第十七話:新キャラですか?敵でした
白骨化した森に入って、どれくらいの時間が経っただろうか。
はじめは泥だらけになった「通行証」を広げ、指で何度も空中をなぞっていた。
「おかしいですね……。私の計算では、とっくに中央の舗装路に出ているはずなんですが。どうにも、このあたりの風景、さっき見た木の骨格と完全に一致している気がしてなりません」
「……はじめ。それを言うなら、あの右折のときからだ。俺の鼻が、ずっと同じ腐敗臭を拾っている。……なぁ、まさか迷ったんじゃないだろうな?」
ゼノが不機嫌そうに鼻にシワを寄せる。
「失礼な! 私は論理的な最適解を選び続けています。りり、君はどう思いますか?」
「え、ええと……。私も、さっきからあの折れた枝、三回くらい見たような気がして……。なんか、同じところをぐるぐるしてない?」
三人がそんな押し問答を繰り広げていると、後ろを歩いていた琥珀が、不思議そうに首を傾げた。
「……え? はじめさんたち、わざとやってるんじゃないの?」
「「「え?」」」
「だって、この森、同じ場所なんて一つもないよ? さっきの角はもっと右だったし、今は全然違う方向に向かってる。……おうちに帰りたくないから、遠回りしてるのかと思ってた」
はじめは凍りついた。琥珀はトラの獣人だ。密林は彼女たちの庭であり、本能レベルで地図が刻まれている。
つまり、迷っていたのは「感覚の鈍い大人たち」だけだったのだ。
「……琥珀ちゃん、それ、早く言ってほしかったです……!!」
「きいてくれなかったもん……」
はじめが頭を抱えた、その時だった。
風向きが変わり、鼻をつくような「異様な臭い」が一行を襲った。
「っ……!? なんだ、この焦げ臭いのは……。肉を、それも……古くなった何かが焼けるような、嫌な臭いだぞ」
ゼノが即座に剣の柄に手をかける。
「……焦げたにおい? それに、なんか急に……暑くなってきませんか?」
りりが額の汗を拭う。
白骨化した森の湿り気が消え、空気がカラカラに乾燥し始めている。はじめたちの周囲を漂っていた霧が、熱気によって強引に蒸発させられていく。
「……変です。バグの兆候にしては、エネルギーの消費量が多すぎる。……皆さん、あそこです! 森が途切れています!」
はじめが指差す先、白骨化した木々が急に疎らになり、眩しいほどの赤茶けた光が差し込んでいた。
一行は引き寄せられるように、その光の境界線へと駆け出す。
そして。
最後に残った一本の白い枯れ木を抜けた瞬間、彼らの足が止まった。
「……何、これ……」
りりの声が震える。
目の前に広がっていたのは、緑豊かなジャングルなどではなかった。
どこまでも続く、灰色の世界。
地面はひび割れ、至る所から地熱による煙が噴き出している。
かつて都市や村があったであろう場所は、黒く炭化した残骸だけが点在し、そこを歩いているのは「燃えながら彷徨う」死者たちの群れ。
一年前、一番最初に崩壊した「南の聖域」――。
「……ここ、しゅざくりょう……? おじいちゃんが言ってた、熱い国……。……うそ、なんで……」
琥珀の震える声が、絶望的なナビゲーションエラーを確定させた。
はじめたちの目の前には、白虎のジャングルを飲み込んだ「一年前のバグ」が、今なお燻り続ける地獄の焼け野原が広がっていた。
焼け野原の熱気に視界が歪む中、はじめは違和感を覚えた。
風はない。なのに、すぐ背後の「空気の密度」が変わった気がしたのだ。
「……? なんだ、今の『ラグ(遅延)』は……」
はじめが振り返るより早く、ゼノが叫んだ。
「避けろ、はじめ!! そこに『何か』いる!!」
空気が揺らぎ、陽炎の中からボロを纏った骸骨のような手が、ゆっくりと、しかし確実に伸ばされる。
それは物理的な「突き」ではない。空間を透過し、はじめの胸部——その心臓へと直接干渉する、不可避の魔術。
空気がねっとりと揺らぎ、はじめの背後に「死の気配」が結実する。
透明なマントを翻すようにして現れたファントムは、不潔なものを見るような軽蔑の眼差しを、はじめの背中に向けた。
「……ふん。獣の臭いに混じって、浅ましい『生の執着』が漂っていると思えば……。このような雑兵を消すために、わざわざ私が直々に手を下さねばならぬとは、嘆かわしいことだ」
ファントムは、細く長い指を優雅に、そして残酷にはじめの背中へと突き出す。
「光栄に思うがいい。貴様のような下卑た命が、私の至高の魔術によって『永遠の静寂』を賜るのだ。……さあ、その騒がしい心音を止めてやろう」
「――『ハートブレイク』」
ファントムの指先が、はじめの背中に触れようとした、その刹那。
「……ッ、危ないわよ、この鈍感!!」
聞き覚えのある、凛とした、そしてひどく苛立った声が響いた。
直後、はじめの体は真横から凄まじい衝撃を受けて弾き飛ばされる。地面の灰を噛みながら転がったはじめの視界に映ったのは、黄金の翅を激しく羽ばたかせ、毒針の剣を構えたヴェスパの背中だった。
「……チッ。どこの羽虫かと思えば、虫国の出来損ないか」
ファントムが忌々しげに指を引き戻す。心臓への「ダイレクトアクセス」を物理的に遮断され、彼の至高の魔術は空振りに終わったのだ。
「誰に向かって口を利いているのよ、この透け透けの骨董品。私の獲物を横取りしようだなんて、万死に値するわ」
ヴェスパは振り返りもせず、はじめを背中で守るように立ち塞がる。
「……まあいい。今はまだ、私も『調整』の段階だ。……貴様らのようなゴミを掃き溜めるのは、四聖門で済ませるとしよう」
ファントムは鼻で笑うと、その姿を陽炎の中へと溶け込ませていく。
「せいぜい、その命を大事に抱えてくるがいい。……絶望という名の供物を、謎のネクロマンサー様がお待ちだ」
気配が完全に消えた後、はじめは泥だらけで立ち上がった。
「あ、ありがとうございます、ヴェスパさん。助かりました……」
「なっ……! 勘違いしないでちょうだい!!」
ヴェスパは顔を真っ赤にして、持っていた剣を思いっきりはじめに突きつけた。
「あんたみたいな『無能な作業員』が、紹介状も持たずに獣王に会えると思ってるの!? そんなの、虫国の恥よ! 私はただ……あんたが勝手に死んで、我が国の外交に傷がつくのを防いだだけなんだからねっ!!」
「虫国の恥」と言い捨てたヴェスパの背後から、遠く羽音が響いてきた。
「ヴェ、ヴェスパ様あぁぁーーー!!」
「お待ちくださいませ! お一人で先行されるなど、あまりにも危険ですーーー!!」
焼け野原の地平線から、数名の羽虫族の近衛兵たちが、息を切らして飛んでくるのが見えた。彼らは女王のあまりの速度に、完全に置いてけぼりにされていたらしい。
「チッ……。もう追いついてきたの。野暮な連中ね」
ヴェスパは忌々しげに舌打ちすると、腰のポーチから一巻の重厚な「巻物」を取り出した。それは虫国の国章が刻印された、公的な紹介状だった。
「ほら、これを受け取りなさい! はじめ!」
ヴェスパはそれを、はじめの胸元に無理やり叩きつけた。
「え、これ……紹介状ですか? でも、どうして……」
「……あ、あんたが獣王に会えずに門前払いされて、野垂れ死にでもしたら、私の寝覚めが悪いでしょ! だから、これは『保険』よ。あくまで保険なんだからねっ!」
合流した護衛たちが、はじめの姿を見て驚愕の声を上げる。
「ヴェスパ様、まさかそのために、会議を放り出してここまで……!?」
「黙りなさい! 余計なことを言うと、蜜を抜き取るわよ!!」
ヴェスパは護衛たちを鋭く一喝すると、再び黄金の翅を大きく広げた。
「いい? はじめ。……次は、そんな情けない姿を見せないでちょうだい。……じゃあね!」
彼女は一度も振り返ることなく、護衛たちを引き連れて、夕闇が迫る虫国の空へと飛び去っていった。その速度は、まるで自分の赤くなった顔を隠そうとしているかのようだった。
手の中に残された、ずっしりと重い紹介状。
はじめは、彼女の去った空を呆然と見上げ、それから小さく笑った。
「……不器用な、システム管理者(女王様)ですね」
これで、「四聖門」を突破するための正当な権限は手に入った。
はじめたちは、ヴェスパが残した「勇気」という名のパッチを胸に、再び中央へと足を進めた。




