。メイドたちの手には、丁寧な刺繍が施された絹布で覆われた「何か」が、うやうやしく捧げ持たれている。
「メェ〜……。お待たせいたしました、はじめ様。陛下より『わが親友に、獣国で最高の夜を』との厳命をいただきましてねぇ……。私、持てる技術のすべてを注ぎ込みましたよぉ〜」
羊の仕立て屋は、その柔和な顔に、どこか「確信犯」じみた笑みを浮かべた。
「さあ……皆様、お披露目を」
メイドたちが、一斉に布を跳ね除ける。
そこにあったのは——はじめが想像していた「落ち着いた冒険者の正装」とは、似ても似つきぬシロモノだった。
「……えっ。……これ、僕の……?」
はじめの目が点になる。
それは、黒い猛獣の毛皮を贅沢にあしらった、ワイルドという言葉では片付けられないほど「野性的」な意匠の服だった。
布地は極限まで上質。だが、デザインが問題だった。
胸元は驚くほど大きく開かれ、鍛えられた胸板が露わになる。肩から二の腕にかけては、獣の牙を象った銀の装飾が肌に直接触れるような仕掛けになっており、腰回りは重厚なベルトでタイトに締め上げるスタイル。
一言で言えば、「58歳の落ち着いた大人の色気」と「獣のような雄々しさ」を、暴力的なまでのセンスで融合させた、女性を狂わせるための戦闘服だった。
「……あの、羊さん。これ、ちょっと露出が多くないかな? あと、なんだか……すごく、獣の匂いというか、ワイルドな香りがするんだけど……」
困惑するはじめに、仕立て屋はメェ〜と満足げに頷いた。
「これこそが『獣国の正装』ですよぉ。上様がわざわざ、はじめ様に最も似合う『香り』まで指定されたのですから。さあさあ、時間はございません。着替えていただきましょうかねぇ〜」
逃げ場はなかった。
メイドたちの手によって、半ば強制的に服を脱がされ、その「魔性の服」を身に纏わされていくはじめ。
鏡の前に立たされたとき、そこには——。
普段の「優しそうなおじさん」の面影はどこへやら、どこか危うい色気と、圧倒的な覇気を放つ「一人の雄」としての、はじめの姿があった。
(……これ、絶対にみんなに変な目で見られるよね……?)




